マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF62牽引 急行「越前」

2009-03-28 01:14:00 | 国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。
今日は早起きしなきゃいけないので、取り急ぎ過去ログから整理して急行「越前」の写真をアップいたします。

「越前」は、上野から信越本線経由で福井まで運転された、北陸急行の中では1番距離の長い夜行急行でした。編成は、荷物車、A寝台、B寝台、グリーン車、普通車自由席で、普通車指定席は連結されていません。こちらも途中直江津まではEF62が牽引しています。
「越前」は夜行列車でありましたが、上野着が7:05と比較的ゆっくり到着するため、冬期においても上野口での撮影が可能な列車でした。特徴としては、私の知る限り近代化更新後の旧型客車で統一されており、荷物車もパレット積み対応のマニ37(青)で、EF62の前面警戒色以外すべて青で統一されていたイメージがあります。



昭和55年10月頃 蕨~西川口間にて EF6223牽引 上り「越前」



昭和57年5月頃 浦和~南浦和間にて EF6222牽引 上り「越前」





昭和57年11月13日 上野駅にて EF6237牽引 上り「越前」到着

この区間において、定期列車でEF62を見るとことが出来たのがこの「越前」と夜行急行「妙高」のみでしたが、「妙高」は駅撮りも出来ないほど早朝の到着時間であったため、実質的に写真に撮ることが出来たのはこの「越前」だけでした。

「越前」は上野~福井間を信越本線経由で設定されていましたが、昭和57年11月の上越新幹線開業じに上越線経由であった「能登」の廃止により、運転区間を金沢で打ち切りされた挙句に愛称まで乗っ取られてしまうことになります。
その後「能登」は14系化を経て、長野新幹線開業で廃止となった横軽を通過することが出来なくなり、再び上越線経由の夜行電車急行として復活を果たしています。

私的には地味な存在であった「越前」でしたが、その経緯から考えてみると、現在残っている「能登」は元来の夜行急行「能登」ではなく、この「越前」の血筋である考えております。

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お座敷列車 スロ81系 グリーン帯時代

2009-03-27 06:32:00 | 客車 列車・車両(ブルトレ以外)
おはようございます。
昨夜は急な眠気でダウンしてしまったので、今日は早朝アップになってしまいました。
時間が無いので、今日は1枚モノになります。




昭和51年 東京駅にて スロ81系 お座敷列車

私が中学に上がったばかりの頃の写真だと思います。
当時はまだ、お座敷列車の配置というのは極限られた客車区にしかなく、目にするのも珍しかった時代でした。
スタイル的にはグリーン車のスロ62系と変わらない外観であり、判断するには窓から見える障子くらいだったですね。

当時の配置状況からして沼津区の「いこい」かと思われます。この後直ぐにグリーン帯が塗装省略になり、まるで普通列車然とした姿になってしまい、さらに品の無さに嫌気が差したのか、ブルトレのようなクリーム2本帯へと発展して行きます。

詳しくは良く憶えていませんが、全国でもいち早く沼津区に余剰12系を改造したお座敷車が誕生し、品川区へ転属。品川区へ12系改造のジョイフルトレインが配置になると、水戸区へ転属と流転した車両だったと思います。

写真は指が入ってしまい、ハーフ判特有の画像の悪さで見苦しいですが、気になるのは牽引機のEF58です。
良く見るとヒサシがついており、浜松区の区名札が見えます。詳しくは知りませんが、当時の浜松区で原形小窓車の配置があったことを知りませんので、もしかしたら原形大窓のEF58だった可能性があります。
それにも拘わらず、当時はEF58は両数が多くてさほど興味も無かった時代。客車の写真しか撮っていませんでした。
結局、その後EF58の原形大窓車は東京区の61号機と竜華区の66号機しか撮っていませんので、非常に貴重な機会を逃したことになります。悔しいです!

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国鉄時代 489系300番代 「白山」

2009-03-26 00:29:00 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。
以前から何度か信越・北陸特急「白山」の写真をアップしてまいりましたが、今日はまだアップしていなかった489系非貫通型の写真をアップいたします。
過去ログは、こちらからご覧下さい。



昭和51年 大宮駅にて クハ489-300番代

色調がおかしくてスミマセン。オートハーフで撮った写真っていうのは大概において変な色に退色してしまっています。
53・10改正以前の文字マーク時代です。



昭和52年 上野駅にて クハ489-700番代

定番の高架ホームで撮った「白山」。6・7番線では「とき」と並ぶシーンが有名ですが、こちらは8番線側ですね。9番線に停車中の高崎線普通列車との並びとなりました。デカ目の115系も今となっては懐かしいですね。



昭和54年 蕨~西川口間にて クハ489-700番代

こちらは53・10改正後にイラストマーク化された「白山」。毎度ながらの定点写真です。



昭和54年8月 上野駅にて クハ489-300番代

こちらは、上野駅到着後、『据付け』と呼ばれる上野~秋葉原間の電留線に引き上げる「白山」を撮影したもの。181系「とき」や189系「あさま」など、高架ホーム発着の電車は尾久客車区に引き上げずに、同区間の電留線に引き上げるパターンが多かったですね。



昭和56年 蕨駅にて 489-700番代「白山」と 165系「よねやま」のすれ違い

ちょうどピッタリとすれ違いましたね。165系は編成が写っていませんが、列車番号から急行「よねやま」であることが判りました。
東北・上越新幹線の開業前は、優等列車街道(過密地帯)の同区間でありましたから、このようなすれ違いは茶飯事だったでしょうね。今では優等列車がほとんどなくなってしまいましたが、その分普通列車の本数が格段に増加したため『カブった!』ってことは未だに良くありますが(笑)。


