チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

ナイキのエアロロフト800を買いました。

2015年01月11日 | 身の回りのもの

曇、15度、78%

 毎朝走り始めて、そろそろ18年になります。2週間先に行われる香港マラソンが始まる前の話です。シューズは手に入れたものの、ウェアになるとらしきものはありますが、アディタス、ナイキの専門店もない頃です。外見から入るタイプではありません。まあ、コットンの汗を吸ってくれる素材のもので走り始めました。幾分にも、高温多湿の香港です。コットン素材のものは一夏着ると、いくら漂白しても黄ばみます。しかもタンクトップはおよそ10か月程も着ますから、消耗品でした。このスポーツウェアの世界の素材の進歩には驚きます。いかに軽く、いかに汗を感じさせず、しかも通気性と保温を兼ね備える、いやはや、びっくりの連続です。

  dry-fitなどと呼ばれるものが出てきました。体に馴染むけど汗でべっとりと張り付かない素材です。新しい物にすぐに飛びつく私ではありません。ウェアが目的で走っているわけではないのですが、走る時間帯が超早朝、一つだけ気に掛けてウェアを選びます。出来るだけ白、反射板のついたものに限ります。これだけ黒好きの私が、走るときのウェアではパンツ以外に黒を持ちません。このdry-fitを買ったときの驚き、コットン素材と違ってすぐに乾きます。体にまとわりつきません。着るものでこんなに感激したのは、初めてカシミア100%に手を通して以来のことでした。

 そしてありがたいことに、いくら汗をかいても漂白すると真っ白になります。つまり、ケチな私は、今着ているタンクトップ型のウェアはdry-fit2代目です。3枚を回して着ていますが、まだ次の夏も着ることが出来る程しゃんとしています。ここ香港でも、10度を切ると7分丈のパンツにウィンドブレイカーを着て走りに出かけます。このウィンドブレーカー、白ですが20年近く着ています。滅多に着ないので、まだ真っ白ですが、当時のサイズなので大きめです。昨年辺から、買い替えたいなと思っていました。

 この私、12月の半ばから殆ど家からでていません。チクチク。チクチク。必要最小限度の外出しかしません。チクチク。要するに食料品だけです。チクチク。細い日本のごぼうが食べたくなりました。一番近くで売っているのは、セントラルのトラム通りにある地元のスーパーです。毎日行く市場から歩いて5分程。トラム通りを渡ると、スーパーのビルの角にナイキの店ができてます。ナイキの路面店がセントラルから消えて随分経ちます。ナイキのような店ですら、単価が安いのでセントラルでは家賃が払えないのです。ごぼうを買うつもりの私は、そのままナイキの店へと吸い込まれました。見るとこれまた新しい素材のものが出揃っています。そうだ、防寒用のものを一つ買おうと思います。走るのには袖のないベスト型が一番です。お店のポスターにもピンクのベストを着た女性が写っています。あれにしよう!ピンクのベストのxsをください。とお姉さんに言いました。お姉さん、調べもせずに売り切れです。とお返事。色違いはありますかと言うと、出してきてくれたのはブルーグリーンです。それも手渡す時に、xsはありません。とおっしゃいます。香港マラソン前のこの時期は、この手のものがよく売れる時期でもあります。迷いましたが、このブル−グリーンを買い求めて家に戻りました。私が初めて着るブルーグリーンです。家に帰って、今一度着心地を確かめます。

 一部にグースダウンが使われているだけに確かに暖かです。ウェストはすぼまって、ナイロンの生地が腰をカバーしています。後ろ腰の部分には大きめのポケット付き。襟は少し立ち上がって、柔らかい素材が使われています。ウキウキとお家で着ていると、グーグー寝ていたモモさんが、顔を上げて私を見ました。その目は大きく見開いています。次の瞬間、飛び起きたモモさん、私に向かって吠えまくります。どうしたの?こんな珍しい色の服を着ているので、きっと私とは思わなかったのでしょう。

