こんばんわ。
どうもこのところブログアップしても、結果がチグハグで納得行かないというか、気持ちが悪い。マンネリ化してきたかな・・・。少し冷却期間をおいた方が良いのでしょうかね。
今日は何となく画像の写真を漁っていたら、なんとなく旧型客車をアップしたくなったので、1度は過去ログで紹介させていただきましたが、急行「津軽」を機関車じゃなく客車篇としてまとめてみました。
昭和48年頃 蕨~西川口間にて EF57牽引 上り急行「津軽1号」(再掲)
私が未だ写真を撮り始めた頃のものです。小学校4年生だと思います。
早朝から線路際に出て撮った写真。現在、良く「あけぼの」を撮っている場所です。
編成から一見して「津軽」と判る写真ですが、荷物車、座席車に続く3両目になにやら怪しい客車が連結されています。車体断面からおそらくスハネ30では無いかと思われます。この時代だとこんな寝台車がまだ現役だったんですね。
昭和51年 蕨~西川口間にて EF57牽引 上り急行「津軽2号」(再掲)
ハーフ判なのでブレてしまってます。仕方ないんで勘弁してください。
上野に9時台に到着する「津軽」は、付属編成を連結しないため、荷物車の直ぐ後にスロ62を連結しているのが特徴です。青塗装が殆どの急行列車の中で、茶色のマニ36も良いアクセントとなっています。
昭和51年 蕨~西川口間にて EF57牽引 上り急行「津軽2号」(再掲)
こちらも上の写真と同じ年代に撮ったものですが、妻板から足回りまで雪まみれになっていますので、おそらく1月から2月頃に撮った写真でしょう。もしかしたら、昭和52年かもしれません。
昔々、上野に着く夜行列車は、みんな雪国の便りを乗せて到着したんですよね。今では雪どころか、夜行列車自体が激減しちゃいましたね。
昭和57年5月 浦和~南浦和間にて EF5884牽引 上り「津軽2号」(再掲)
ずぅ~と時代が流れて、東北新幹線開業直前ですね。
寝台車は10系が存置されましたが、座席車は12系化されています。
荷物車・グリーン車は既に外されていますが、A寝台車はまだ連結されています。
何故かこの間、全然「津軽」の写真を撮っていないんですよね。昭和54~56年頃は、南浦和~蕨~西川口間でもかなり写真を撮っていた筈なんですが、9時代の「はくつる」「津軽」の時間は避けていたようです。何故だかは良く憶えていませんけど。
3枚とも 昭和57年11月6日 上野駅にて EF5889牽引 「津軽2号」
上越新幹線開業直前、上野駅へ時代の変遷の様子を収めに行きました。
標準塗装時代のEF5889の牽引で上野駅に到着した上り「津軽2号」。たった半年後なのに、A寝台車もとうとう運用から外れてしまいました。新幹線の開業により、東北方面の夜行列車は完全に冬の時代と化してきました。
※追加画像
昭和57年 上野駅にて EF58122牽引 「津軽4号」
これ、上の写真と同日でしょうかね。記録が曖昧です。
やはりA寝台がなくなり、わずかにマニ36とB寝台が1両だけ残った寂しい姿です。
新幹線が開業すれば、客車急行列車も殆どが消滅し、EF58の運用も縮小することが目に見えていました。しかし、上の89号機やこの122号機は誰もが予想しないほど長く生き残ったわけですね。
昭和60年1月5日 東北本線 栗橋~東鷲宮間にて EF58154牽引「津軽」
昭和58年7月のダイヤ改正で1往復が廃止、同時に20系化された「津軽」。ナロネ21を改造した自由席車ナハ21を3両連結してグレードアップを図りましたが、自由席車が少ないことから苦情が殺到、間もなくオール14系座席車に変わります。しかし、今度は寝台車が連結されていないことへの不満が出てきたため、14系寝台車を併結することとなりました。
写真は、そんな過渡期を越えた14系寝台車+座席車の時代で、結局は、この姿が最後の客車急行「津軽」となり、後に電車化→臨時列車化→廃止という運命を辿ることになりました。
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せっかく良い時間帯を走っていた列車なのに、本当に撮った数が少ないです。これは「津軽」以外にも、「はくつる」や「あけぼの6号」にも共通して言えます。14系ハザ時代や、20系時代、そして電車時代。全く撮っていません。
