チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

納豆の器

2019年10月11日 | 身の回りのもの

晴、18度、83%

 納豆の器には六角形のものが良いと聞いたのはずいぶん以前のことでした。なぜ六角形が良いのか、かき混ぜるのに適しているからという理由だったと思います。うろ覚えなのは私はほとんど納豆を混ぜないからです。一方、主人はよくかき混ぜます。

 主人も私も60年近く前の福岡生まれ、当時は納豆を食べる習慣などなかったこの地方です。二人とも納豆を口にしたのは高校を出て上京して以降のことです。良くかき混ぜて食べなさいなどと誰も教えてくれませんでしたから、私は軽くネギやお醤油が絡まる程度に混ぜます。先日、納豆チャーハンを作っていました。油をたっぷりと熱くした中に納豆を入れてあの粘りを切ります。その様子を見ていた主人にこっぴどく叱られました。「納豆はしっかりかき混ぜるんだよ!」その剣幕にびっくりします。主人は納豆を食べ始めた頃、関東出身の方によくかき混ぜるものだと教わったそうです。一説には200回という方もいらっしゃるそうです。

 納豆は六角形の器が良いと聞いた時、我が家にはちょうどの大きさの六角形の器が2つありました。納豆に卵やおかかなどをかけても十分の大きさです。主人がかき混ぜる様子を見ていても飛び出すこともありません。色の薄い安南手は夏用に濃い茶色は冬用に、いつの間にか納豆専用の器になりました。寒くなり始めたので茶色の器を出して来ました。2つ並べて、あらっと面白い事に気付きました。この2つ、作った方は日本人ではありません。安南手はカンボジアの方、茶色い方はイタリア人。カンボジアの方は奥様が日本人ですから納豆も食べられるかもしれません。イタリア人の陶芸家はおそらく納豆は食べたことがないと思います。

 納豆の粘りがついた器を洗っていて手が滑ります。そのまま器を割ってしまったことも幾度もあります。カップ型の容器に入った納豆はそのカップのままで食べるように出来たそうです。最近の納豆の容器は蓋が取れるように出来ています。それも容器のまま納豆を食べるためだと知りました。美味しい納豆ですが確かに器を洗うのは厄介です。でもあの白い容器のままいただくのはちょっとまだ遠慮します。

 向付に煮物やなんかを盛っていた六角形の器は、すっかり納豆の為だけに使っています。茶色い器にお白和えを入れたら綺麗だろうなあと写真を見ながら思います。

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老人施設を2軒見学しました。

2019年10月10日 | 日々のこと

晴、16度、88%

 今月初めに義母の介護度の見直し調査が行われました。現在、要支援2です。この調査が行われる度、立ち会って来ました。なぜか調査の方が来られると義母はハッスルします。みえる前からブツブツと今日の日付などを確認しています。今回の調査の方は今までの方とはちょっと違った質問でした。認知症は年相応と判断なさったと思います。この介護度によって選べる老人施設の範囲が変わります。私の母、義父と介護度の高かった人の施設探しをして来た経験があります。この数年の内に細かな決まりも出来て来ました。

 昨日伺った2軒は病院のソーシャルワーカーの方のおすすめでした。病院内のケアマネージャのようなことをする人です。老人介護施設は年々数を増しています。何を基準で選べばいいのか私なりに模索します。昨日の2軒は、「環境はいいけれど建物が古い」「建物は新しいけれどリハビリの施設などが物置になっていて運営の雑さを感じる」ものでした。

 新しい建物は大事なポイントです。日々暮らします。トイレやお風呂場の設計、器具も新しく使いやすいものが出て来ています。小さなことですが私はこうして点も見逃さずにいます。病院との連携がどのくらいなのか、働いている職人の方たちの笑顔度も観察。全部満点でなくてもいいのですが、昨日の2軒は考え込みました。

 母の時は全部で7軒回ったと記憶しています。しかも全部公共の交通機関を使いました。たった2軒、しかも納得のいかない所に義母を入所させたくありません。本人の義母は主人や私の前では入所を認めますが、病院の職員の方や友人には「絶対に入りたくない。」と言っているそうです。今回はなんと言われようが入所してもらいます。寒さに向かいます。昨年初めのような自宅で意識不明でふた晩も倒れられたらと思うと気が気では有りません。この時のことを母は全く覚えていません。警察、救急車、あんな思いは私も真っ平です。