 モモさんには驚きの色でしたが、この色なら早朝の道でも目立ちます。早く寒くならないかなあ。

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辛いときに思う、一番楽しいこと

2015年01月10日 | 日々のこと

晴れ、13度、74%

 40代の頃は、仕事も目一杯でそれもそれなりに大変でしたが、精神的に随分きつい時期でもありました。母と主人の不仲、日本に帰した息子のこと。どんな家庭にも人に言えない様々な問題があります。私の血のつながった母と息子のことをあからさまに叱責されると、たとえ、主人が言っていることがもっともだと思うことでも、辛く感じます。主人の癖でしょうか、同じことを繰り返し、毎日言い続けます。そんなある日、片耳が聞こえなくなりました。精神的なバランスが崩れ始めていたのだと思います。どうにか、そんな状態を抜け切ろうと考えました。元々、芯の強い私です。主人がくどくど話を始めると、自分が一番楽しいと思うことを考え、思い浮かべるようにしました。さて、その一番楽しいこととは何かしら、とまた考えました。幾度考えても、思い至るのはなんとパン作りでした。

 香港に来て以来、スタンドミキサーを使って捏ねますが、最後の5分間は手捏ねをします。その捏ねているときの、手触り、温もり、微かに生地から戻って来る弾力、そして、イーストの微かな匂い。 丸々と丸めてその表面の可愛さ。発酵させている間の、待ち遠しい気持ち。

  いよいよ、焼成するときの美味しく焼けますようにと祈るような気持ち。オーブンに入れると5分ぐらいすると、いい香りが立ち始めます。もちろん深呼吸してその香りを胸に一杯吸い込みます。オーブンから出してきたときの、香ばしい色と香り。 ひっくり返して、お腹をポンと叩けば、どんな焼具合か分かります。パンの中のきめがどんなかな?と冷めるのを待って、切り分けます。 きれいな気泡が拡がっています。もちろん、お口にポイと放り込みます。

 こうして全行程が全て好きです。主人の小言が始まると、このパン作りを頭の中で一から始めます。オーブンからパンが出てきたときを思っているときは、思わずニッと笑ったかもしれません。

 話をきちんと聞いていないと叱られるでしょうが、あの頃はそれより自分の精神の箍が外れるのが怖いと思いました。自分が崩れるのを食い止めるための手段です。

 今だから、こんなことが書けるようになりました。あのまっただ中の時には、人にも言えなかった。時間は優しく流れてくれます。時間の流れを待っていられない時には、どうにか自分をあやす方法を見つけなくてはなりません。私にとっては、パン作りを思い浮かべるだけで、自分の心を明るくすることが出来ました。

 人によって一番楽しいことは違うと思います。仕事で辛い時、人間関係で行き詰まる時、家庭の中がぎくしゃくする時、何か一つ、心をなだめる楽しいことを見つけて思い浮かべてください。

 パン作りを初めて30数年、失敗も沢山。おいしいパンも焼けるようになりました。その上、私の心の一番の拠り所になってくれています。自分一人のために焼き続けてきたパンです。ここ10年は、モモさんも喜んで食べてくれます。正月2日に初パン焼きをしました。いつものプレーンな丸いパンです。

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ラーメンスープが降って来る街、香港。

2015年01月09日 | 香港

晴れ、14度、77%

 久しぶりに香港を訪れた方達、皆さん口を揃えて香港の街がきれいになったとおっしゃいます。街の景観ばかりでなく、衛生的な意味も含めての言葉だと思います。2003年のサーズ以来、政府は道路の清掃を強化しました。幹線道路脇のごみ箱は、日に二回、回収されます。街にごみ箱がない日本に比べると、それはそれは便利です。

 20数年前に香港にやって来た当初、驚いたことの一つが、香港人のゴミのポイ捨てでした。きれいな若い女性が平気で道にゴミを捨てます。食べ物の包み、食べ上げた鶏の骨、飲み物のボトル。平気でポイポイ。若い女性は特に目に付きますが、老若男女を問わずこの有様です。街の清掃がお休みの旧正月などは、道脇のごみ箱には家庭ゴミがギュウギュウに詰め込まれ、是利(お年玉)の赤袋が道に舞っていました。走っている車の窓から缶が捨てられることもありました。こうしたポイ捨てが罰金付きで禁止されたのはここ10年程のことです。

