こんばんわ。
今日は早起きしなきゃいけないので、取り急ぎ過去ログから整理して急行「越前」の写真をアップいたします。
「越前」は、上野から信越本線経由で福井まで運転された、北陸急行の中では1番距離の長い夜行急行でした。編成は、荷物車、A寝台、B寝台、グリーン車、普通車自由席で、普通車指定席は連結されていません。こちらも途中直江津まではEF62が牽引しています。
「越前」は夜行列車でありましたが、上野着が7:05と比較的ゆっくり到着するため、冬期においても上野口での撮影が可能な列車でした。特徴としては、私の知る限り近代化更新後の旧型客車で統一されており、荷物車もパレット積み対応のマニ37(青)で、EF62の前面警戒色以外すべて青で統一されていたイメージがあります。
昭和55年10月頃 蕨~西川口間にて EF6223牽引 上り「越前」
昭和57年5月頃 浦和~南浦和間にて EF6222牽引 上り「越前」
昭和57年11月13日 上野駅にて EF6237牽引 上り「越前」到着
この区間において、定期列車でEF62を見るとことが出来たのがこの「越前」と夜行急行「妙高」のみでしたが、「妙高」は駅撮りも出来ないほど早朝の到着時間であったため、実質的に写真に撮ることが出来たのはこの「越前」だけでした。
「越前」は上野~福井間を信越本線経由で設定されていましたが、昭和57年11月の上越新幹線開業じに上越線経由であった「能登」の廃止により、運転区間を金沢で打ち切りされた挙句に愛称まで乗っ取られてしまうことになります。
その後「能登」は14系化を経て、長野新幹線開業で廃止となった横軽を通過することが出来なくなり、再び上越線経由の夜行電車急行として復活を果たしています。
私的には地味な存在であった「越前」でしたが、その経緯から考えてみると、現在残っている「能登」は元来の夜行急行「能登」ではなく、この「越前」の血筋である考えております。
今日は早起きしなきゃいけないので、取り急ぎ過去ログから整理して急行「越前」の写真をアップいたします。
「越前」は、上野から信越本線経由で福井まで運転された、北陸急行の中では1番距離の長い夜行急行でした。編成は、荷物車、A寝台、B寝台、グリーン車、普通車自由席で、普通車指定席は連結されていません。こちらも途中直江津まではEF62が牽引しています。
「越前」は夜行列車でありましたが、上野着が7:05と比較的ゆっくり到着するため、冬期においても上野口での撮影が可能な列車でした。特徴としては、私の知る限り近代化更新後の旧型客車で統一されており、荷物車もパレット積み対応のマニ37(青)で、EF62の前面警戒色以外すべて青で統一されていたイメージがあります。
昭和55年10月頃 蕨~西川口間にて EF6223牽引 上り「越前」
昭和57年5月頃 浦和~南浦和間にて EF6222牽引 上り「越前」
昭和57年11月13日 上野駅にて EF6237牽引 上り「越前」到着
この区間において、定期列車でEF62を見るとことが出来たのがこの「越前」と夜行急行「妙高」のみでしたが、「妙高」は駅撮りも出来ないほど早朝の到着時間であったため、実質的に写真に撮ることが出来たのはこの「越前」だけでした。
「越前」は上野~福井間を信越本線経由で設定されていましたが、昭和57年11月の上越新幹線開業じに上越線経由であった「能登」の廃止により、運転区間を金沢で打ち切りされた挙句に愛称まで乗っ取られてしまうことになります。
その後「能登」は14系化を経て、長野新幹線開業で廃止となった横軽を通過することが出来なくなり、再び上越線経由の夜行電車急行として復活を果たしています。
私的には地味な存在であった「越前」でしたが、その経緯から考えてみると、現在残っている「能登」は元来の夜行急行「能登」ではなく、この「越前」の血筋である考えております。