 昨夕からPCの前に座り片端から老人施設を検索しました。アポを取り見学することなど大したことではありません。さあ。また老人施設探しが始まりました。義母を心地よい施設にと願うと多少の苦労はかえって元気になります。介護度の結果が出て、来月中には入所になると思います。

 今回の介護認定にみえた区の職員の方から「義理の仲ですから、お大変でしょう。あと一息ですよ。」と声をかけていただきました。こんなこと初めてです。その言葉に肩の重さがすっと溶けて行くのを感じました。

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なめくじハウス、再び登場

2019年10月09日 | 庭仕事

晴、16度、77%

 朝が少し涼しくなると秋蒔きのハーブの種を蒔きます。ルッコラ、チャービル、パクチー、パセリ、どれも家で採った種です。苗用のポットは使わず直蒔きします。今年も先週蒔きました。1週間もすると芽が出始めます。ほっと安堵。ところが一晩明けてみると、どの新芽も跡形も無くなっていました。がっかりというより怒りが湧いて来ました。今年は珍しい芋虫たちが出現しました。大きさも5センチ近くある緑と黒のシマシマです。全部私の手で始末しました。でも新芽の周りには大きなフンもありません。とすると、なめくじに違いありません。

 春に買った「なめくじハウス」はもう使い切っています。急いで新しいものを買いに行きました。ホームセンターの園芸用品売り場には「なめくじ」対策の薬がたくさん積まれています。ということは私以外にも「なめくじ」を目の敵にする人が大勢いるわけです。「なめくじハウス」以外の薬の裏書も注意深く読みました。地面に直接撒くタイプのものは効果も長く「絶対死ぬ」とまで書かれています。その袋を手にレジに向かいました。と、気付きました。地面に撒くと「なめくじ」ばかりか大好きな「でんでん虫」も食べます。「それはいけない。」と棚に戻して「なめくじハウス」を取りました。 「なめくじハウス」なら小さな「でんでん虫」でも入ることはできません。

 今朝はぐっと気温が下がりました。この気温になると新たに蒔いた種の発芽は遅くなります。夏の虫たちはそろそろ寿命が来る頃です。「なめくじ」も「蚊」も嫌なものたちは寒さにも負けずに動いています。我が家はこの「なめくじハウス」に当分お世話になることになりそうです。「ココさん。なめくじハウスなんか匂わないでよ!」

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主人と二人で昔住んでいた町を訪ねました。

2019年10月08日 | 日々のこと

曇、22度、81%

 日本を離れる前に家族んで住んでいた町を時折訪ねます。40歳を過ぎた息子が幼稚園に入ったのも小学校に入学したのもこの町です。古い住宅街です。街並みは変わりませんが、私鉄の駅は地下に入りました。駅前のお店も知っているお店はほとんど姿を消しました。駅舎だけは変わらず保存されています。

 駅前のロータリから伸びる放射線状のいくつかの道がある特徴ある眺めです。 この町が開発された時の決まり事で家の外回りは低い大谷石の石垣、その上は生垣と決まっていたそうです。整然とした美しさがありました。生垣の木は好きなものを使っていても生垣の間からはお家の様子が伺えます。洋館あり日本家屋ありの街並みでした。今では外塀は様々です。流石に高い塀を張り巡らしている家は奥まったところにしかありません。

 道沿いのイチョウの木は深い木陰を作っています。 この道が我が家に通じる道でした。突き当たりは公園があり緩やかな下り坂、そこからきつい登り坂を上がったところに住んでいました。現在は中の家も見えないほどの高い塀で囲まれた家になっています。

 来る度に荒れ果てた家の数も増えました。かと思うと最近の建築物も見られます。家を存続させて維持して行くことの難しさをこの町は見せてくれます。私たち一家は大きなお家の離れを借りて生活していました。おそらくこの町で一番小さな家だったのではないでしょうか。テツという名前の犬もいました。リキという名前の猫もいました。リキは2度も子猫を生みました。