 以前住んでいたところでのこと、毎朝決まった時間に上方の階から水のような物が降ってきます。あるとき、上開きの窓を開けていたら、その窓ガラスにその液体がザーットかかりました。よく見ると、いえ、まず匂いがしたのでわかったのですが、ラーメンのスープの残りでした。もちろん麺のくずまで入っています。人様のラーメンのスープの後始末をするのは、気持ちの悪い物です。窓辺で朝ご飯を済ませて、残ったスープを窓から捨てる、そんな情景が頭に浮かびます。下街のアパートではありません。住んでいる人はそれなりの方達です。上方階から降って来る物は、数え上げれば切りがない程、いろんな物が降ってきます。

 確かにここ数年、道端にゴミが落ちているのなどはあまり見なくなりました。時には東京よりきれいね、などと内心鼻高々な私でした。今年の年明けて直ぐのこと、毎朝のことで、エスカレーターが下向きのうちに市場に向かいます。朝の10時前です。遅いお勤めに出る人たちも乗っています。私の前に立つ女性、白いビニール袋を手にしています。大きな袋の中身は、外から見ても台所のゴミや缶などです。そして、途中にあるオレンジのごみ箱の横に、ガシャンと置きました。大きな口のごみ箱ですから、中に入れればまだしも、外に捨てました。衛生局の人に見つかれば、罰金$1,500です。エスカレーターを下りる時、その女性の顔を見ると、30代後半でしょうか、ゴミを捨てそうな顔をした人でした。なんというかゴミを捨てても平気な、そんな雰囲気の顔をしていました。

 年末に、我が家のお隣に新しい住人が引っ越してきました。ご主人は西欧人、奥さんは香港人のカップルです。一度この奥さんと挨拶をしましたが、流暢な英語です。香港人は、留学する割合が日本の比ではありません。そうして留学して帰ってきた人たちは、それなりに、留学先で社会道徳のようなものを身につけて帰って来るとよく聞きます。お隣の奥さんのそのような人だろうと思っていました。ある朝植木に水を遣ろうと、お隣とL字型に向いた窓を開けました。お隣の窓からは、細いきれいな手が一本出ています。その手にはタバコが、私に気付かないのか、フワーッと煙を吐いています。香港のビクトリア湾を見ながらの朝の一服でしょうか。と思うと、その白いきれいな手は煙草の灰を窓から下に落としています。以来気が付くと、一日に数回、タバコの灰が下の落とされる行為が続いています。

 時間が経って、教育も行き届き香港人は変わったかなと思っていました。香港人の多くの人が、自分たちは中国人ではないと思っていると新聞では報じています。中国の道端の発泡スチロールの弁当箱などのゴミの多さは、つとに知られています。香港人のゴミに対する意識の低さは、中国人のそれと何ら変わりないと私には思えます。中国数千年の歴史と聞く度に、その数千年の間に培われた意識は、そうそうに変わるはずがないのだと感じます。そろそろ、お隣の窓が開き、ビクトリア湾を眺めながらのタバコタイムが始まります。灰は下にポトポト。こんなことで、イライラしなくなった自分がいます。

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京人参の新芽

2015年01月08日 | 日々のこと

晴れ、15度、68%

 香港で、京人参や赤かぶが買えるようになったのは、つい最近のことです。しかも、お正月前だけ。入って来る数が少ない物ですから、これをゲットするためには、日系のスパーに足繁く通わなくてはなりません。今年もクリスマス明け、店の冷蔵棚に並んだところをおせち用に買い求めました。京人参、赤かぶを自宅のテーブルの上に出したときの私の顔は一仕事終わりと、勝ち誇っていたと思います。

