わたしは、ジムで、もくもくとウォーキング・マシーンの上を歩きながら、何を考えているか?
ステップ台を踏みながら、何を考えているか?
延々と泳ぎながら、何を考えているか?
はやく、終わらないかなあ・・・と考えている。
帰りに何を食べようか・・・と考えている。
まわりを見て、見慣れない顔の人がいると、「見慣れない顔だなあ」と思い、
いつもの顔の人を見ると、「いつもの顔だなあ」と思い、
ほとんど何も考えず、ほとんど何もこころを動かさず、単純作業を繰り返し
半分、ロボットになったような、自分がベルトコンベアーに乗っているような、
はたまた、ベルトコンベヤーに乗った製品をチェックしているような、
実に乾いた無機質な感覚で、ジム・タイムを過ごしている。
ただただノルマを達成しているだけ。
生まれつき健康体なので、あまり健康を意識しているわけではないが、
これをやっておかないと、わたしのカラダは、筋肉が、だらける一方。
通い始めた5年半前は、ジムの日がとても憂鬱だったが、いまは、それほどでもない。
(でも、決して楽しくはない。仕事みたいなもの)
その途中に、エアロ自転車をこぎながら、各マシーンに設置されているテレビの電源をONにし、
NHK教育テレビで、名曲アルバムと、高校講座「情報A」を見る。
「情報A」は、「数学」と隔週、交互に放映されるが、
数学の出演者の女の子がキライなことと、数学自体がキライなので、「数学」の週は別のチャンネルに変える。
ジムでは、運動前と後に体重を測るのだが、
今の楽しみは、パリであんまりちゃんと食事をとらなかったせいで、体重が1.5キロほどダウンしたこと。
日によっては、2キロダウンの時もあり、飛び上がらんばかりに喜んでいる。
そんなことが楽しみだなんて、いたって健康で、なにも考えることもない、アタマを使わない生活、
お気楽で幸せな毎日を送っているということか。
宗教について、昨日、友人Kさんと話した。
死が目の前にあるお父さん(88歳)がおられるKさんは、
お父さんの宗教をとりあえず、踏襲しているかのフリをしているそうな。
でないと、お父さんは、思い残すことなくあの世に行けないだろうから、だって。
宗教なんて、信じていなくてもいいんだそうな。
フリだけしてたら、それでいいんだそうな。
拝むフリ。
それで、家がまあるく収まるんなら、それでいいそうな。
なるほど。
キリスト教であろうが、モルモン教であろうが、イスラム教であろうが、何教でも、
仏教徒でなくても、無宗教でも、もし、家が仏教なら、仏教徒っぽくしていたら、それでよくて、
なにも、反逆でも、裏切りでも、インチキでもないそうな。
全然、信じてないって。でも、信じているフリだけしてるんだって。
お父さんのためなんだって。
なんだか、キモチが軽くなった。
いろんな考え方って、あるんだ。