 雨上がりの肌寒い空気の中、この町の重さを感じます。今主人が住んでいる武蔵野の面影が残る町も古い町です。同じ東京なのに土から立ち上がる匂いが違います。 住んでいた家の裏から出るとこの町で一番高い場所に出ます。多摩川が見えその向こうは川崎です。小学校1年生になった息子を背をってこの坂を降りたことを思い出しました。春の月が出ていました。おたふく風邪にかかった息子をおじいさん先生がやっている医院へ連れて行くためでした。これが息子を背をった最後です。重たかった。

 主人も私も訪れる度に何かを感じます。ただの懐かしさではありません。私たちの行先も見える年代になりました。20代の若かった頃住んでいた町がいつ来てもたくさんのことを教えてくれます。

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岸田劉生展 東京ステーションギャラリー

2019年10月07日 | 日々のこと

曇、19度、75%

 一昨日、上京しました。いつものようにお昼前に福岡を発ちます。羽田に着くと、思いかけず主人以外にも息子と孫娘の出迎えに会いました。行く前から、羽田から東京駅に行きたいと主人には伝えてありました。ステーションギャラリーで開催中の「岸田劉生展」に行くためです。空港で孫娘たちとは別れて東京駅に向かいます。主人と一緒に訪れる美術展は何年ぶりでしょう。

 岸田劉生没後90年を記念しての催しです。岸田劉生の描いたものは娘「麗子像」の数々の絵しか実際に見たことがありません。ただ、雑誌「白樺」に投稿していた劉生の文章をまとめた本を数年前に読みました。劉生自身の生い立ちやその画歴もおおよそは知っているつもりでした。今回は時系列に展示されています。画家を主体にした場合、美術展は時系列に展示するのが基本だと思います。画家の作品、その頃どんな人に師事し何に影響を受けていたか、どういう交友関係にあったのか、そうして背景を知ることで当時の劉生像が浮かび上がってきます。あまり知られていないことですが劉生は一時日本画家に転向します。その日本画も今回は多数紹介されています。

 37歳という若さで世を去ります。長生きしていれば多くの作品に会えたことと思います。多くの「麗子像」、「自画像」この2つのテーマも女性像の「麗子像」老年の「自画像」と年を重ねることが出来たのではと若くして亡くなったことを悔やまれます。「麗子像」「自画像」以外はほとんど初めて見るものばかりでした。劉生がヨーロッパの印象派に影響を受けた頃の初期の作品の一つ「築地風景」と題された油絵が私の心には残りました。夕方の光景です。夕日の様子を表現したかったのでしょう。真ん中にまっすぐ伸びた道がピンクに染まっていました。いつか私自身が見た光景と心の中で重なります。

 主人は私などよりはるかに丁寧に作品を見て回ります。忙しい仕事の間のお休み、ポッと頭に空間が出来てくれたらと思います。ギャラリーを出ると丸の内口の美しいファサードが待っています。東京駅の改築はまだ進んでいますが、辰野金吾が造った当初の東京駅の美しさはずっと残して欲しいものの一つです。

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蒸し鳥のオープンサンドイッチ

2019年10月06日 | 昨日のお昼ご飯

曇、20度、91%

 オープンサンドイッチもいろんな呼び方があります。フランス風なら「タルティーヌ」北欧風なら「スモーブロー」、パンの種類が違うとか言われますがパンの上に具材がのっている単純な食べ物です。ジャムだってよし、魚介類だってよし、ローストしたお肉でもこれといって決まりはありません。

 初めてスモークサーモンやマリネしたエビがのったオープンサンドイッチを食べたのは、スカンジナビア航空の機内食でしたからさしずめ「スモークブロー」だったのだと思います。今から半世紀以上前の機内食はエコノミーでも豪華でした。

 残り物のお肉やお魚のオイル漬けを乗せることが多いのですが、わざわざ蒸し鶏をオープンサンドイッチのために作りました。ローストした鶏肉よりジューシに仕上がる蒸し鶏が好きです。皮の香ばしさは、ローストしたものには劣ります。その上、蒸した後の蒸し汁は美味しいスープとして使います。このお昼ご飯のために朝焼いたフランスパンを残しておきました。蒸し鶏との間にはイングリッシュマスタードを塗ってあります。和辛子ほどツンとしません。蒸し鶏には辛子の粒の入ったディジョンのマスタードは粒が重く感じます。美味しいパンと火を入れ過ぎない蒸し鶏のコンビネーションはマスタードの辛味と相まって美味しくいただだけます。蒸し鶏にもやはりもも肉を使います。皮がどうも苦手なら皮を剥ぎ、余分な脂は手で取って蒸すと後に残ったスープも美味しくできます。スープは一晩冷蔵庫で寝かせると脂が固まりますので、それを外して使います。簡単なお昼ご飯でした。