本数的には3往復(廃止末期は2往復)走っており、「白山」の写真を捉える期間は少なくなかった筈ですが、何故か200番代も含めて、写真を撮った枚数は極端に少ないような気がします。ボンネット車が好きだったということもあるのでしょうが、実際の運用数もボンネット型の方が多かったのではないかという気がしてなりません。

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磐越西線 ED77牽引 旧型客車&臨時急行篇

2009-03-25 00:47:00 | 国鉄・JR機関車(交流・交直両用型)
こんばんわ。今日もいつもながら遅い時間になってしまった。

さて、今晩のネタはED77。いつもこうしたマイナーな機関車をアップするとアクセス数がグ~ンと落ちるんですよねhi。でも、今日のはまあまあ良いネタなんで、折角だからジックリ見ていってちょうだいな。



昭和57年3月21日 磐越西線 翁島~更科(信)間にて ED7712牽引 旧客普通列車

この頃はまだ50系が入線していませんでしたので、普通列車は全て旧型客車の編成でした。まだクルマの免許を誰も持っていなかったので、翁島~磐梯町間10kmを完全踏破しました。道無き道を線路沿いにひたすら。
3月とは言え会津性気候の地域ですから、まだ雪も残っていますね。ただ、この日は残念ながら冷たい雨が降りっぱなし。同行した3人で凍えながらひたすら歩きました。
途中、更科信号所では、見るに見かねた珍客に同情したか、熱いお茶をご馳走になりました。この時、既に臨時雇用員として国鉄の研修期間であり、実習を兼ねて大宮操車場で働いていました。こういうところでも職員であるだけで色々面倒見てもらえたんですよね。有難いことです。



昭和62年4月5日 磐越西線 翁島~更科(信)間にて ED7713牽引 50系普通列車

時は変わって国鉄が分割民営化されてわずか5日目。そう、国鉄をクビになって5日目なのに、既に撮影に出掛けていたんですね。新しい仕事もわけ分からず、そんな気楽では無かったと思うんですが・・・。
列車は既に50系化され、急行列車の削減により余剰となった455系が大挙として押し寄せ、客車の普通列車もたった2往復のみの設定となってしまいました。確か貨物列車も残ったのが1往復のみで、ED77も半数が廃車になっていたと思います。



昭和62年4月5日 磐越西線 翁島~更科(信)間にて ED7712牽引 12系臨時急行列車

サボが入っているので、臨時急行かと思われます。まだこの時代でも客車の臨急があったのですね。まだスキーがブームだった頃でもありますので、春休み期間中くらいまで臨時急行が設定されていたのかもしれません。
一世を風靡した冬のD51でも有名な撮影場所ですが、私はその前からこんなところまで行って写真を撮っていたのですね。


ED77はそれほど多くは撮っていないですが、東北地方の中では比較的手軽な場所だったので、交流機の走行写真としてはED75と同じくらい撮っているかもしれません。しかし、何故か12号機の縁が強く、やたら多いのが気になります。
残念なのは、私がここを訪れるようになった頃には試作機で外観も特徴のある901号機が既に廃車となっており、実物を見ることが出来なかったことですね。くやしいから、マイクロエースで製品化されたときには予約で買っちゃいましたniko

これで多分、ED77は最後のアップになるかと思います。過去ログも収録してありますので、『マル鉄アーカイブズ(機関車形式別さくいん)』から是非ご覧になってみてください。

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国鉄 キハ181「やくも」:駅撮り篇

2009-03-24 01:08:00 | 特急型気動車
こんばんわ。
昼間は暖かいですが、さすがに夜になってくると冷え込みますね。またストーブを点けています。サクラはどんな感じでしょうか。

さて、まだネタは沢山あるのですが、選抜に迷う日が続き先行きも段々心配になってきました。今日はこれまで暖めていたネタの中から、懐かしいキハ181系時代の「やくも」のうち、駅撮りシーンを拾ってアップします。

昭和55年、伯備線及び山陰本線の一部が電化し、新幹線岡山開業以来、陰陽連絡の大役を担うことになった特急「やくも」が381系化されることになり、「つばさ」以来のキハ181系ファンであった私は一大決心の末、友人を引き連れて山陰へと旅立ちました。
過去ログにおけるEH10や、関西特急の撮影もこの旅程における一連のものとなっています。旅費を節約するため、当時165系の「大垣夜行」から普通列車の「山陰」を乗り継ぎ、初めて山陰本線へとやってまいりました。


※撮影は、全て昭和55年8月です。

松江駅?にて

移動中に逢ったのか、シチュエーションを良く憶えていません。高架ホームになっているようなので、大きな駅ですね。旧客の窓から撮った「やくも」、今となっては貴重なシーンです。









出雲市駅にて

1日の撮影を早めに終え、夕方からは上りの「山陰」に乗るため、出雲市駅でひたすら時間を潰していました。夜までですから、結構長い時間を掛けて撮影したはずなのですが、写っている列車は「やくも」と「おき」だけ。旧型の普通列車とか全然撮っていないんですよね。この辺はDD51も1000番代ばかりだったので、イマイチ興味が湧かなかったのかもしれません。



出雲市 レンガ庫

出雲市駅の構内にはレンガ庫があり、ここで気動車がお休みしているようです。
この「やくも」は増結用なのか、顔だけ出している姿は、穴から顔を覗かせている「どぜう」にも思えます(笑)。

当時、ディーゼル特急唯一のL特急であった「やくも」ですが、それでも今ほどは運転本数がなかったので、あまり効率良くは撮れなかったような記憶があります。
駅撮りも取り敢えず撮っただけという感じで、精彩に欠けますね。でも、高校生ですからこんなもんでしょ。

走行写真篇も数枚ありますので、いずれの機会にアップしたいと思います。

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