 京人参の紅さは、普通の人参とは随分違います。ぽってりとした赤。オレンジ色のキャロットではありません。吸い物椀に梅型にくり抜いた京人参は、お祝いの色にふさわしく彩りを添えてくれます。 赤かぶはもちろんおなますです。紅白揃えなくても赤かぶの赤さが、甘酢に漬けている内にかぶ全体をほんのりとピンクに染めてくれます。私のおせちには欠かすことが出来ない物たちです。

 赤かぶは、きれいな葉っぱがついています。もちろん、葉っぱだって、炒めていただきます。京人参は葉っぱはついていないのですが。頭の上は切られずに、葉っぱの名残があります。京人参を料るのは、暮れの31日。それまで2、3日は冷蔵庫でお休みです。この京人参を使うようになって毎年繰り返しているのが、頭のところを切って水に漬けることです。ちょうど七草がゆの頃になると、つまり一週間で、見出し写真のようにきれいな緑の新芽を見せてくれます。今、3つ目の新芽が脇につきました。これはジャガイモではないので、土におろしても根付くことはありません。しかも、3月頃までこの新芽は数を増やし続けます。台所の脇の小窓の前でお日様を一杯に受けます。台所仕事の合間にこの新芽の緑は、心を和ませてくれます。そして、ほんとに急に、ある朝起きてみると新芽がお辞儀をして力なくなります。水遣りを忘れたわけではありません。人参の頭の紅いところは、カスカスになっています。この紅いところが、栄養を持ち続けるまで、新芽を見せてくれているようです。お辞儀をした新芽は、もう元気にはなりません。

 毎年、お正月からの2ヶ月程、この京人参の新芽が台所の片隅にあります。生き物の生命力、新芽の緑の美しさ、こんな小さなものにいつも教えてもらいます。

 

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独楽

2015年01月07日 | 日々のこと

曇り、18度、91%

 お正月飾りに毎年出して来る独楽があります。直径が10センチ程の木の独楽です。金属の杙がはいっている、投げ独楽用の独楽です。色はきれいですが、無数の小さな傷がついています。昨年、父親になった息子が小学の低学年の頃、大事にしていた独楽です。

 テレビゲームといわれる物が、世に登場したのは息子が幼稚園の頃、どこの家にもあるという物ではありませんが、すごい勢いで蔓延して行ったゲーム機です。男の子ですから、学校から帰るとランドセルなんか放り投げて、外に遊びに行って欲しいと思っていました。ですから、頑として、ゲーム機は買いませんでした。希望通り、ランドセルを玄関に放り投げ、自転車に乗って外遊びに行く息子の後ろ姿を見送りました。夏は、ザル蟹を釣りに、冬になるとこの独楽遊びが人気でした。もちろん、雨の日などはきっとゲーム機を持っているお家に上がり込んでいたに違いありません。

 この独楽で息子が遊んでいた頃、主人は単身赴任で中東にいました。私たち家族が中東に行く準備をして、当時一緒にいたてつという犬も予防接種までしたのに、湾岸戦争が勃発しました。男の子なのに父親が不在です。父親の代わりなんて出来ませんが、休みになると釣り竿を持って釣りに連れ出したりと、気負っていた自分を思い出します。

 投げ独楽は難しいと聞きます。はて、息子はどうやって投げ独楽を習得したのでしょうか?主人が、年にひと月の休みで戻ってきている時に教えてもらったのか、友人たちから自然に教わったのか、とにかく、独楽にのめり込んでいる時期でした。どこで独楽を買ったのかも、私は覚えていません。ただ、もう一つ独楽がありました。投げ独楽で戦うので、ある時まっぷたつに割れた独楽を持って帰ってきました。この投げ独楽の戦いのために、鉄の杙を研いでもらうと言って息子が出かけたことがありました。冬の夕日は早く落ちます。暗くなっても帰ってこないので、見当をつけて探しに行きました。家から随分離れた駄菓子屋の前に、息子のマウンテンバイクが見えました。店の中を覗くと、幾人かの友達も一緒です。お店のおじさんが、一人一人の独楽の杙を丁寧に研いでくれていました。時間がかかるはずです。この店の戸を開けたときの石油ストーブと子供たちの匂い、そしてなんともいえないおじさんとの和やかな空気を未だに思い出します。

