チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

ココさんと枇杷の実、小さなクモ

2019年05月21日 | ここ

晴、17度、60%

 庭の枇杷の実が大きくなり始めました。二階から見ると黄色く色付き始めたものもあります。この3日、風が強く半分黄色な小ぶりの枇杷が庭に落ちていました。

 ココさんは小さい時から枇杷が好きです。来てすぐの頃は歯固めもあったのでしょうが、固い落ち葉までかじっていました。モチノキの花も散ります。風で散らされたものの中から、枇杷見つけては家に持ち入ります。もちろんおやつです。 気付かずにいると、こんなものを踏みつけます。 こんなものも踏みつけます。 種を出して見事に皮だけにしてあとは放ってあります。 「どうですか?きれいに食べたでしょう。」ってなもんです。

 暖かくなるとどの部屋にも小さな家グモが這っています。動きますからココさん興味津々です。まずは匂いを嗅いで、お次に手が出ます。時々床を噛むような仕草をしている時は、家グモです。「かわいそうだから、クモさんはダメ!」と叱られます。 左の方に逃げていく家グモ。

 クモ以上に叱られるいたずらがあります。庭のカタツムリです。雨の中では動きますが、晴れると塀や木の幹にピッタリ張り付いてびくともしません。この張り付いているカタツムリを手で掻き落としていたぶります。私の「ダメ!」の大声にもくじけません。そこですっ飛んで行って救済します。雨上がりの日はまずココさんが届きそうなところに張り付いているカタツムリを高い場所に移動させることから始まります。

 夏になると大きな虫も仕留めてくれます。まだまだ「怪獣ココごん」健在です。昨夕まで雨が降りました。今朝はカタツムリ救済作業から始めます。

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ミルクピッチャー

2019年05月20日 | 身の回りのもの

曇、23度、93%

 一般にミルクピッチャーと呼ばれる小さな口と持ち手の付いたピッチャー、コーヒーや紅茶にミルクを注ぐのに使います。小ぶりですので使い道はたくさん、ピッチャーという言葉の響きも大好きでいくつか持っています。 

 珍しく家の物を買い求めました。夏に向かう陽気です、涼しげで明るい感じのミルクピッチャーです。花が描かれ私らしくないお買い物です。薄く軽いガラスにすっと引かれたグリーンの色に惹かれています。このガラス作家の小皿を見たのは2年ほど前のこと、やはりこのグリーンが目を引きました。売約済みで手に入れることが出来ませんでした。「作ってください。」とお願いして2年経ちます。新作のお仕事が多くなかなか作ってもらえずにいます。

 小さなピッチャーにはドレッシングやお醤油も入れます。ミルク入れとして使うよりこの用途が多いほどです。一人での食卓が多い最近、こんな小さな物がちょっとしたテーブルのアクセサリーになります。

 洗っていて怖いほどに薄いガラスです。「うすはりガラス」と呼ばれるガラスのようです。ミルクを入れてもかるーいピッチャー、この夏頻繁に私のお供をしてくれそうです。

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左手で掃除機をかけてみる

2019年05月19日 | 日々のこと

小雨、21度、78%

 数日前、左の肩甲骨の下が重たく感じました。運動不足に違いないと、思い付きで左手、左腕だけで掃除機をかけてみることにしました。掃除機をかける時の腕の動きはかなり伸縮を要します。私は右利きで、左手だけで掃除機を使うのは初めてです。

 掃除機は普通のキャニスター付きです。つまり小型のモーター部分も引っ張ります。初めから思うようにいきません。まずグリップが安定しません。先端のローラーの部分が水平に床に落ち着きません。握力が右に比べて低いことを思い出します。次にスイッチです。右手の時は切り替えスイッチのどれを押せばいいか指が覚えていますが、左手になっただけでいちいち目で確かめています。スイッチを入れると床面に吸い付いた状態でスティックを前後に動かすわけですが思うように力が入りません。つまり腕力が乏しいのです。そろそろと押して、そろそろと引く。これの繰り返しです。