どうもこのところブログアップしても、結果がチグハグで納得行かないというか、気持ちが悪い。マンネリ化してきたかな・・・。少し冷却期間をおいた方が良いのでしょうかね。
今日は何となく画像の写真を漁っていたら、なんとなく旧型客車をアップしたくなったので、1度は過去ログで紹介させていただきましたが、急行「津軽」を機関車じゃなく客車篇としてまとめてみました。
昭和48年頃 蕨~西川口間にて EF57牽引 上り急行「津軽1号」(再掲)
私が未だ写真を撮り始めた頃のものです。小学校4年生だと思います。
早朝から線路際に出て撮った写真。現在、良く「あけぼの」を撮っている場所です。
編成から一見して「津軽」と判る写真ですが、荷物車、座席車に続く3両目になにやら怪しい客車が連結されています。車体断面からおそらくスハネ30では無いかと思われます。この時代だとこんな寝台車がまだ現役だったんですね。
昭和51年 蕨~西川口間にて EF57牽引 上り急行「津軽2号」(再掲)
ハーフ判なのでブレてしまってます。仕方ないんで勘弁してください。
上野に9時台に到着する「津軽」は、付属編成を連結しないため、荷物車の直ぐ後にスロ62を連結しているのが特徴です。青塗装が殆どの急行列車の中で、茶色のマニ36も良いアクセントとなっています。
昭和51年 蕨~西川口間にて EF57牽引 上り急行「津軽2号」(再掲)
こちらも上の写真と同じ年代に撮ったものですが、妻板から足回りまで雪まみれになっていますので、おそらく1月から2月頃に撮った写真でしょう。もしかしたら、昭和52年かもしれません。
昔々、上野に着く夜行列車は、みんな雪国の便りを乗せて到着したんですよね。今では雪どころか、夜行列車自体が激減しちゃいましたね。
昭和57年5月 浦和~南浦和間にて EF5884牽引 上り「津軽2号」(再掲)
ずぅ~と時代が流れて、東北新幹線開業直前ですね。
寝台車は10系が存置されましたが、座席車は12系化されています。
荷物車・グリーン車は既に外されていますが、A寝台車はまだ連結されています。
何故かこの間、全然「津軽」の写真を撮っていないんですよね。昭和54~56年頃は、南浦和~蕨~西川口間でもかなり写真を撮っていた筈なんですが、9時代の「はくつる」「津軽」の時間は避けていたようです。何故だかは良く憶えていませんけど。
3枚とも 昭和57年11月6日 上野駅にて EF5889牽引 「津軽2号」
上越新幹線開業直前、上野駅へ時代の変遷の様子を収めに行きました。
標準塗装時代のEF5889の牽引で上野駅に到着した上り「津軽2号」。たった半年後なのに、A寝台車もとうとう運用から外れてしまいました。新幹線の開業により、東北方面の夜行列車は完全に冬の時代と化してきました。
※追加画像
昭和57年 上野駅にて EF58122牽引 「津軽4号」
これ、上の写真と同日でしょうかね。記録が曖昧です。
やはりA寝台がなくなり、わずかにマニ36とB寝台が1両だけ残った寂しい姿です。
新幹線が開業すれば、客車急行列車も殆どが消滅し、EF58の運用も縮小することが目に見えていました。しかし、上の89号機やこの122号機は誰もが予想しないほど長く生き残ったわけですね。
昭和60年1月5日 東北本線 栗橋~東鷲宮間にて EF58154牽引「津軽」
昭和58年7月のダイヤ改正で1往復が廃止、同時に20系化された「津軽」。ナロネ21を改造した自由席車ナハ21を3両連結してグレードアップを図りましたが、自由席車が少ないことから苦情が殺到、間もなくオール14系座席車に変わります。しかし、今度は寝台車が連結されていないことへの不満が出てきたため、14系寝台車を併結することとなりました。
写真は、そんな過渡期を越えた14系寝台車+座席車の時代で、結局は、この姿が最後の客車急行「津軽」となり、後に電車化→臨時列車化→廃止という運命を辿ることになりました。
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せっかく良い時間帯を走っていた列車なのに、本当に撮った数が少ないです。これは「津軽」以外にも、「はくつる」や「あけぼの6号」にも共通して言えます。14系ハザ時代や、20系時代、そして電車時代。全く撮っていません。