こんばんわ。
昨日の横浜は、天気が悪くても随分賑わったようですね。
朝から天気が悪い(雨+暗い)ので何も撮りに行かなかったのですが、レトロの送込み回送があるのをスッカリ忘れてました。
今週は会社の仕事を持ち帰ってきてしまい、しかも昨日は一切手を付けられなかったので、今日も出掛けられそうにありません。天気が良ければ、夕方の返却回送を撮ることが出来るかもしれないので、何とか期待したいと思っています。
さて、今日は久し振りにブルトレネタをアップいたします。
このブログを始めて間もない頃、「あけぼの」とコラボで20系「ゆうづる」の記事をアップしたことがありましたが、まだフィルムスキャンが出来なかったので、かなり写りの悪い写真だったんですね。
なので、今回はネガからスキャンしたものを再掲してみたいと思います。出来栄えはあまり変わらないような気がしますが・・・。
オートハーフでの撮影で、写真の明るさから察して昭和51年の夏休みに撮影したものと思われます。
時刻表から検証すると、右側のナハネフ22(19番線)が上野5:55着「ゆうづる2号」で、左側のナハネフ21(20番線)が6:00着の「ゆうづる3号」のようです。
「ゆうづる1号」は5:20に既に到着しており、蕨駅を始発電車に乗ってギリギリ間に合うくらいですから、当時中学1年生の駆け出し駅撮りテツにはかなり厳しかったようですね。この列車ですら蕨を5:10くらいの電車に乗らないと撮れないですから、かなりその気で撮影に臨んだものと思われます。
ナハネフ21は、3等座席車のナハフ21を寝台化改造した車輌で、少数派の貴重な車輌です。青森運転所の所属で、「ゆうづる」「日本海」に共通運用で使用されていました。
※「あけぼの」も青森所の共通運用があった筈ですが、ナハネフ21を使用しているシーンは記憶にありません。
上の写真の「ゆうづる3号」をアップで撮った写真です。車掌室のカーテンが異常に汚いですね(笑)。
ストロボを焚いちゃっているんですが(当時は未だストロボを使ってはいけないという風潮が無かった。というか、ストロボ自体が高級品で、なかなか買えるシロモノではなかった。)、青森所の特徴であるテールマークの赤地が吹っ飛んじゃってますね。
こちらは、左側(20番線)が上野6:34着の20系「ゆうづる4号」で、右側(19番線)が後を追ってきた6:37着の583系「ゆうづる5号」ですね。
「ゆうづる4号」が青森を19:20に発車しているのに対し、「ゆうづる5号」は実にその1時間50分後の21:10に後を追ってきます。もちろん、583系は機関車の付替えも不要ですので、物理的な要因以外にもその俊足振りを発揮していました。
この後直ぐとなる昭和51年の9月頃には、「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系25形化され、これに合わせて「ゆうづる」の客車が押し出された24系24形となり、20系「ゆうづる」は消滅しています。「ゆうづる」に使用されていた20系は、「新星」「天の川」といった寝台専用急行に転用されることになります。
こちらはオマケ画像です。
やはり同じ昭和51年頃に撮影したオートハーフによる写真です。場所は西川口~蕨間です。
ブレてしまって、撮った私でしか判らないような写真で恐縮です。本来ならボツ写真となるものですが、最後部の車輌が初代20系の電源車であるマニ20なので、敢えて掲載させていただきました。
こちらは、やはり昭和51年、東大宮操車場での写真です。どちらが何号の回送かまでは判りません。奥はピントが合ってなくて判りづらいですがカニ21「ゆうづる」で、手前が583系「ゆうづる」ですね。当時は規制が非常に厳しかったですが、珍しくこの場所を動かないという条件で許可をくれました。ギャラリーも7・8人いたからかな?
