マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF58132・133 補足画像

2008-10-04 17:15:57 | EF58のアルバム
今日、体調不良のため医者に行ってきたのですが、やはり風邪をひいてしまったようです。
喉が痛いだけで熱も無く鼻水も出ないですし、喉の痛みも普通は急激に重たくなったりするのですが、ちょっと痛いくらいで中途半端です。

そんなんで、仕事の疲れもあって出掛けるのも面倒、特に今週は臨時列車の運転も無いので、新ネタが出来ません。
大宮操車場のネタを3日間続けてアップしたらアクセス数も急激に落ちたので、カンフル剤としてゴハチネタを入れておきたいと思います。

過去ログ http://diary.jp.aol.com/marutetsu/405.html で『EF58131~136(上越形ノーマル機)』というのをアップしたことがあるのですが、このとき132号機の写真がありませんでした。今年の年頭に大量のスキャニングをした中から132号機を発見することが出来ましたのでご紹介したいと思います。合わせて、133号機も出てきましたので追加画像としてアップいたします。


昭和56年12月 東北本線 蕨駅構内にて EF58132牽引 荷物列車

ブレちゃって判りづらいですが132号機です。ピンも来ていないかもしれません。
高崎二区のカマとしては何ら特徴のない純粋な上越形ですね。上から撮ったので、屋上に常磐線用の列車防護無線アンテナが付いているのが確認できます。
高崎二区のEF58は、この1年後には2機を除いて廃車となっていますので、ほぼ終焉に近い頃の写真となります。



昭和54年3月 東北本線 川口駅付近にて EF58133牽引 臨時急行列車

133号機の牽く12系客車を使用した臨時急行で、影の長い時間帯から推測して急行「佐渡54号」かと思われます。
上越新幹線が開業するまでは、比較的電車化の早かった上信越急行でも若干の客車を使用した急行列車が運転されていました。
川口駅東口の開発も行われていないので、空が広く見えますね。当時、駅前の高い建物と言ったら○井くらいでしたね。画面右端に見えるの第一勧銀のマークも懐かしいですね。半分に掛けていると、ハートチョコを思い出します。(←貰ったことがないので自分で買って食べた。)



昭和55年 東北本線 蕨~西川口間にて EF58133牽引 荷物列車

こちらも133号機の追加画像です。フィルム現像を自分でやった結果、焼き込み過ぎてメチャクチャ高コントラストの荒れた画像になってしまいました。
この目線の高さからも、常磐線用の無線アンテナは目立ちますね。

並べてしまうとパッとしない高崎二区のゴハチ。しかし、アレだけの両数を抱えていながら保存機が無いのは悲しいことですね。

今日は爆裂危険状態です。よろしこお願いします →  鉄道ブログランキング
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大宮操車場 ハンプ入換の情景 貨車散転篇

2008-10-04 07:50:17 | 大宮操車場
おはようございます。
昨夜は体調不良のため、更新せずに寝てしまいました。仕事中から喉がいがらっぽく、今でもチョット痛いです。どうも風邪っぽい。今年は夏風邪を引かなかったので、今になって来てしまったかという感じです。
コメントのご返事が遅くなってしまいましたが、この記事がアップしておりましたらボチボチ進めさせていただきます。申し訳ございません。

さて、昨日の続きで、今日はいよいよハンプ(小高い丘)から貨車を転がします。これを『散転』と言います。大宮操車場で言うと、大宮操車場のほぼ真ん中辺りにある東西(上下本線)にある発着線に到着した列車から、本務機関車を切り離し、同時に貨車間に繋がっているブレーキ用のエアホースを全て外します。
単独の束となった貨車は、大宮方に連結された入換機(DE10又は11)に牽かれ、ハンプの引上げ線(ほぼ大宮駅に近いところ)へと連れてこられます。

ここから、上野方面に向かって推進により貨車を押し出し、後は必要なところで連結器を外され、バラバラにされた貨車は下り坂を勝手に転がって行くことになります。これを『散転』と言います。



照明塔の上から大宮駅方向を一望した写真です。
左上の奥に見えるのが暫定開業した東北・上越新幹線の大宮駅です。外回りで歩いて15分くらい掛かります。
左側の屋根が掛かっている部分で、入換手がブレーキの検査と予め手渡されている『分解表』を元に切り離しを行います。

ブレーキ検査は、手ブレーキの利きの有無を調べます。ブレーキの利かない(壊れているなど)貨車を坂から転がした場合、下で受け手となる入換手が飛び乗ってブレーキを掛けても止めることが出来ないわけですから、激突や脱線といった重大事故に繋がる恐れがあります。よって、これを防止するために行われるものです。



この場所がブレーキ検査と切り離しを行うセクションで、阪阜(ハンプ)部の1セクションですが、通称『山』と言われています。
ここで切り離された貨車は、ひたすら坂を転がって、下に待つ広大な群線へと流れ着くことになります。



散転は、上下列車とも別の作業ダイヤで動きますので、上りから引き上げて下りへ流す(東北線から高崎線へ、或いはその逆)といった協調作業以外は、上り班と下り班との連携はありません。全く別と言っても良いでしょう。
ただし、作業の開始時間は休憩等の都合もありますので、写真のように上下同時に散転されることが多いですね。ちなみに、右側が上り列車、左側が下り列車です。
写真のホキ2200なんかも、確か全廃になってもう見られなくなったのではないでしょうか。



上の写真の位置から上野方向を見た写真です。この写真を見る限りでは、大した勾配には見えませんよね。詳しい落差は分かりませんが2階建ての屋根の高さまではありませんから、せいぜい5m程度ではないでしょうか。
しかし、甘く見ては行けません。坂を転がる距離は実質100m強ぐらいでしょうから、40‰以上あるということになります。ノーブレーキでここを転がってくる貨車は40km/h以上のスピードになります。

このように、切り離されて自由運動になった貨車は、速度を制御する装置『カーリターダー』で速度を落とされながら、自分の決めれた群線へと落ちていくわけです。もちろん、勝手には止まってくれませんので、ここで私の仕事である入換手の出番となるわけです。

多分、殆どの皆さんは入換の経験が無いでしょうから、文章を読んでいても疲れてしまうと思います。よって、ここで一旦切らせていただいて、間隔をおいてアップして行こうと思います。

鉄道ブログランキング ← ちょっと落ち込みました。よろしくお願いいたします。
コメント (8)
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