 その後、間もなく私たちは香港にやって来ました。学校に行くのもスクールバス、友達の家に行くのも香港中にまたがっていますから、送り迎え。自転車なんか乗っている人すらいない香港でした。息子は外遊びが出来なくなり、ついに我が家もケーム機を買いました。この独楽は、すっかり忘れ去られてしまいました。

 今の日本で、投げ独楽で遊んでいる男の子の姿などもう見ることは出来ないのではと思います。女の子の父親になった息子、独楽回しを教えることもないでしょう。外遊びが出来た時代は、息子たち年代が小さい頃に終わったのかもしれません。

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香港のテレビ修理

2015年01月06日 | 香港

曇り、18度、90%

 テレビの調子がおかしくなったのは3日前。体調だってそうですが、急にやって来ました。前触れなしです。それでも、急につくこともあります。我が家のテレビ、10数歳。薄型テレビが出始めた頃の物です。超薄型ではありません。テレビの使用頻度は普通でしょうか、いや、あまり見ない方かもしれません。テレビを買った店に問い合わせても、メーカーの東芝に問い合わせても、古い型ですから修理に時間がかかります。しかも、おそらくテレビを持ち込んでくれと言われるに決まっています。42型のテレビは重いし、私の車には乗りません。そこで、ウェッブで修理人を探します。以前、洗濯機が壊れたときも、メーカーは、一週間先に修理人を行かせると言います。一週間も待てません。そこで、町の修理人に来てもらいました。「テレビ修理 香港」で検索して、一番初めのところに電話しました。出てきたおじさん、明日の朝一番に来てくれるとのこと。明日の朝、つまり昨日の朝になると、我が家のテレビ、順調に動きます。そこで、修理を断ったのですが、昼過ぎ、またしても音沙汰なしのテレビになりました。修理を断ったおじさんに再び電話、夕方の4時に来てくれると言います。

 香港の人が、4時と言えば6時ぐらいのつもりで待ってなければなりません。ところが件のおじさん、3時40分には電話をしてきて、15分以内に行くと言います。ぴったり時間通り。音沙汰ないテレビを見るなり、「いいテレビだ」。と言います。電話でも「古いテレビでLEDでもなく普通のテレビだ。」と私が言うと、「いいテレビだ。」と言っていました。いいテレビでも音沙汰なければ悪いテレビです。早速仕事にかかります。 裏を開けるとこんな風になっています。型番が分からないと伝えておいたので、コンプレッサを幾種類かご持参です。手際はいいのですが、丁寧な仕事ぶりです。一時間程でテレビがつくようになりました。そうそうテレビの真横のDVDプレイヤーも調子が思わしくありません。こちらも、テレビと同じ時に買い求めた、今ではもう見られない形のホームシアターです。5つのスピーカーは、さすがYAMAHAだけあって、かなりの迫力です。おじさんに頼むと、 ひょいと開けて直してくれました。我が家はテレビよりこのDVDプレイヤーの方が頻度が高めです。全て、修理が終わりおじさんが家を出て行くまでに約2時間。外はもう真っ暗になっていました。

 テレビはそう見ないにしても、壊れたままの物が家にあるのは好きではありません。機械は必要な時に、必要な働きをしてもらうための物です。お飾りではありません。この2つの修理で、二万数千円程かかりました。きちんと使えうると思うと、胸がすっきりします。それに新しい物に買い替えるともっとかかりますし。最近、テレビは随分安く出回っています。よく覚えていませんが、我が家のテレビ随分高かったように思います。

 このテレビの前はブラウン管のテレビでした。調子が悪くなると、息子に支えてもらって、後ろのカバーを外して私が修理したことがありました。単純な仕組みでしたから出来たこと。さあ、もう少しテレビにもDVDプレイヤーにもお仕事をしてもらいます。出張修理人には、随分とお世話になる我が家です。

