マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

ローカルな風景 第6回 (上田交通5251形展示)

2007-03-11 15:20:22 | ローカルな風景
こんにちわ。

昨日なんとなくウェブ検索をしていたら上田交通の5251形(元東急電鉄5200型)が有志による化粧直しを経て、今年5月5日に展示イベントが実施されるという記事を見つけました。

私も過去1度だけ同線を尋ねたことがあり、この時は元東急の5000型(アオガエル)やこの5200型が現役で走っておりました。あれからかなりの年月が経っているため、もう既に解体されたと思っていたのですが、保存されていたのですね。鉄道会社にとっては負担だと思いますが、このように貴重な車輌を保存していただけるというのは、ファンにとって大変喜ばしいことだと切に思います。

では、駄作ですが、当時の写真をアップいたします。

撮影は、すべて平成元年11月4日です。





我が愛車と。(昭和54年式 トヨタ スプリンターSR 2ドアクーペ)
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ローカルな風景 第5回 (東武鉄道熊谷線)

2007-03-11 01:05:22 | ローカルな風景
皆さんこんばんわ。

今日は、東武熊谷線をお届けいたします。

東武鉄道熊谷線は、埼玉県熊谷市から北へ伸びる、わずか4駅間のミニ路線でした。本来は、終点の妻沼(めぬま)から利根川を渡り、反対側から建設していた小泉線とつながる計画でしたが、第二次世界大戦の影響や利根川橋梁の工事に困難さから建設は休止になり、結局は利根川を越えることはできませんでした(昭和49年に正式に工事中止決定)。同線は、東武鉄道の旅客営業線では最後まで残った非電化路線としても有名な存在でした。キハ2000型が3両配置され、原則単行運転でラッシュ時には重連が組まれていたこともあったようです。全線が1閉塞(へいそく)区間で、途中に交換設備はありませんでした。

私が高校3年生になったとき、当時の国鉄でも赤字ローカル線の廃止が騒がれていた頃、東武鉄道の中でも異端であり超赤字であった同線の廃止が取り沙汰されるようになり、同級生と初めて訪れることになりました。

撮影は、すべて昭和56年8月28日 妻沼駅にて

終点「妻沼(めぬま)」駅にたたずむキハ2000型


妻沼駅を後にするキハ2000型


キハ2000型の運転台


熊谷に向けて出発を待つキハ2000型

この日は生憎の雨模様。オマケにモノクロであったため、かなり硬調な写真になってしまいました。


そして、ついに熊谷線の廃止が決定いたします。この頃は、各地の旧型国電廃止のブームもあり、熊谷線を訪れることは無かったのですが、ちょうど休みの日でもあったので、最後のお別れに行って参りました。

以下は、昭和58年5月31日最終日の写真です。

妻沼~大幡間にて この日は終日重連で運行された


妻沼~大幡間にて ミニ鉄橋を渡る重連


大畑駅にて キハ2000型 最後の晴れ姿


そして、この日を最後に、東武熊谷線は廃止となりました。さよなら「プッチ」!

コメント (4)
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