 当然時間が右手、右腕の時よりかかります。そればかりではありません。右手でかけている時は、左手でゴミ入れやココさんの水のお椀を無意識に移動させています。ところが左手でスティックを使っていると、右手にそこのゴミ入れを動かすように頭から指令が出ています。無意識ではないのです。しかも右手のその反応はこれまた遅いものでした。

 日頃いかに左手、左腕を使っていなかったかと痛感します。この60数年、左は甘やかされていたのです。掃除機のあとモップをかけます。こちらは吸引力がないので動きはまだ楽ですが、左手ではモップが安定せず、隅を拭こうとする時には思う場所にモップが入りません。お雑巾での水拭きは日頃から左手も使うので不自由はありません。

 通常の掃除時間より大幅延長しました。右手、右腕が当たり前にこなしている作業です。それを左手、左腕に代えただけで思うように動かないばかりか、動作の度に頭から指令が出ているのに気付きました。情けない話です。そんなわけで、しばらく左手、左腕を使って掃除をするつもりです。時間がかかるのでもどかしく思いますが、ちょっと鍛え直してみるつもりです。

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想像力をかき立てるチョコレート

2019年05月18日 | 美味しいもの

雨、22度、73%

 昨日のチョコレートの続きです。皆さんが思われた通り「九条ねぎ」をはじめに食べました。もし万願寺唐辛子があったら迷ったと思います。いえ、この6つでも最後まで悩みました。「月桂樹」です。その香りとチョコレートがどう重なり合うのか?でも「九条ねぎ」を取りました。「九条ねぎ」だってどの段階の香りをガナッシュに織り込んでいるのか、きっと炒めた「九条ねぎ」に違いないと想像しながら、ひとくちではなく二口で。ガナッシュの色を見たいと思います。炒めたおねぎの甘みとその裏に潜むおねぎの香り、もし「九条ねぎ」と知らなければなんのチョコレートかと首を傾げたと思います。炒めたおねぎの甘さと言っても思い込みからかもしれません。

 もちろん昨日は朝起きてから、一粒一粒といただきました。このお店の「おしながき」が添えられていました。いただいた6種類以外にも「しょうが」やリキュールでもチョコレートには珍しいものが使われています。「月桂樹」は唸りました。強いインパクトを持ったままストレートに口に広がります。お次は「酒粕」、酒粕のほのかな甘さと柔らかな香りがチョコレートの中に流れます。「キルッシュ」はさくらんぼのお酒、チーズフォンデュに使います。さくらんぼの蒸留酒です。透明なアルコール度の高い甘くないお酒です。ストレートにガツンと「キルッシュ」香ります。お酒に弱い方は酔うと思います。一方、甘い「コアントロー」はオレンジの香りでベストマッチです。最後に「抹茶」を残しました。どこにでもある「抹茶」のチョコレートです。だから最後にしたのではありません。食べた5つはドライなチョコレートでした。乾燥しているのではなく、甘さを感じないチョコレートでした。さて、このショコラティエさんはどう「抹茶」を扱うのかしら?ややダークな抹茶のガナッシュが流れ出て来ました。「抹茶」のどの状態をチョコに取り入れたのか、抹茶のリキュールではありません。お薄でいただくお抹茶でもありません。お抹茶の粉をべろりと舐めた時のあのビターなお味です。

 贈り主が書き添えてある一言、「男性の方がお一人でやっているお店です。」きっとこのショコラティエさんはかなりの辛党と思います。5月13日の「おしながき」には28種類のチョコレートが書かれています。昨日1日この「おしながき」に向かい合っていました。「ガルダモン」の眼が覚めるような香り、「ガラムマサラ」は?想像するだけで刺激を受けました。

 最後に合わせたお茶は、お砂糖をたっぷり入れたミルクティーでした。

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チョコレートの贈り物

2019年05月17日 | 美味しいもの

晴、21度、78%

 昨夕、お散歩に出ようとしていたら小さな冷たい荷物が届きました。配達のお兄さん「すぐに冷蔵庫に入れてください。」とおっしゃいます。贈り主はいつもの友人。いそいそと家に戻ります。出て来たのはチョコレート2種類と季節の和菓子です。

