5日、NHK午後7時のニュースで、こんなことが報告されていた。
妊娠中と、子供が生まれてから(1歳になったとき、2歳になったとき)
どれぐらい、配偶者に対して愛情が変化したか、調査結果が紹介されていた。
夫は妻に対して、20パーセント近くダウンしているが、
妻から夫へは、激減、40パーセント近く愛情がさめているそうな。
夫は夜遅くまで仕事が忙しく、子育てのノウハウも、家事のノウハウもないので、
育児に参加もできないし、妻を納得させるほど十分な理解を示すこともできない。
一方、妻のほうは、夫の育児不参加に不満を抱く。
これ、よくわかるのだけれど、
専業主婦の妻が、夜遅くまで仕事している夫に、赤ん坊の入浴を期待するって、どう?
無理でしょ、そんなの。
専業主婦なんだったら、奥さん、あなたが、やりなさい。
十分すぎるほど社会的に活躍できる能力があるのに、
余儀なく嫌々、不本意に専業主婦をやらされている、気の毒な可愛そうな母親もいる。
たまたま、いま、仕事の都合で、夫が働き、妻が家にいる。
だったら、そのまんま、夫は仕事していて、妻は家事・育児しててもいいと思う。
それを無理やり、夫に育児を強制的に手伝わせようとする、
その時期の仕事の状況ってものがあるはず。
それをまったく理解せずに、
なにがなんでも、手伝ってくれなければ、愛情が急速にさめる、それって、どうよ。
(感謝や、ねぎらいのコトバをかけると全然違うそうな。要は気持ち、意識の問題)
どうしても夫に子育てしてほしければ、
奥さん、あなたが、あなたを含め、夫や子供、
場合によっては、あなたの親や夫の親の生活費をすべて稼ぎなさい。
夫に子供を預け、一人で家計を担いなさい。大黒柱になりなさい。
それで、主夫の夫に、「妻が仕事に追われて、赤ちゃんをお風呂に入れてくれない」、
って、そう言われ、妻への愛情がみるみるうちにさめていったとしたら・・・
あなたは、どうしますか?
いまは、仕事と育児・家事と、分業するしか方法がない、そういうハードな時期なんじゃないんですか?
子育てに追われる大変な時期は、誰にでもある。
仕事も家事・子育ても、両方、不真面目、いい加減の人は、言語道断だけれど。
でも、でもですね。
夫には、仕事ということだけでは理屈に合わない、育児や家事への目に余る不参加ぶりがある。
わたしは、このニュースを見て、
とりあえずは、今の専業主婦または、パート主婦、または正社員主婦の言い分を聞いて、
複雑な心境になった。
それは、理屈では解決できない、わたしの、過去の未解決なままの、夫へのウップンが
マグマのように、どどどっと噴出し、押し寄せてきたからだ。
我々の共通の子供を育てるという子育て時期だけではない、
夫がおんぎゃあとこの世に生まれてきてから、今日に至るまで、
夫が生きてきた期間、まるまる、すべての時間が、わたしには、理解しがたいものがある。
いったん火がつけば、止まることを知らないが、
それだけに、もはや羅列したり、書いたりすることは、実に無意味な、虚無的な気分にさせられる。
夫とは、ニュース、世の中の出来事、ちょっとした会話や笑い話、たわいない話には乗るが、
こころの奥底にある矛盾と無理解、平行線はどこまで行っても一生、交わることがない。
こんなになるまで、増長させ放置した責任は、すべて自分にあると感じる。
反省のあとは、問題解決への努力が必要。
今の若い夫婦も、ありえないような要望をお互いに出し合い、おおいにケンカし、
化学変化を起こしてほしいと思う。
塩漬けにしたまんま、ガチガチにして手をつけられなくならないように。
死後、夫の家の墓に入りたくない妻は、「死後離婚」するというそうだ。
生きている間は、平和を装い、こころの中では憎しみ抜いて、死んでから死後離婚するって、
すごいものがある。
ブッダのコトバによると、死後の世界はあっても、ないのと同じだそうで
いかに生きるか、死後のことなんぞ考えずに、現世をいかに一生懸命生きるか、
それが生き様であり、死後の世界そのものだという。
死後の世界の展開は、すでに、生きている間に、生き様に付随しているそうだ。
生きている間に、死後を待つまでもなく、生き様の結果が返ってきている。
愛情は、さめたり、またホットになったり、いろんな事柄をともにして育むもの。
うどんを茹でるときに、びっくり水を足すように。
マイナスの面だけでもない。
激情が、ちょっとしたキッカケで、どどどッと吹き出る。
わたしは、ちっとも傷は癒えてないんだと感じる。
いい時ももちろんあるけれど、今後、死ぬまで、痛みを感じながら生きていくんだろうなあ。
それが、生きるってことなんだろう。
ついでに、言っちゃえば、(引火して、芋ずる式) 今のことろ、わたしは、夫の家の墓には入りたくない。
嫁は婚家の宗教を強制されることで、踏み絵の如く
自分のアイデンティティを踏みつけられ、嫁入り前の自身を抹消された後、
真っ白に生まれ変わり、嫁としてイエの方針に染まれ、ってことは、
耐え難い苦痛を感じる。
しかしながら、入るところがないとすると、じゃあ、どこに入る?
空にまく、海や川に流す→環境汚染につながらないか、人に迷惑をかけやしないかと心配。
死を間近に感じる瞬間には、どう心境の変化があるのかは、わからないけれど。
代々の宗教を自分の代で、きっぱり止めるということはないにしても、(消極的・偽りの信者)
宗教は、ぎゅうぎゅう強制されないようには、できないんだろうか。
息子には、代々のものを引き継いでほしいという 矛盾した気持ちもある。
(消極的信者のバトンタッチ)