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黒豆、新豆と古豆の炊き比べ

2015年01月05日 | 料理

曇り、18度、88%

 12月の初旬には、豆類は新物と古い物の端境期です。福岡の行きつけの豆屋には、まだ古い豆しかありませんでした。天神の岩田屋の地下にある富澤商店では、古物は少しお安くなって、新物がでていました。3年前に黒豆は、古物の方が味があって料亭では古物を使うと聞いたことがありました。その時は、豆屋が古物を売るための方便だろうと思っていましたが、別のところでもまた同じ事を聞きました。そこで、豆屋で買った古豆と新豆を炊き比べることにしました。豆の種類は、どちらも丹波の飛切りです。

 まず、元旦用に古豆から炊きました。一晩、たっぷりの水に浸けて、翌朝から炊き始めます。ひとつまみの塩とひとつまみの重曹を加えて、常に水の面がフツフツしている状態で炊き続けます。灰汁が出ればあくを取り、水かさが減れば水を足します。柔らかくなるまで炊きます。この柔らかさの目安、壁に投げてつぶれるくらいと聞いたことがあり大笑いしたことがありました。一番てっとり早いのは、噛んでみること。でも、指先で押したときの弾力で次第に柔らかさの加減が分かるようになります。充分に柔らかくなったら、ザルに取って、流水で静かに洗います。きれいに洗った鍋に戻し、水を豆の嵩の八分目まで入れます。ここに砂糖を加えます。普通は豆の量と同量の砂糖といわれますが、それではベトベトになります。すっきりとした黒豆に仕上げたいので、私は豆の量の8割にしています。この砂糖の半量を鍋に入れ、蓋をして砂糖が溶けるまで、火にかけます。ほんの5分程です。その後、蓋をしたまま完全に鍋が冷めるまで放置します。私はルクルゼの鉄鍋で作りますから、鍋が冷めるまで随分時間がかかります。蓋をとると、砂糖が溶けた分水かさが増しています。さて、完全に冷めれば、残りの砂糖を足して、再び5分程火にかけます。そのまま、一晩置けば出来上がり。この砂糖が溶けると豆と水かさがちょうど同じになります。砂糖水と豆の浸透圧の差で豆の中にじっくりと甘みが入って行きます。

 全く同じ炊き方で、新豆を元旦の晩からに始めました。黒豆は、年末あちこちに少しずつですがお分けします。それに甘みが少ないので、ポイポイと食べることが出来ます。あっという間になくなる黒豆です。

 炊く過程で新豆と古豆の大きな違いは、柔らかくなるまで火にかける時間でした。新豆が4時間に対して、8時間近くかかった古豆です。アクの出方も古豆の方が遥かに多くでました。ただ、豆の皮のはじけは圧倒的に古豆が少ない。艶や大きさは、殆ど変わりありません。ただ食感、食べたときの口に拡がる豆の香りが違います。新豆は、柔らかくほんわりとしたやさしい味です。古豆は噛みしめるとしっかりした豆の味がします。黒豆らしい香りは新豆です。 こちらは新豆。皮が弾いているのが分かります。見出し写真が古豆です。

 さて、炊く分には新豆の方が随分時間的には楽だと思います。新豆の女の子のような優しい味か、古豆の酸いも甘いも分かったような芯のある味が好きか、お好みでそれぞれです。実は、いつも最後に蜂蜜を落としててりを付けますが、今年は味比べのために、蜂蜜はパスしました。蜂蜜のほのかな香りが、味の邪魔をすると思ったからです。

