こんばんわ。
昨日はまったりな1日でした。こんなことで良いのか???
今日から3月、月初の仕事は忙しい。年度末も掛かってきたことだし、どうなりますか。
さて、こちらはこちらで平常どおりの運転をします。久し振りの電車特急で、上野~秋田・青森を結んでいた特急「いなほ」の485系200番代貫通型、文字マーク時代をその1としてアップいたします。
ちなみに、過去ログ『485系「いなほ」:上野時代総集編 非貫通型』はこちらをご覧下さい。
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昭和51年 上野駅にて
上野駅19・20番線で583系「みちのく」と顔を揃えた「いなほ」。昭和53年10月のダイヤ改正まで長く見られた風景です。確か、「やまびこ」からの折り返しのため、上越線経由の特急ながらも地平ホームから発車していました。
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昭和52年 西川口~蕨間にて
下りの「いなほ」号です。併走する京浜東北線の103系低窓クモハも今や懐かしい思い出。
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昭和52年 東十条~赤羽間にて
現在の埼京線側から撮影したもので、高架化される前は、赤羽駅の東十条寄りに踏切があり、安全に撮影することが出来ました。奥の土手が京浜東北線の線路です。
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昭和52年 蕨~西川口間にて
定番の場所での写真。この頃の東北特急は、「あいづ」を除き全てが12連又は13連。全ての昼行特急は食堂車を連結・営業しており、特急列車としての貫禄を備えていました。
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昭和53年3月12日 新前橋駅にて
新前橋駅構内を通過する特急「いなほ」。現在では昼行全ての特急が停車する新前橋駅ですが、当時は1本も特急が停まることはありませんでした。
この文字マーク時代に撮影した「いなほ」は何故か貫通型ばかりで、非貫通型の写真は殆ど残っていません。おそらく、青森運転所配置の車両は貫通型が多かったのではないかと思われます。昭和53年10月以降は485系1000番代の増備がかなり進んだようで、秋田運転所の本格稼動することになります。これにより、「いなほ」の秋田回転及び「つばさ」「やまばと」の全列車が秋田運転所持ちとなり、非貫通型が台頭することとなっていきます。
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昨日はまったりな1日でした。こんなことで良いのか???
今日から3月、月初の仕事は忙しい。年度末も掛かってきたことだし、どうなりますか。
さて、こちらはこちらで平常どおりの運転をします。久し振りの電車特急で、上野~秋田・青森を結んでいた特急「いなほ」の485系200番代貫通型、文字マーク時代をその1としてアップいたします。
ちなみに、過去ログ『485系「いなほ」:上野時代総集編 非貫通型』はこちらをご覧下さい。
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昭和51年 上野駅にて
上野駅19・20番線で583系「みちのく」と顔を揃えた「いなほ」。昭和53年10月のダイヤ改正まで長く見られた風景です。確か、「やまびこ」からの折り返しのため、上越線経由の特急ながらも地平ホームから発車していました。
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昭和52年 西川口~蕨間にて
下りの「いなほ」号です。併走する京浜東北線の103系低窓クモハも今や懐かしい思い出。
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昭和52年 東十条~赤羽間にて
現在の埼京線側から撮影したもので、高架化される前は、赤羽駅の東十条寄りに踏切があり、安全に撮影することが出来ました。奥の土手が京浜東北線の線路です。
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昭和52年 蕨~西川口間にて
定番の場所での写真。この頃の東北特急は、「あいづ」を除き全てが12連又は13連。全ての昼行特急は食堂車を連結・営業しており、特急列車としての貫禄を備えていました。
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昭和53年3月12日 新前橋駅にて
新前橋駅構内を通過する特急「いなほ」。現在では昼行全ての特急が停車する新前橋駅ですが、当時は1本も特急が停まることはありませんでした。
この文字マーク時代に撮影した「いなほ」は何故か貫通型ばかりで、非貫通型の写真は殆ど残っていません。おそらく、青森運転所配置の車両は貫通型が多かったのではないかと思われます。昭和53年10月以降は485系1000番代の増備がかなり進んだようで、秋田運転所の本格稼動することになります。これにより、「いなほ」の秋田回転及び「つばさ」「やまばと」の全列車が秋田運転所持ちとなり、非貫通型が台頭することとなっていきます。
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夏とかGWはかなり指定券が取り辛いんです(T_T)。
村上に行った時、日本海の景色がとても綺麗でした!
京浜東北の103系が妙に懐かしいです。
確かに文字マークの頃は貫通型ばかりで、絵入りになってから非貫通の写真が多くなってます。
今でも485系の牙城ですが、新幹線青森開業で新型車が押し出されて置き換わってしまいそうですな。
非貫通の文字マークは私も撮ってないかもしれないです。
今はアクセス特急となって本数が増えましたから良い方ではないですか?昔は2往復しかなかったので、多客期の指定券確保は大変だったと思います。だから夜行列車の需要も多かったのではないでしょうか。私の年代から見ても、当時の「いなほ」は高級品で、一般的には「佐渡」→「羽越」の乗り継ぎなんかが良いところではなかったかと思います。
今のまま推移していけば、東北で最後に残る特急になる可能性がありますね。「かもしか」なんていうのもありますけど、羽越新幹線なんてできたら、おそらく名前は変わってしまうでしょう。まあ、現状の整備新幹線でも財源的にすったもんだやってますから、羽越に新幹線が走るなんていうのは夢で終わってしまいそうですね。
非貫通型はほんとに少なかったようですね。2枚目(←私ではない)の写真が出てきたので、ダサイですが次回アップいたします。
何故か300番代の写真見かけないようです。
4851000番代の投入後しかいなほは実際に見てませんし、乗った事も無いので詳しくは解らないですが。
やはりあの色は、いつ見ても良いですね~。
いつまでも、頑張ってほしいものです。
陸羽西線を改軌して、山形新幹線を酒田まで延伸の話しが、いつまでも浮き沈み・・・。
その際は、JR側は「いなほ」を廃止するとか。
前県知事の時に、費用対効果で、振り子車両は見送りとなりましたが、羽越本線の高速化で話しが進んだはずですが・・・。
羽越本線って日本海縦貫線のくせに、トンネルが国鉄時代に完成していて、未使用で見捨てられているんです。
新潟市内の白新線連続立体化の計画も具体化した様で、その際は「いなほ」と新幹線が同一ホームで乗り換え出来るようですが。
私は近所に住んでいますので、「やまびこ」「ひばり」も満遍なく見た感じがします。上野「いなほ」の末期は1往復が1000番代になってしまったため、貫通型はなかなか見ることができなくなってましたね。
地元ならではの情報ですね。こちらでは羽越新幹線の話はまるで聞いたことがありません。新幹線を作るほどの需要・・・と言う点では無理があると思います。新在直通ならまだしもですがね。
しばらくは「いなほ」は安泰だと思いますが、北海道新幹線の開通如何で、余った車両が回されると、未更新の485系は危険ですね。