 小箱のチョコレートの蓋を取りました。綺麗なチョコレート!食べたい気持ちを抑えます。お散歩から戻ったらお夕飯です。でもお散歩の間、頭の中はチョコレートのことばかり。家に帰りまたしても蓋を取りました。右の列は上から「お抹茶」「月桂樹」「九条ねぎ」左の列は「コアントロー」「酒粕」「キルッシュ」です。そして、立ったまま一つお口に放り込みました。

 最近のチョコレートブームで全国で今までにないチョコレートが作られています。「ゆず」「お抹茶」は日本だけのお菓子の素材ではなくなりました。「ゆず」「抹茶」で世界中通じます。チョコレートは他のお菓子と違っておしゃれです。小さい頃、母の実家から送られてくる荷物の底には必ず大きな板チョコが一枚、あの茶色の包れみ紙が見えるとすぐに手が伸びました。昭和30年代の話です。ヨーロッパでは「媚薬」とも言われ男性から女性に贈るもの、また本当に薬効があると信じられていたそうです。

 このところ密かに口に入れていたのは「赤唐辛子」のチョコレート、フランスのフェアトレードのものです。なくなったところにこの贈り物です。いただくチョコレートで思うことがあります。量です。2段重ねの大きな箱入りチョコレートより、小箱のチョコレートの方がちょうど良いサイズだと思うようになりました。若い頃は口いっぱいにチョコレートを食べていたのに。以前に比べ、和菓子も洋菓子もお菓子全体が小ぶりになって来たように思います。

 チョコレートをお酒と合わせる方もいらっしゃいますが、あくまでもチョコレートだけがいい。ぐっとこらえて一粒で蓋を閉めました。面白いお味です。作られた方のお顔が見て見たい。さて、私はこの6個のうちどれを食べたでしょう。

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我が家のネコさんを紹介します。

2019年05月16日 | 

曇り、20度、80%

 2年前この家に戻って来たとき、近所には2匹の猫がいました。真っ黒なネコとこのシマシマのネコです。2匹とも何もなかった庭を闊歩しています。夜になるとデッキに入ってきて、部屋の中を眺めています。モモさんもココさんもネコの姿を見ても吠えません。野良猫とは思えない体型です。昨年春にはこのシマシマが2匹の子猫を連れて歩いている姿がありました。お隣の納屋で出産したのではと思います。雨が降り始めると子連れで我が家の縁側の下に隠れることもありました。すっかり子離れしたのか、成長した子猫がそばに寄って来ると威嚇するようになりました。もう半年以上単独行動です。そして、1日の大半は我が家の庭にいます。

 なかなか美人のネコさんです。私が50センチほどの距離にいても逃げません。今回主人もかなり近くまで寄って行きました。お日様があるうちは新しくできた庭のスレートの石の上が定位置です。 寒いときは石が熱を持って暖かく、暑くなるとこの横のツツジの木陰で寝ています。冬のとても寒い日には2階のデッキでお日様を浴びて丸まっていました。夜になると裏庭に場所を変えます。大きな切り株がお好きです。 

 この2年間ネコたちの様子を観察していました。人を怖がりません。近くの方がご飯をやっている姿を幾度か見ました。町内の方が邪険に扱うことがなく生活しています。1日ネコの姿を見ないと心配になることもあります。主人が香港に帰る前にこんなことを言いました。「真奈さんのことだから必ず猫にご飯をあげるようになるね。」長年ご一緒の方のおっしゃることで、胸に思い当たる節があります。

 私はネコのノミが移る体質です。香港に行く前飼っていたネコは家を出たり入ったりしていました。夏になるとそのネコのノミに私も噛まれます。モモさんも時折ノミを散歩で拾ってきました。これまた私を噛みました。家に入れることはなくても、避妊をしてやって外で飼うこともできます。1枚目の写真は昨夕、お散歩に出るココさんを連れていました。ネコさんもココさんを見て警戒しません。

 簡単に餌を与えたりはしません。命を預かるということですから。犬、猫との生活も小さい頃からです。この猫に向かって名前で呼んでいます。猫さんがその名前を認識してくれたら我が家の猫にする時期かもしれません。そのうち名前付きで紹介する日が来そうです。

