こんばんわ。
アクセス数もポチもマッタリして、いまいちハイテンションになれないつばさです。
土日は600件を超えたアクセスは一体何処に行ってしまったんでしょうか・・・。
さて、気は取り直せませんが・・・orz
過去ログで『キハ183系900番代 登場の時 特急「おおぞら」』という、自分で言うのも何な貴重な記事をご紹介したことがあるのですが、今日はその900番代が本線デビューした頃の写真をアップしたいと思います。
キハ183系900番代は、先行試作と言うことで、結構長い期間の試運転が行われ、さらに試行営業と言えるような暫定営業が永らく行われました。おそらく、北海道向けとして初めての機軸を盛り込んだ新性能気動車だけに、各種データの集積やトラブルの把握など各種テストが行われたのでしょう。技術的な内容は良く知りませんが、直ぐには量産車が誕生していない点で想像が付きます。
私が初めて北海道に行った昭和55年3月時点では逢えなかったのですが、翌年の昭和56年には営業運転に就いていました。ただし、編成予備が無かったために、毎日片道の運転という設定でした。(当時の「おおぞら」は、函館~釧路間というロングランのため、片道走行が限度だったのです。)



昭和56年3月 日付不明 札幌駅にて
札幌駅で出逢ったキハ183系900番代。量産車が製造されていない頃なので、この時点では編成の全てが900番代で組成されています。
外観での最大の特徴は、空調装置の不具合に備えて、各車両にスウィング式で開閉できる窓が付いていたことです。※3枚目の写真の右端の窓を見ていただくと良く判ると思います。
これは781系900番代特急型電車にも共通した構造ですが、いずれも量産車では採用されずに密閉式となり、試作車も量産車に合わせて共通化改造され、最大の特徴を失ってしまいました。その点では登場初期の貴重な写真となります。


昭和56年3月17日 根室本線 新得~落合間にて 「おおぞら4号」
こちらは狩勝峠の入口辺りで撮った写真です。1日のうち片道しか運用に入れないキハ183系900番代ですので、撮れるか撮れないかは運次第でした。
まあ、せっかく来たのにピントがあっていない、構図もメチャクチャな写真で終わってしまったのが非常に残念です。逆光だったのも災いしました。それでも、特徴のあるキロ182-900番代(キロ182の中で、唯一デッキが車端にある構造。)が判るのが救いでしょうか。

昭和56年3月20日 函館本線 姫川~森間にて 「おおぞら5号」
こちらは帰り掛けに撮った函館本線内での写真です。なんとも上の写真と同じような構図、しかも逆光で冴えない写真になってしまいました。
しかし、キロ182-900番代に加え、キハ184(中間電源車→後のキロ184-901)まで判別できるのが救われる構図でした。
一つの特定の編成にこれだけ逢うことができながら、キレイな写真を残せなかったのは非常に残念でした。しかし、その後量産車と混結されるためにバラバラになってしまい、外観上も区別が付きにくくなってしまったため逢ったことさえ分からない状況となったしまったことを考えれば、北海道への遠征を有意義にしてくれた立役者でもありました。
量産車さえ貴重になってきたキハ183系。北海道の鉄道の高速化に貢献した形式であり、その功績は非常に大きかったものと言えると思います。
← ジリ貧を感じる今日この頃・・・。
アクセス数もポチもマッタリして、いまいちハイテンションになれないつばさです。
土日は600件を超えたアクセスは一体何処に行ってしまったんでしょうか・・・。
さて、気は取り直せませんが・・・orz
過去ログで『キハ183系900番代 登場の時 特急「おおぞら」』という、自分で言うのも何な貴重な記事をご紹介したことがあるのですが、今日はその900番代が本線デビューした頃の写真をアップしたいと思います。
キハ183系900番代は、先行試作と言うことで、結構長い期間の試運転が行われ、さらに試行営業と言えるような暫定営業が永らく行われました。おそらく、北海道向けとして初めての機軸を盛り込んだ新性能気動車だけに、各種データの集積やトラブルの把握など各種テストが行われたのでしょう。技術的な内容は良く知りませんが、直ぐには量産車が誕生していない点で想像が付きます。
私が初めて北海道に行った昭和55年3月時点では逢えなかったのですが、翌年の昭和56年には営業運転に就いていました。ただし、編成予備が無かったために、毎日片道の運転という設定でした。(当時の「おおぞら」は、函館~釧路間というロングランのため、片道走行が限度だったのです。)



