雑誌
晴れ、13度、79%
私は昭和32年生まれ、小学5年生の時に雑誌「annann」が創刊されました。結婚してからは、ニューファミリー雑誌の「クロワッサン」が出てきました。考えてみれば雑誌世代の申し子です。子供の頃、母は毎月「婦人之友」『スクリーン」『ミセス」を取っていました。本屋さんが毎月配達してくれます。なんといっても、『スクリーン」が楽しみな私でした。母世代の雑誌と私たち世代の雑誌は、随分違いがあるように思います。世の中が多様化する中で、雑誌がカバーする範囲が広くなったように思います。
香港に来てからは、日本の雑誌が恋しい。毎月頼むとかなり高いのもにつきます。香港の本屋では立ち読み防止のためにビニールが掛けられています。日本に帰ると、本屋の雑誌の棚の前で、片端から読んで行くのが何よりの楽しみでした。成田空港の改造社や三省堂の棚の前で、入関ぎりぎりまで立ち読みをしていました。それも、ほんの5年程前までのこと、最近は、必要なものしか見なくなりました。
バブルの頃は、雑誌の数がやたらに増えましたが、メールマガジンの力もあって、廃刊に追い込まれる雑誌もあったと聞きます。年齢や生活層にターゲットを絞った雑誌は、それでも生き残っています。
雑誌って何だろうって考えます。本とは違います。使い捨ての知識、情報源。これほど、雑誌雑誌と追いかけていた私が、雑誌の意義を考え始めるとはたと行き止まりました。月刊誌はひと月ひと月の区切りを意味していました。雑誌から情報を得ることもありますが、実生活とはかけ離れた世界も連れて来てくれます。行くことも出来そうにない、地球の裏側の国への旅。絶対に身に付けることのなさそうなデザイナーのローブ。
そうした沢山の雑誌から、切り取った保存用の記事が大きなファイルで3つあります。古い記事は30年を遡るもの、時折この記事のファイルは手がはいって必要でなくなったものは廃棄されています。記事の3分の一は、料理の記事です。ついで、手芸の記事。結局、旅行でも服装でもなく、私の興味は全く実際的な生活の記事ばかり、そしてそれこそが私なんだと改めて気付きます。
主人は、雑誌には興味がありませんが、10数年も「ナショナルジオグラフィック」だけは読み続けています。沢山溜まった黄色いナショナルジオグラフィックも昨年末、一年分を残して捨てました。
主人が年末から帰国の度に買って来てきれた雑誌、チクチクが終わるまでお預けです。見出し写真は、このひと月に我が家にやって来た雑誌です。