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お父さんをお見送り

2019年05月15日 | ここ

晴、18度、80%

 大きなジェラルミンのトランクを持って帰って来たお父さん、香港に戻るときは小さなバックだけで帰って行きました。いつもの飛行機より一つ早い便です。「今日はバスで飛行場まで行ってみる。」というわけでバス停までお見送りしました。

 バス停はすぐ近くです。お日様が照って来たら急に暑くなりました。暑くなったので、「ガハガハ。」バス停で待つことなくバスがやって来ました。バスの扉が「ビー。」と言って開きました。お父さんが「ココ、またね。」と言ってバスの中に入って行きました。「あれ、見えなくなっちゃった。」 お母さんがしゃがんで「あそこよ。」って言うけどお父さんは見えません。バスはお父さんだけを乗せて行ってしまいました。お母さんは手を振っていましたが、「暑いからお家に帰ろうね。」と楽しそうに歩きました。

 お父さんもあこちゃんもお兄ちゃんもお兄ちゃんのお嫁さんも、みんな急にやって来て急にいなくなります。またお母さんと二人だけになりました。

 暑くなったので、お父さんは半袖のピンクのシャツを着ました。「あなた、ピンクのシャツが似合うね。」とお母さん。お父さんはピンクや赤をよく着ます。お母さんがピンクの服を着たのを見たことがありません。「ピンクが似合うお父さん、今度はいつ帰ってくるのかな。」

 お父さんがいた4日間、「またココちゃん太ったわ。」とお母さん。お父さんはお家にいるとたくさん食べ物がもらえます。「お父さん、また帰って来てください。」

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母の日の餃子

2019年05月14日 | 日々のこと

曇り、20度、89%

 母の日の夕方、台所に立って夕飯の用意をしていました。息子から電話です。「母の日だからね。」と思い電話を取りました。

 息子一家の母の日の様子を話します。母であり妻であり仕事もしているお嫁さんに孫娘はお父さんとお夕飯を用意しているのだそうです。献立は「餃子に唐揚げ」家庭的なメニューです。5歳の孫娘は初めて餃子の皮を包んだのだそうです。微笑ましく思います。息子一家のアパートの様子を想像します、台所に立つ孫娘と息子、気になりながらもリビングで料理を待つお嫁さん、心温まる光景です。

 結婚当初何かと記念日に心を使ってくれたお嫁さんに「誕生日、クリスマス、母の日などの贈り物はいらないよ。そのお金を自分たちの為に使いなさいね。」と話しました。私の経験から子供が小さいうちはどんな家庭もやり繰りが大変なはずです。元気な息子家族の声を聞くこと3人が仲良く生活していることそれだけで十分に幸せです。

 母の日が明けた日にお嫁さんから電話がありました。「折り紙を折るように包んだ餃子はぺったんこで。」と話してくれます。彼女の言葉にも幸せを感じます。

 孫娘の小さな手が包んだ餃子です。働くお母さんが多くなった今こそ「母の日」の感謝は大事なものになって来たと思います。息子が小さかった頃の我が家3人の小さな家庭をほっと思い出しました。

 母の日の我が家のお夕飯、主人からの希望で「餃子」でした。思いもかけず両方の家で「餃子」です。孫娘の餃子を「いつの日かご馳走になりたいね。」と主人と話しました。

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身体が疲れるほどの怒り

2019年05月13日 | 日々のこと

晴れ、17度、91%

 昨日、この10年のうちで一番怒りを覚えました。大きな声も出しました。物も投げつけました。怒りと悲しみとが身体中にぐるぐると回ります。怒りはなかなか離れてくれませんでした。ひと寝入りすれば収まるかと横になっても神経が立って一向に眠れません。夕方には表面怒りが抜けたかのようでしたが、身体が憔悴するほど疲れていました。