 主人も私も、新物古物、甲乙付け難しという判断に至りました。モモさんは???だそうです。

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ぽち袋

2015年01月04日 | 日々のこと

晴れ、14度、88%

 お正月の3日目、香港は普通に動いています。深圳から知人が一家を引き連れて、オーシャンパークへやって来ました。奥さんは中国人、可愛い女の子二人に恵まれています。こうして、香港に子供連れで気楽にやって来れるようになったのは、ごく最近のことです。一晩香港に泊まるというので、久しぶりに夕飯を一緒にすることにしました。一日オーシャンパークで遊んだあとです。疲れているだろうと、ホテルの近くで夕飯を取ることになりました。女の子たちに会うのも久しぶり、朝からウキウキする私です。お正月ですからね、お年玉をと思い、ぽち袋を引っ張り出してきました。

 ちょっとした心付けやお金の受け渡しの時に重宝するぽち袋です。裸のお金の遣り取りをしない、紙に包む、袋に入れる、大切な習慣だと思います。ここ香港も、旧正月になるとお年玉のような「利是」の習慣があり、真っ赤な袋に入れて渡します。この利是袋、お安く沢山売っています。日本ののし袋とは違います。どちらかというとぽち袋に近い感覚です。昔は、旧正月になると空になった利是の赤い袋が道端に舞っていました。ポイ捨てがお得意な香港人の成せる技です。

 30年近く前香港に来る時に、家財道具や本などと一緒にぽち袋やのし袋も荷物につめました。「利是」の習慣があることを知りませんでした。日本人だから、ぽち袋でと思っても、こちらの人には袋より中身のお金が問題です。そんなわけで、ぽち袋は使う機会が少なく、当時のものも未だに手元にあります。見出し写真の江戸上一のものなどもその一つです。ぽち袋よりやや小さめのドル袋とも呼ばれているものです。

  こちらは最近求めたいせ辰のドル袋。 いせ辰のぽち袋。一番上の駒の絵のものは、30年近く前のものです。実際に使うために求めたぽち袋ですが、その意匠を眺めるために時には額に入れることもあります。最近求めたものより昔のものの方が、遥かに素敵です。しかも、紋章の名前まで裏書きされています。駒の絵は、「春駒」。見出しの右は「三ツ連ノ帆」、左は「亀甲扇」。

 ごく最近買い求めたぽち袋、型押しの  この4種類。アクリルの写真立てに入れて飾ってあります。

 さて、あまり子供向けのぽち袋がありませんね。上の女の子は9歳です。はて、一体いくらぐらい入れるのがいいのかしら。これまた、日本を離れて永いので、お年玉の相場すら知りません。しかも、今日には深圳に戻る子供たちに、香港のお金を上げてもね、と迷います。結局、買い置きの可愛い小物をプレゼントすることにしました。

 ぽち袋、お金の受け渡しばかりではありません。先日は、花の種が入っていました。ものを差し上げる時、こんな小さなところにまで気遣いが出来るといいなと思います。

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初夢

2015年01月03日 | 日々のこと

晴れ、13度、66%

 年末、京都の若い友人から珍しいものを頂戴しました。嵩山堂はし本の宝船。元旦の晩に枕に忍ばせておくと、いい初夢が見られるという匂い袋です。元旦におせちの準備も調うと、忘れてはと思い、 枕の上に置いておきました。

 

 私夢をよく見ます。朝起きてもどんな夢を見たか覚えています。挙げ句に、夢の中で笑ったり泣いたり、大声を上げたりと、寝言もかなり派手です。みる夢も様々。読みかけの本の続きを自分で創作してみたり、主人に怒鳴りつけたり、不思議なことに熱が出る前に見る夢だけは、小さい頃から同じ夢を見ます。この熱が出る前の夢は、私は銭湯の洗い場にいるのですが、小人のように小さくて何もかもがやたらの大きく見える夢です。フロイトさんなら夢分析をしてくださるでしょうが、きっと、分裂症とでも診断されかねません。

 元旦、休む段になって、枕の下にこの宝船を置きました。「いい夢を見ますように。」いつものように、足元には自分の枕で小さな鼾をかく方が既にお休みでした。小さな鼾の君は、寝る時は私の足元にいますが、夜半過ぎには私のお腹の辺か背中にへばりついています。そして、朝、目が覚めると、小さな鼾の君は、私の枕をほぼ大半占領して、すやすやと寝息を立てているのが、日常です。