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朝のお散歩はピコピコを付けて

2019年10月05日 | ここ

晴、20度、92%

 日が昇るのがだんだん遅くなり始めました。ココさんの決まったお散歩時間は暗いうちです。時間をずらすといいようなものですが、ココさんの体内時計はトイレの時間が決まっているように思います。この2年、家で粗相をすることは全くありません。その上、庭で用を足すこともありません。大雨の日でも一応お散歩に出かけます。地面に雨が跳ね返るようなときは、女の子で腰を落として用を足すのでチーもプーもしないで家に帰ってくることもあります。それでも次のお散歩まで我慢しています。あまりにいじらしいので出来る限り決まった時間に連れて出ます。

 住宅街で街灯は灯っています。国道沿いを歩けばコンビニもあり明るい中を歩きます。それでも周りは暗い、自転車の人たちには足元のココさんが見えないこともあるはずです。暗くなるとピコピコと私が呼んでいる小さなライトが登場です。こんなライトを探していたときに友人からいただいたものです。ボタン型の電池を入れて使います。ずっとついたままの状態、ゆっくりと点滅する状態、早く点滅する状態の3種類が使い分けることができます。点滅が早いと確かに目を引きます。 ココさんのお腹か背中で光っているのでご本人は気付いていない様子です。

 今から来年の4月くらいまで、毎朝この赤いピコピコがココさんを守ってくれます。

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チンしたカボチャ 蒸したカボチャ

2019年10月04日 | 昨日のお昼ご飯

曇、24度、86%

 先日、立派なトウモロコシをいただきました。生産者の方からの美味しい食べ方が書かれたパンフレットが入っていました。茹でるのも、蒸すのも当たり前ですが一番初めに書かれていたのは薄皮をつけたまま電子レンジでチンする方法でした。電子レンジでお芋や野菜を調理したことがありません。パンフレットにはそのままラップに包んで冷凍保存するといいと書かれています。早速、電子レンジでチン。熱々にかぶりつきました。美味しい。チンする前に生で食べていますのでその甘味の変化に気づきます。コクのある甘さに変わっています。せっかくの美味しいトウモロコシです、主人にも食べて欲しいと指示通りラップに包んで冷凍しました。主人が帰宅してトウモロコシを食べてもらいました。美味しいともなんとも言いません。がっかりしてもう1本の端をかじりました。冷凍した野菜の味の変化以上に旨味が落ちています。もう一度がっかりしました。

 「電子レンジで下ごしらえ」とよく耳にもしますしレシピなどにも書かれています。私は旧態然とした調理法です。電子レンジを使うと2酸化炭素は排出されません。そんな思いからか電子レンジで野菜のチンを試みました。

 トウモロコシのお次はカボチャです。蒸したかぼちゃが大好きです。茹でるのではありません。茹でるとねっとりします。蒸すとほっくりします。何も付けずに蒸しあげたカボチャをパクパクいただきます。乱切りにして軽くラップをかけてチンしました。ラップを取るときは高熱で火傷しそうです。熱々の電子レンジでチンした蒸しカボチャの美味しいこと。たくさんチンしましたのでそのまま冷まして冷蔵庫に入れました。翌日もご飯の合間につまみ食いするつもりです。翌日そのカボチャを一つつまみました。冷たいからでしょうか昨日ほど美味しくはありません。全部出してきてお皿に並べました。

 蒸し器で蒸したカボチャは翌日になっても甘味は落ちません。冷たくなるのでちょうど良い硬さになっています。なのに電子レンジでチンしたカボチャはうまさは半減、妙な硬さを感じます。チンの時間が長かったからかしら?ともう一度カボチャを買ってきてチンしてみましたが、同じ結果です。