昭和56年3月 日付不明 札幌駅にて
札幌駅で出逢ったキハ183系900番代。量産車が製造されていない頃なので、この時点では編成の全てが900番代で組成されています。
外観での最大の特徴は、空調装置の不具合に備えて、各車両にスウィング式で開閉できる窓が付いていたことです。※3枚目の写真の右端の窓を見ていただくと良く判ると思います。
これは781系900番代特急型電車にも共通した構造ですが、いずれも量産車では採用されずに密閉式となり、試作車も量産車に合わせて共通化改造され、最大の特徴を失ってしまいました。その点では登場初期の貴重な写真となります。


昭和56年3月17日 根室本線 新得~落合間にて 「おおぞら4号」
こちらは狩勝峠の入口辺りで撮った写真です。1日のうち片道しか運用に入れないキハ183系900番代ですので、撮れるか撮れないかは運次第でした。
まあ、せっかく来たのにピントがあっていない、構図もメチャクチャな写真で終わってしまったのが非常に残念です。逆光だったのも災いしました。それでも、特徴のあるキロ182-900番代(キロ182の中で、唯一デッキが車端にある構造。)が判るのが救いでしょうか。

昭和56年3月20日 函館本線 姫川~森間にて 「おおぞら5号」
こちらは帰り掛けに撮った函館本線内での写真です。なんとも上の写真と同じような構図、しかも逆光で冴えない写真になってしまいました。
しかし、キロ182-900番代に加え、キハ184(中間電源車→後のキロ184-901)まで判別できるのが救われる構図でした。
一つの特定の編成にこれだけ逢うことができながら、キレイな写真を残せなかったのは非常に残念でした。しかし、その後量産車と混結されるためにバラバラになってしまい、外観上も区別が付きにくくなってしまったため逢ったことさえ分からない状況となったしまったことを考えれば、北海道への遠征を有意義にしてくれた立役者でもありました。
量産車さえ貴重になってきたキハ183系。北海道の鉄道の高速化に貢献した形式であり、その功績は非常に大きかったものと言えると思います。

特急マークの隣の飾り帯だけでも銀色にすれば、かなり良い面構えになりそうなんですけどねぇー。
AOL時代は土日アクセスが多かったのに、ここに移ったとたん激減ですよね。
いったいどう言うことになってるのですかね。不思議ですよ。
唱和54年に900番台が生産されて2年ぐらい後で量産車という事は何か改良点が有ったと言うことでしょうか?
この飾り帯は、量産車は銀色が存在していたようです。2度の量産がありましたので、時代差なのか個体差なのか良く分かりませんが、やはり銀帯の方がスッキリしますね。
この土日も200件届かず、かつての栄光はどこにいったことやら・・・復活にまた2年も掛かるかと思うとアタマが痛いです。
聞かれて「知らない!」というのも何なんで調べました。
だけど、細かい機械的なモンは理解もできないし、書いていても解からないので。
大きなところでは、キロ182の車販スペースの拡大、台車の改良、車端ダンパの廃止、燃料タンクの低容量化、非常扉の廃止、非常開閉窓の廃止・・・・のような感じです。それと、後期量産車から汚物循環処理装置の設置とあるので、量産初期車もたれ流しだったと言うのは意外でしたね。
スウィング窓の廃止については、細かい説明がないので良く解かりませんでした。空調の故障頻度があまり無かったのでしょうかね。
183は撮ってましたが、900番台なのか量産車なのか、わからない状況です。駅撮りが多かったでしたから。
食堂車の不連結はファンサイドとしてはショックでしたが、実際問題、価格が高くて殆ど利用したことがありません。既にリーズナブルを求める時代になっていましたし、高校生や低所得年齢層には高値の華だった車両でした。
昭和56年代までだったら900ばんだいだと思いますが、なかなか区別が付きにくかったかもしれません。旧塗装時代なら、正面の飾り帯が銀色なら量産車、肌色なら900番代かもしれませんね。写真だと区別が付きにくいかもしれませんが。