こんばんわ。
早くも1月半ば。
仕事の忙しさと連休のお陰で、大した成果も弾き出せないまま、無常に時間が過ぎて生きます。
もっと長いスパンで見ると、国鉄を退職して今の仕事も25年になります。永年勤続って言うんですか?早いもんです。
過去ログで『5年目に突入しちゃいました^^)』なんてネタを出したのも既に1年近く前。その5年目ももうすぐ終わろうとしています。我ながら良く続いているなと思いますよ。
それはさておき、ネタを振ったまま1年近くも放ったらかしにしてしまいましたので、お詫びを申し上げると共に全貌をお話させていただきます。

昭和59年1月頃、場所はお察しのとおり東北本線の利根川橋梁です。
かつては上下線で離れた間に入り写真を撮ることができた有名撮影地。東北本線沿線の中でも随一だった場所です。

しかし、老朽化した鉄橋はカーブの解消と共に用済みとなり、少し離れたところに直線で橋脚の少ない立派なトラス橋が架かりました。

これらの写真は、かつてはあまり訪れたことの無い茨城県側となります。
旧橋梁は上下線に分かれて独立していました。おそらくは単線の開業の後、複線化により増設されたものだったのでしょう。或いは、建設当初の時代では強度の関係で、複線を支えることができなかったのでしょうか。
栗橋側の取り付け部では直線でしたが、古河側はややカーブしながら取り付いていたのを記憶しています。
かつては旧型客車のデッキにドアを開けたまま座り、ガーターが足元に近づいてくるスリルを味わいながら乗ったものです。その頃はデッキから落ちて命を落とすような人は居なかったので、そのような行為をしていても注意を受けることはありませんでした。
この写真を撮ったときは新線に代わって間もないですが、撤去工事の速さは凄まじいものでした。コレよりちょっと前に行ったとき、撤去済みのトラスやガーター橋の瓦礫の山積みが残っており、それらの写真もかなりの枚数で撮っていたのですが、それらのリバーサルが水難事故に遭い、すべて廃棄してしまいました。
その頃は皆さんにお見せできる時代が来るとは思っていませんので、ためらうも思い切って処分してしまったのですが、数枚でも保存して置けば良かったと後悔しています。
EF57と共に、多感な時期を一緒に歩んだ鉄道の光景でした。

ぽちっと下さい!
早くも1月半ば。
仕事の忙しさと連休のお陰で、大した成果も弾き出せないまま、無常に時間が過ぎて生きます。
もっと長いスパンで見ると、国鉄を退職して今の仕事も25年になります。永年勤続って言うんですか?早いもんです。
過去ログで『5年目に突入しちゃいました^^)』なんてネタを出したのも既に1年近く前。その5年目ももうすぐ終わろうとしています。我ながら良く続いているなと思いますよ。
それはさておき、ネタを振ったまま1年近くも放ったらかしにしてしまいましたので、お詫びを申し上げると共に全貌をお話させていただきます。

昭和59年1月頃、場所はお察しのとおり東北本線の利根川橋梁です。
かつては上下線で離れた間に入り写真を撮ることができた有名撮影地。東北本線沿線の中でも随一だった場所です。

しかし、老朽化した鉄橋はカーブの解消と共に用済みとなり、少し離れたところに直線で橋脚の少ない立派なトラス橋が架かりました。

これらの写真は、かつてはあまり訪れたことの無い茨城県側となります。
旧橋梁は上下線に分かれて独立していました。おそらくは単線の開業の後、複線化により増設されたものだったのでしょう。或いは、建設当初の時代では強度の関係で、複線を支えることができなかったのでしょうか。
栗橋側の取り付け部では直線でしたが、古河側はややカーブしながら取り付いていたのを記憶しています。
かつては旧型客車のデッキにドアを開けたまま座り、ガーターが足元に近づいてくるスリルを味わいながら乗ったものです。その頃はデッキから落ちて命を落とすような人は居なかったので、そのような行為をしていても注意を受けることはありませんでした。
この写真を撮ったときは新線に代わって間もないですが、撤去工事の速さは凄まじいものでした。コレよりちょっと前に行ったとき、撤去済みのトラスやガーター橋の瓦礫の山積みが残っており、それらの写真もかなりの枚数で撮っていたのですが、それらのリバーサルが水難事故に遭い、すべて廃棄してしまいました。
その頃は皆さんにお見せできる時代が来るとは思っていませんので、ためらうも思い切って処分してしまったのですが、数枚でも保存して置けば良かったと後悔しています。
EF57と共に、多感な時期を一緒に歩んだ鉄道の光景でした。

ぽちっと下さい!
以前つばささんが出したクイズのタネ明かし、成る程と納得いたした次第であります。
さて、昔の橋脚関連ですが、東海道東京口でも茅ヶ崎~平塚間にある相模川橋梁のソバに、大正の関東・伊豆の大地震のさいに崩壊したレンガ造りの旧橋脚が崩れた際の状態で今も見る事が出来ます。
それでは、これにて私は失礼いたします。
こういった施設、それも使われなくなったのを、撮るって事が好きな人でないと撮らないですね。
廃墟ブームなどもあり、こういった光景が見直されてますが、フィルムの消費にもつながるので敬遠しがちでした。
記事には書きませんでしたが、河川法上は河道内の障害物は最低限しか設けられませんので、用途がなくなった場合は直ちに撤去しなければなりません。
写真でも判りますが、河川敷よりも河道内の方が早く無くなっているのは、河川管理者による指導が入るものであり、この辺りは施工者も常識として捉えているものと思います。
東海道線の件は見た記憶があるように思いますが、当然にして放置している訳ではなく、「残している」のではないですかね。詳しくは知りませんけど。
フツーに壊しているだけと言うような景色でしたら、きっと写真まで撮ることは無かったでしょうね。やはり中学以来、有名撮影地として何度も訪れ、田舎に行くときは必ず渡る道。そうした特別な想いがあったからに他ならないと思います。鉄橋を撮った写真もあったような気がしますので、見つけたらまたスキャンしてみます。