 主人は家に戻ってくると庭の草むしりをします。草が生えていると人が手入れをしていない家に見えるからだそうです。毎日家にいる私も気がつけば、みっともない草は抜きます。それでも草取りをする主人と私とでは雑草の認識が全く違います。どの草が悪さをするのか、花を付けていてもそのうち徒長して見苦し気なる草はどれか。主人は植物の知識が乏しいのかもしれません。この家に長く住んでいるのでもなく、結婚して以来種を蒔き、水やりをして植物を育てる主人の姿を見たこともありません。私にとって雑草とは思えない草を抜いても、「認識の違い」と思って黙って来ました。

 昨日も朝から草を取っています。一緒に庭に出るとついつい口を出したくなるので私は家にいました。しばらくして座敷の外の蹲の石の辺りを見るとすっかり草が無くなっています。透かし灯呂の脇には来月にでも花が咲くだろうと楽しみにしていた植物が植わっていました。昨年の秋、珍しいその球根を送ってもらいました。籾殻に包まれて送られて来た球根は歪で小さなものでした。花姿や日当たりから透かし灯呂の脇に埋めました。寒いうちから小さな芽を出しました。暖かくなると15センチほどに成長しました。「花は来月かな?」毎朝楽しみに様子を見ます。

 15センチほどの茎が5本、全部無くなっています。主人が抜き取った草の山を広げると、中に球根をつけたままの茎が1本出て来ました。茎は男の人の無意識な手で取られていますから数カ所折れてはいますがくっついています。添木を当てて埋めようと元の場所に戻りました。見れば残り4つの球根の姿が土を透かして見えています。この時です、身体中に怒りがこみ上げて来ました。抑えようがありません。

 何が悲しいか、ここまで成長して来た植物の賢明さをむしり取られた思いです。私たちが出来ることは植物の力にほんの少し手を貸してやることです。育てたことのない人の言葉は虚しく聞こえます。

 朝目覚めても、気持ちは落ち着いていますが身体のどこかに澱が残ったような感じです。ココは初めて私が怒る姿を見たと思います。故意で抜いたのではないにしても腹立たしさは募ります。球根が夏を越してくれれば来年花をつけるかもしれません。添木を当てて植え直した苗の一番上には小さな花芽が付いています。30数年前、秋川渓谷でたった一度だけ見た小さな花です。私の思いがあっても今年は花咲くことはないと思います。

 

 

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本を読む楽しみ

2019年05月12日 | 

曇り、18度、91%

 本を読む楽しみは本を買う楽しみに始まって、数たくさんあります。もちろん読みふけっている時の楽しさは格別です。永年本を読んでいると、若い頃にはなかった楽しさがポツポツと顔を出し始めました。

 昨日新聞(読売新聞 西日本版)をめくっていると、 あまり美味しそうでない料理の写真が載っています。飛ばそうとした時人名が目に飛び込んで来ました。「神屋宗湛」、一瞬考えましたが「そうそう、神屋宗湛の日記に関する本を読んだわ。」と思い出します。「神屋宗湛」は豊臣秀吉の時代の博多の商人です。私が数十年前に「神屋宗湛」の日記に関する本を読んだのは「神屋宗湛」が博多の商人だったからではありません。

 「神屋宗湛の残した日記」井伏鱒二の本です。この本が出た頃、私は井伏鱒二に傾倒していました。日本に戻ってくる度、井伏鱒二の本を買っては香港に持ち帰っていました。本を読み終えて「神屋宗湛」の名を目にすることもありませんでした。30年近く前に読んだ本です。以来「神屋宗湛」の名前すら忘れかけているところに、昨日の新聞の記事です。

 本棚に走りましたが、香港からの帰国の引っ越しの時には沢山の本を始末しました。おそらく捨ててしまっただろうと思って探すと、ありました。30年で溜まった本はあまりにも多かったのですが連れて帰って来ていました。

 本を読む楽しみで若い頃には味わえなかった楽しみは、こうして数十年前に読んだ本の何かが後日またしても自分の前に顔を見せてくれる事です。また、長年読み続けていた作家が急に潮流の人となることもあります。そんな時は自分のことのように嬉しく思います。

 始末して残した本はいつかもう一度読み返したいと思っていた本です。手元に残っていた「神屋宗湛の残した日記」久しぶりに井伏鱒二の文体に触れてみようと思います。

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