蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

若さに、こだわることはない

2011-12-15 | 人生

若い人は、未知の経験が多く、夢や可能性がいっぱい。
肉体的にも、脳も、若く、古今東西、若さは何にも代えがたいこととされ、
時の権力者などは、ほしいままに、えげつないことをしてまでも、若さを手に入れようとする。

若い人には、若い魅力がある。
かつての自分もそうだったように。

いま、わたしの目のまえをうろうろ(失礼!)しているのは、わたしと同世代の人々。
ダンスの先生とかは、一気に、ぴか一、若いが。
でも、週に3度もお会いして、それぞれに接すると、若さにドギマギすることはなくなる。

いまは、若かろうが、年寄りであろうが、
その人、個人のもっておられるスキルを少しでも得ようと、わたしは貪欲になっている。
真剣にやっていると、だんだん、相手は若くて、自分は若くない、ということをすっかり忘れ、
師匠と生徒になっている。

たいがいは、芸の道などでは、師匠は年寄りで、生徒は若いんだけれど、わたしの場合は、逆。
若い人に学ぶということは、とてもいいバランス。


若い人とは、逆に、同世代の方々・・・
いろいろな人生を歩んでこられ、それぞれに深い味わいを感じる。
のびしろは、さしてないけれど、今までのキャリアが、いい味を醸し出している。


A教室のダンスレッスン・クラスメートには、オクサマもおられる。いわゆる有閑マダム。
いつもとても高そうな、最新の衣服を身につけ、煌びやかな装飾品を身にまとい、
手入れの行き届いた、プロによるヘアセット。
社交ダンス以外に、趣味は、ダイアモンド収集だそうな。
おカネのニオイ、ぷんぷんぷ~ん。
(あの格好で、パリの地下鉄に乗ると、スゴイことになる・・・)
彼女は、一番のお金持ちのよう(に見える)が、
その他の人もそこそこ、そこまで、キンキラではないものの、似たような部類。

話題は、自分の家庭のことばかり。
聞く人も、聞かせる人も、そんな超個人的なルーチンワーク話、おもしろいのかなあ・・・・??
(孫が、・・・母が、・・・夫が、・・・
朝起きて、歯磨きして、お弁当を作って、ご飯を食べ、テレビを観て、ショッピングに行って・・・みたいな・・・)

B教室は、それに比べると、服装は、平服。
ダンスウエアにも、さほど凝らず、平服を流用。
A教室より、年齢層は10歳ぐらい?若い。
(年齢の高い人もおられるが、ダンスレベルが高い)
まだ、リタイア組ではなく、仕事をしながら通っている人もいて、
のびしろも、たっぷり。
いま、じゃんじゃん、カラダも動き、吸収力もある。


お金持ちって、あふれ出たお金を持ち歩くかのごとく。
身についた、ゴージャス・フィーリング。
豪遊が好きな人は、人におごりまくって楽しむ。
それはそれで、けちんぼに比べると、生きたお金の使い方。
でも、人徳がないと、たんなる無駄遣い。

人にはそれぞれの生き方があり、好みがあり、チョイスがある。
どれを選ぼうが、その人の人生。
選べなくて嫉む場合、ひがむ場合は、まあ、別として、選べるけれど、選ばない自由もある。
どうしようもない、突然の災難など、不運なケースもある。

仕事も、選べる場合と、選べない場合がある。(力量、能力、努力の差も当然ある)
階級社会ほど、目に見えてはっきりしていないものの、格差社会。
たいがいは、似たような人は、似たような人が集まるところに、集まる。
社会で、ぐちゃぐちゃに交じり合わないようになっていると感じる。

で、もとの話に戻るが、
人生を長く生きてきた人には、哀愁がある。
苦難を乗り越えてきた、誇りみたいなものを感じる。
哀愁は、適度に養分や水を補給しないと、
度を過ぎると、惨め、元気なし、水分なし、活気なし、活力なし、やる気なし、
ひたすら、カサカサの乾ききった老いへとつながる。

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いろんな人を見ていると、いろいろ参考になるなあ・・・