休みが続き、時間ができたわたしは、たっぷり、ひとのブログを読む時間に恵まれた。
その時間を年末の大掃除にあてろ!!というお叱りの声も聞こえそうですが、
あいにく、わたしと、お叱りの声の人は、無関係の見ず知らずの想像の人。
我が家に招待する人でも、同居人でもなく、他人なわけでして。
(と同時に、声の主は、もうひとりの、自分でもありますが)
まあ、気楽で、すみません。
我が家が掃除が行き届いていないのは、すべて100%わたしの責任でありまして、
そのマイナス評価は受ける覚悟で、サボってブログを読んでます。
(とか言って、もうすぐ、オシリに火が着くことでしょう。いや、そうでありたいと願っている)
世の中、些細なことで悩んでいる人もいるもんだと、気の毒に思う。
それは、わたしが、まったく「どうでもいい」と思っていることだからだ。
本人にすれば、心にずしりと重くのしかかった、漬物石のごとくのお悩みなのだろうけれど。
毎度毎度、同じ悩みを打ち明け、同じ回答を得て、ずっと同じ回路をぐるぐる回っている。
ぐじぐじ、同じことばかり、人のせいにして、自分の生活を嘆いておられる。
回答する方も、いやまた、お時間がたっぷりおありの方のようで・・・。
延々相談する人と、延々回答する人は、長期間ずっと延々同じ人同士なところが、驚愕ポイント。
(ぐうぜん、たまたま、ほんとうに奇遇にも、おふたりとも専業主婦。
→専業主婦を攻める気持ちは、まったく、ありません。が、関心の着眼点が似ている?)
嫌なら離婚すればいいのに、今の生活水準にしがみつくあまり、離婚もせず、
ひたすら夫の親兄弟、親族を攻めまくる。
離婚しないなら、開き直ればいいものを、外面良く、いい顔したいばかりに人をけなす。
あんなに、人を恨んだり憎んだりののしったり、
マイナーなことばかり、毎日考えていたら、病気になってしまうのでは?
そんなブログ、嫌なら読まなきゃいいのに、
よりによってざわざ読むほどの、時間の余りっぷり(=大掃除に着手しないっぷり)のわたしも、
相当、しょーもない人間だ。
同じ、毎日暮らすなら、笑うとまではいかなくても、せめて、にっこり、とか、にんまり、とか、
えへへ、とか、
中途半端でもいいから、ファジーな(一時、流行りましたね、このコトバ)やりとりで、
激情を緩和させて、自分を守りたいものだ。
憎むより、感謝。
感謝の気持ちは、自分を安らかな気持ちにさせてくれる。
日ごろ、わたしは、夫のことをブログでボロかすに、こき下ろしているが、
あれは、もうひとりの、わけのわからない、異次元の架空の人間が勝手にやっていることで、
実際は、現実の社会では、どんな処でも、けっこう、わたしは、おとなしい。
(腹は黒いが)、柔和で、やさしい。
(自分で言ってると、へんですが。補足説明しておかないと誤解が生じてはいけないので)
自分の嫌な面と正面から向き合うことができずに、人を否定、悪者にすることで、自分を肯定しようとする、
そういう人、
なんで、素直になれないんだろう。
すんなり認めたら、楽になるのに。
自分は変わりたくない。
人に変わってほしい。
そういう人、
自分が変われば、人も変わるのに。
自分は、こんなにイヤでイヤでしかたないのに、したくないのに、頑張ってやっている、
なのに、事態はちっとも改善せず、ずっと嫌なことをやらされ続けている、
かたや、その傍らで、やらないで、自分勝手な人が身近にいる、許せない、
そういう人、
本人に直接クレームつければいいんじゃない?って思う。
できないんなら、ぐだぐだ言うな、って思う。
自分がそれだけちゃんとマジメに正しいことをやっているんなら、
正面切って文句言っても、言う資格も正当性もあると思う。
それでも、相手が聞いてくれないんだったら、解決策を講じればいいのでは?
ただただ、カゲで文句言っているだけ。
そのほうが、大きなことにならなくていいのか?
ま、マイナスオーラのいっぱい出たモノは、カラダによくないので、今後しばらくは近づかないようにしよう。
でも、時間があまったら、暇つぶしに、つい、見に行きたくなってしまうのは、なぜ?
怖いもの見たさ?
人間、時間のあまりすぎは、よくない。
ああ、悪趣味のわたし。
そんなヒマがあったら、はやく大掃除を開始しろ!!と、天の声。
ぐずぐず時間稼ぎして、大掃除にかかるまでの、パワー・チャージ??
時間があまりすぎて、昨日、土曜日に↑を入力したが、アップせずにいた。
さて、今日(日曜日)も、・・・と思っていたら、夫が雪でゴルフ中止。
1日、同じ空間の酸素の奪い合いをすることになった。
ああ・・・
とりあえず、昨日分をアップします。