 さて、昨日、2日の朝もこの日常が繰り返されました。私は、宝船を敷いている枕の左隅にかろうじて頭がのっかっています。かの鼾の君は枕の上にのっかり、私の顔にお尻を向けている始末です。普段なら起き抜けに夢を思い出すのに、昨日は半日かかっても思い出せません。夢で思い出すのは、起きる直前の夢だと聞いたことがあります。よしと、昨晩、もう一度宝船を枕の下に敷きました。

 今朝も、日常は繰り返され、宝船の上で目を覚ますのは私ではなく鼾の君です。今朝の夢は少し覚えています。主人と二人で、天井で廻っている赤ちゃんのベットについているようなメリーゴーランドを見上げていました。でも、それだけ。まあ、悪い夢ではありません。この鼾の君も、よく夢を見ているようです。全身で走っていることもあります。小さい頃はおっぱいを吸っているときのように、ちゅうちゅう言っていることもありました。今、鼾の君に「いい夢見た?」と聞いてみましたが、黒豆を食べるのに忙しそうです。

 涙がでるような夢や大きな声を出して怒っている夢は、朝起きたら疲れてしまいます。夢は程々がいいのかもしれません。モモさん、宝船のおかげで美味しいものを食べてる夢を見たかもね。

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今年のおせち

2015年01月02日 | 料理

曇り、14度、79%

 おかげさまで、新しい年を迎えることが出来ました。若かった頃には、毎年同じことをして年を越し、年を迎えることのありがたさが分からなかったように思います。そして、同じことを繰り返すうちに、たとえ、それが年末の慌ただしさの中でも身に付いて行くことを感じます。要は続けることでしょうか。

 結婚以来、少しずつ我が家の形になってきたおせち、息子がいた頃は肉ものが多かったように思います。それに、昔は、香港では手に入らなかった素材もありました。12月に主人か私かどちらかが帰国できる年は、やはりお正月らしいものが作れます。材料さえ調っていれば、台所に数時間こもって、料理に仕上げます。

 一の重。 今年は、一の重と二の重どちらを上に持って行くか随分と悩みましたが、生もののある方を一の重にしました。松の焼き印を押した伊達巻きも、今年は、ひと味違った大巻きに作りました。いえ、ただ、使ったはんぺんが大きいサイズだっただけです。 紅白に染めたゆりねのきんとん。古豆の黒豆。しめさばの炙り。しめさばのいいものが香港でも手に入ります。そこで、トーチバーナーを使って、炙ってみました。しめさばは少し酢に付けて塩気を落として使いました。冷凍してあった銀杏。紅白のかまぼこ。昨日の朝一番に求めてきたタイのさくを昆布じめにして、菊の花と和えたものを一品。

 二の重。 裏白椎茸。金柑の甘煮。赤かぶのなます。海老の酒蒸し。 昆布巻き。 そして、ふっくらと仕上がった牡蠣の薫製。我が家の薫製はチップは使わずに、紅茶の葉っぱで燻します。栗の甘露煮。

 三の重。 煮物です。今年は筑前煮にはしませんでした。野菜を一つ一つ炊き上げてみました。そして、私が愛して止まない、ロマネスコの緑に彩りを。百合根、白クワイ、京人参、ごぼう、蓮根、亀甲に形した里芋、こんにゃく。

 そして、もちろん、モモさんお重。 小さく切った伊達巻きやしめさばです。

   煮物も大好き。ロマネスコもぽりぽりと食べてくれます。

 おせち作りは、一つ一つの料理を作るのも楽しいものです。でも、一斉につめるものを並べて、お重につめるときの楽しさは、ひとしお。毎年同じ物とちょっと目先の変わったものをと心がけます。孫が大きくなれば、昔のようにガランティーヌや焼豚、ローストビーフが復活することでしょう。無事におせちを頂けたことに感謝します。

 

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