こんばんわ。
14日は撮影に出掛ける予定なので、日が変わる頃に間に合うように更新作業を行っております。
本日のネタは、489系の「新雪」です。
「新雪」という特急列車の歴史は、季節・臨時列車である割には古く、息の長い列車であったと言えます。最初は「181系」から始まり、183系0番台、183系1000番台、時には185系や485系も起用されています。
「新雪」は、スキー列車である性格上、早朝や夜間の運転が多く、上野口では走行写真の撮り辛い列車でした。しかも、181系「新雪」を見ることができなかった私としては、幕張車の183系や185系といった車輌には、あまり食指が動かなかったのも事実です。
しかし、あるとき「ダイヤ情報」を見て、489系で運転されることを知りました。しかし、発車は20:16と遅い時間のため、ストロボを使いたくない私には酷な時間でした。
そこで、489系の運用を考えた場合、16時台に到着する上り「白山」の間合い運用であることは想像できたので、放課後、ダメ元で「白山」の到着を待っておりました。すると、到着時間が近づいたとき、ヘッドマークを持った係員が近寄ってきたのです。そう、「新雪」と書かれたヘッドマークを持って。「シメた!」と思いました。ヘッドマークを交換してからの尾久引き上げでした。
ボンネット車で運用された「新雪」。(「白山」到着直後のシーン)
このころ、既にボンネット型のヘッドマークもイラスト化されており、文字マーク自体が貴重な存在でした。
しかも、使用されたヘッドマークは181系時代のもので、「新雪」の上半分に雪の結晶マークが施された、国鉄時代には他に類を見ない洒落たデザインでした。
こちらは貫通型489系200番台の「新雪」。
ヘッドマークは用意されておらず、シールでの対応でした。しかし、これもイラストは難しかったのでしょう、53・10以来消えて久しかった文字マークで、私は非常に喜んだ記憶があります。
昭和56年のシーズンでは、下り1・7号と上り2・4号の設定があり、7号が489系で、その他は幕張区の183系0番台で運用されました。
写真の7号は、このシーズンは4日間のみの運転で、ボンネット車が2日間、貫通型が1日の運転を確認しています。(もう1日は確認していなかったような気がします。)
その後のスキー列車については、全国的にリーズナブルな価格のシュプール号へと変わって行き、「新雪」号というスキー特急の代名詞のような愛称であった列車は、静かに消えていきました。
14日は撮影に出掛ける予定なので、日が変わる頃に間に合うように更新作業を行っております。
本日のネタは、489系の「新雪」です。
「新雪」という特急列車の歴史は、季節・臨時列車である割には古く、息の長い列車であったと言えます。最初は「181系」から始まり、183系0番台、183系1000番台、時には185系や485系も起用されています。
「新雪」は、スキー列車である性格上、早朝や夜間の運転が多く、上野口では走行写真の撮り辛い列車でした。しかも、181系「新雪」を見ることができなかった私としては、幕張車の183系や185系といった車輌には、あまり食指が動かなかったのも事実です。
しかし、あるとき「ダイヤ情報」を見て、489系で運転されることを知りました。しかし、発車は20:16と遅い時間のため、ストロボを使いたくない私には酷な時間でした。
そこで、489系の運用を考えた場合、16時台に到着する上り「白山」の間合い運用であることは想像できたので、放課後、ダメ元で「白山」の到着を待っておりました。すると、到着時間が近づいたとき、ヘッドマークを持った係員が近寄ってきたのです。そう、「新雪」と書かれたヘッドマークを持って。「シメた!」と思いました。ヘッドマークを交換してからの尾久引き上げでした。
ボンネット車で運用された「新雪」。(「白山」到着直後のシーン)
このころ、既にボンネット型のヘッドマークもイラスト化されており、文字マーク自体が貴重な存在でした。
しかも、使用されたヘッドマークは181系時代のもので、「新雪」の上半分に雪の結晶マークが施された、国鉄時代には他に類を見ない洒落たデザインでした。
こちらは貫通型489系200番台の「新雪」。
ヘッドマークは用意されておらず、シールでの対応でした。しかし、これもイラストは難しかったのでしょう、53・10以来消えて久しかった文字マークで、私は非常に喜んだ記憶があります。
昭和56年のシーズンでは、下り1・7号と上り2・4号の設定があり、7号が489系で、その他は幕張区の183系0番台で運用されました。
写真の7号は、このシーズンは4日間のみの運転で、ボンネット車が2日間、貫通型が1日の運転を確認しています。(もう1日は確認していなかったような気がします。)
その後のスキー列車については、全国的にリーズナブルな価格のシュプール号へと変わって行き、「新雪」号というスキー特急の代名詞のような愛称であった列車は、静かに消えていきました。