「ゆうづる」の20系客車のうち2本は、上野から尾久客への推進回送後、カマを付替えて東大宮操車場へと回送されます。夜しか見ることの出来ない電源車を、ここ蕨で毎日見ることが出来たのです。
この回送ですら早朝の時間帯となるので、殆ど撮ることは出来ませんでしたが、偶然にも貴重なマニ20を捉えていました。個人的にはカニ22の方が好きなのですが、残念ながら写真には残っていませんでした。
EF80他、「ゆうづる」のアーカイブを用意してありますので、こちらからご覧になってみて下さい。
← ポチをしてからお願いしますね!(-人ー)
昨日の横浜は、天気が悪くても随分賑わったようですね。
朝から天気が悪い(雨+暗い)ので何も撮りに行かなかったのですが、レトロの送込み回送があるのをスッカリ忘れてました。
今週は会社の仕事を持ち帰ってきてしまい、しかも昨日は一切手を付けられなかったので、今日も出掛けられそうにありません。天気が良ければ、夕方の返却回送を撮ることが出来るかもしれないので、何とか期待したいと思っています。
さて、今日は久し振りにブルトレネタをアップいたします。
このブログを始めて間もない頃、「あけぼの」とコラボで20系「ゆうづる」の記事をアップしたことがありましたが、まだフィルムスキャンが出来なかったので、かなり写りの悪い写真だったんですね。
なので、今回はネガからスキャンしたものを再掲してみたいと思います。出来栄えはあまり変わらないような気がしますが・・・。
オートハーフでの撮影で、写真の明るさから察して昭和51年の夏休みに撮影したものと思われます。
時刻表から検証すると、右側のナハネフ22(19番線)が上野5:55着「ゆうづる2号」で、左側のナハネフ21(20番線)が6:00着の「ゆうづる3号」のようです。
「ゆうづる1号」は5:20に既に到着しており、蕨駅を始発電車に乗ってギリギリ間に合うくらいですから、当時中学1年生の駆け出し駅撮りテツにはかなり厳しかったようですね。この列車ですら蕨を5:10くらいの電車に乗らないと撮れないですから、かなりその気で撮影に臨んだものと思われます。
ナハネフ21は、3等座席車のナハフ21を寝台化改造した車輌で、少数派の貴重な車輌です。青森運転所の所属で、「ゆうづる」「日本海」に共通運用で使用されていました。
※「あけぼの」も青森所の共通運用があった筈ですが、ナハネフ21を使用しているシーンは記憶にありません。
上の写真の「ゆうづる3号」をアップで撮った写真です。車掌室のカーテンが異常に汚いですね(笑)。
ストロボを焚いちゃっているんですが(当時は未だストロボを使ってはいけないという風潮が無かった。というか、ストロボ自体が高級品で、なかなか買えるシロモノではなかった。)、青森所の特徴であるテールマークの赤地が吹っ飛んじゃってますね。
こちらは、左側(20番線)が上野6:34着の20系「ゆうづる4号」で、右側(19番線)が後を追ってきた6:37着の583系「ゆうづる5号」ですね。
「ゆうづる4号」が青森を19:20に発車しているのに対し、「ゆうづる5号」は実にその1時間50分後の21:10に後を追ってきます。もちろん、583系は機関車の付替えも不要ですので、物理的な要因以外にもその俊足振りを発揮していました。
この後直ぐとなる昭和51年の9月頃には、「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系25形化され、これに合わせて「ゆうづる」の客車が押し出された24系24形となり、20系「ゆうづる」は消滅しています。「ゆうづる」に使用されていた20系は、「新星」「天の川」といった寝台専用急行に転用されることになります。
こちらはオマケ画像です。
やはり同じ昭和51年頃に撮影したオートハーフによる写真です。場所は西川口~蕨間です。
ブレてしまって、撮った私でしか判らないような写真で恐縮です。本来ならボツ写真となるものですが、最後部の車輌が初代20系の電源車であるマニ20なので、敢えて掲載させていただきました。
こちらは、やはり昭和51年、東大宮操車場での写真です。どちらが何号の回送かまでは判りません。奥はピントが合ってなくて判りづらいですがカニ21「ゆうづる」で、手前が583系「ゆうづる」ですね。当時は規制が非常に厳しかったですが、珍しくこの場所を動かないという条件で許可をくれました。ギャラリーも7・8人いたからかな?
「ゆうづる」の20系客車のうち2本は、上野から尾久客への推進回送後、カマを付替えて東大宮操車場へと回送されます。夜しか見ることの出来ない電源車を、ここ蕨で毎日見ることが出来たのです。
この回送ですら早朝の時間帯となるので、殆ど撮ることは出来ませんでしたが、偶然にも貴重なマニ20を捉えていました。個人的にはカニ22の方が好きなのですが、残念ながら写真には残っていませんでした。
EF80他、「ゆうづる」のアーカイブを用意してありますので、こちらからご覧になってみて下さい。
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