こんばんわ。
昨日はポチを沢山いただきありがとうございました。
いやぁ~段々寒くなってきましたね。この頃ブログを打っているとつま先が冷たくてキツくなってきました。2年くらい前から冷え性になってしまったんですよね。
さて、今日は身延線の旧型国電の中からクハ47をピックアップしてみます。
クハ47形は、戦前を代表する近郊型電車で、2扉クロスシートを設備した車両です。2扉間に小窓がズラリと並ぶ壮観さが私好みです。
模型とかやってらっしゃる方はご存知かもしれませんが、クハ47は奥深い車両なんです。
クハ47自体は20m車両なんですが、相棒となる電動車はモハ32(後のクモハ14)で17mの車両なんです。このクハ47が20m級電車の始祖なんですね。同時に製造されたサロ45、サハ48も勿論20m級です。電動車であるモハ32だけが17mであったのは、モーターを積んだ分重量が重く、車体剛性に影響があったため(つまり、車体が重さでそってしまう)と言われています。
クハ47は大きく分けると3つのグループがあり、モハ32系制御車の0番代、モハ32系サハ48に運転台取付改造を施した50番代、さらに、モハ42系20m車を相方とする貫通型の100番代のバリエーションとなっていました。
※レアなところだと、17m車の事故車両の台枠を20mに延長の上に2扉の新製車体を乗せたクハ47011というのがいました。残念ながら、私は実物を見たことはありません。
昭和56年8月21日 身延線 西富士宮駅構内にて クハ47003
こちらは基本番代の003。小窓がズラリと並ぶ壮観さ、たまらんです。正面の雨どいは改造されてカマボコ型になっていますが、直線のままの原形のものが数両居たようです。残念ながら写真には残っていなかったようです。
昭和56年7月23日 身延線 鰍沢口~落居間にて クハ47(番号不明)
こちらは番号不明ですが、基本番代車です。上の写真は正面窓が全部木製の桟のままですが、こちらの車両は3つともHゴム化されているので、相当印象が変わります。この辺りは好みの問題ですが・・・。それにしてもこのリベットの数はすごいですね。何千個付いているのでしょうか?(笑)
昭和56年8月21日 身延線 富士駅にて クハ47051
こちらは中間付随車サハ48を改造した50番代の051。全く同じような運転台を取り付けたので、一見して基本番代との区別は難しいです。正面から見ると、新設運転台にはリベットがありませんので、比較的簡単に識別できます。こんなところにも時代の技術の差が現れているんですね。
身延線にはモハ42系の100番代も居たのですが、どうも写真が見つかりません。個人的は、短足なイメージのある32系より、正面に貫通路の付いた100番代の方が好みです。
身延線のクハ47は、飯田線の同形式よりもバリエーションも車両数自体も多く、旧車研究では恰好な路線だったと思うのですが、私が初めて訪れたときには既に115系のワインレッド車も運用が始まっており、どうも撮りきれなかったようですね。
何といっても圧巻は、2扉間オールロングシートのクハ47ではないでしょうか。私はあまり好きにはなれなかったですけど(笑)。
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昨日はポチを沢山いただきありがとうございました。
いやぁ~段々寒くなってきましたね。この頃ブログを打っているとつま先が冷たくてキツくなってきました。2年くらい前から冷え性になってしまったんですよね。
さて、今日は身延線の旧型国電の中からクハ47をピックアップしてみます。
クハ47形は、戦前を代表する近郊型電車で、2扉クロスシートを設備した車両です。2扉間に小窓がズラリと並ぶ壮観さが私好みです。
模型とかやってらっしゃる方はご存知かもしれませんが、クハ47は奥深い車両なんです。
クハ47自体は20m車両なんですが、相棒となる電動車はモハ32(後のクモハ14)で17mの車両なんです。このクハ47が20m級電車の始祖なんですね。同時に製造されたサロ45、サハ48も勿論20m級です。電動車であるモハ32だけが17mであったのは、モーターを積んだ分重量が重く、車体剛性に影響があったため(つまり、車体が重さでそってしまう)と言われています。
クハ47は大きく分けると3つのグループがあり、モハ32系制御車の0番代、モハ32系サハ48に運転台取付改造を施した50番代、さらに、モハ42系20m車を相方とする貫通型の100番代のバリエーションとなっていました。
※レアなところだと、17m車の事故車両の台枠を20mに延長の上に2扉の新製車体を乗せたクハ47011というのがいました。残念ながら、私は実物を見たことはありません。
昭和56年8月21日 身延線 西富士宮駅構内にて クハ47003
こちらは基本番代の003。小窓がズラリと並ぶ壮観さ、たまらんです。正面の雨どいは改造されてカマボコ型になっていますが、直線のままの原形のものが数両居たようです。残念ながら写真には残っていなかったようです。
昭和56年7月23日 身延線 鰍沢口~落居間にて クハ47(番号不明)
こちらは番号不明ですが、基本番代車です。上の写真は正面窓が全部木製の桟のままですが、こちらの車両は3つともHゴム化されているので、相当印象が変わります。この辺りは好みの問題ですが・・・。それにしてもこのリベットの数はすごいですね。何千個付いているのでしょうか?(笑)
昭和56年8月21日 身延線 富士駅にて クハ47051
こちらは中間付随車サハ48を改造した50番代の051。全く同じような運転台を取り付けたので、一見して基本番代との区別は難しいです。正面から見ると、新設運転台にはリベットがありませんので、比較的簡単に識別できます。こんなところにも時代の技術の差が現れているんですね。
身延線にはモハ42系の100番代も居たのですが、どうも写真が見つかりません。個人的は、短足なイメージのある32系より、正面に貫通路の付いた100番代の方が好みです。
身延線のクハ47は、飯田線の同形式よりもバリエーションも車両数自体も多く、旧車研究では恰好な路線だったと思うのですが、私が初めて訪れたときには既に115系のワインレッド車も運用が始まっており、どうも撮りきれなかったようですね。
何といっても圧巻は、2扉間オールロングシートのクハ47ではないでしょうか。私はあまり好きにはなれなかったですけど(笑)。
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