 このひと月で私が得た答えは「お野菜の電子レンジチンはやめよう。」でした。野菜の細胞に働きかける仕組みが火を使うのとマイクロウェーブでは違うのでしょう。せっかくのお野菜です。最後まで美味しいと思われる形で食べてやりたいと思います。

 

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6角形の小椅子

2019年10月03日 | 身の回りのもの

雨、28度、81%

 高さが40センチほどの小椅子があります。竹で出来ています。 香港に行った当初、30年以上前に買ったものです。雑貨屋さんの高い天井には大きなザルなどがぶら下げられて売られています。その中にぶら下がっていた小椅子です。とてもお安いものです。当時、500円もしなかったのではと思います。この6角形の形が珍しくて求めました。4角のものは今でも探せば売っていはずですが、6角の小椅子はこれしか見たことがありません。

 香港人、どんな時に小椅子を使うのでしょう。市場のお豆腐屋さんでは根っこや豆殻を取ったもやしが売られています。お高いもやしです。高級なレストランではこうしたもやしを使います。「銀芽」と呼ばれるもやしです。「銀芽」をせっせと作っているのはおばあさん達でした。ずらりと並んだおばあさん達はこんな小さな竹の椅子に座って、ひたすらもやしの根っこと豆殻を取っていました。もう見ることとない光景です。

 我が家ではベットサイドにランプを置いて使っていました。こんな一見ボロなものを引越しの荷物に入れるかどうか一瞬迷ったことを覚えています。庭で使えばいいわと日本にやって来ました。この2年、プリンターを乗せて使っていました。プリンターの台が別にできたので、「マコデス」を育てているガラスのドーム専用に日の当たる場所に移しました。 今まで2階に置いていたのでココさんがこの椅子を見るのは初めてです。興味深げにクンクンと匂います。もしかしたら微かにモモさんの匂いがするのかもしれません。

 竹は丈夫です。香港では工事現場の足組も竹を使っていました。流石に古いこの椅子、足台にするには怖い。香港生まれの竹の椅子は日本の縁側でゆっくり日向ぼっこです。

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サーモンのお刺身 ホッケの開き

2019年10月02日 | 昨日のお昼ご飯

雨、25度、85%

 福岡は地元で捕れるお魚が美味しい町です。鯛は大きいものから小さいものまで一年中それぞれの美味しさを届けてくれます。もちろんお造りにするとその身の締まった歯触りとふんわりと口に広がる甘みは「やっぱり鯛!」と思わせます。イカも透明なお刺身がいただけます。まとわりつくようなねっとりとした甘さは白っぽいイカのお刺身では味わうことが出来ません。もちろん、そんな新鮮で美味しいお魚を一夜干しにした干物はこれまた美味しいに決まっています。

 私が一番好きなお刺身はノルウェーのサーモンです。干物で好きなのは北海道のホッケの開きです。長く日本を離れていたからこんな好みになったのかしら?と訝しく思います。いえ、ホッケの開きは香港では手に入りませんでした。福岡でもどこにでも売っているわけではなく、「北海道物産展」で見つける大きなホッケの開きは必ず買い求めます。

 福岡を離れて42年、再びこの地に住むようになってこの土地のお魚の美味しさに目覚めます。18歳まで生活した福岡でお魚の記憶がほとんどありません。父の夕餉には必ずお刺身が2種類は付きました。行きつけのお魚屋さんに行くと、母の顔見たお兄さんがさっと白板に乗ったのふた船のお刺身を新聞に包んでくれました。毎晩のお酒の当てです。それ以外はお魚が食卓には上りません。母はお魚が苦手な上に料理をほとんどしなかったからです。

 主婦になって私が台所に立つようになったのは東京でした。今のように日本中が同じものを食べることはまだ少なかった時代です。東京には東京のお魚の美味しさがありました。私がお魚好きになったのは東京のお魚です。サーモンのお刺身が好きなのは紛れもなく「香港人好み」の影響に違いありません。香港に入ってくるサーモンのお刺身は日本に入って来るものより脂が乗っています。

 私の嗜好はこれから変わるかもしれません。子供の頃から福岡の美味しいお魚を食べていたらまた違っっていたかもしれません。好きなものを食べると生きているなあ、幸せだなあと感じます。

 

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