蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ぐるぐるが、大好き

2013-11-25 | 人生
ここのところ、ブログの閲覧数が、するするすると下がって、低迷した位置でキープされている。
上がったところで、キープされたり、みるみるうちに下がったり、
おもしろいものだ。

つい最近まで、過去最高のところでキープされていたが、現在は、今までの平均より低いあたりで止まっている。
ゆり戻し現象というところか。
ちょっと読んでみたけれど、はい、もういいわ、って、かんじだろう。
文章、長いし。


と、その気ままな閲覧数は、心理的に複雑な影響を及ぼし、
わたしのブログを書くモチベーションと、不思議な関係を保っている。
つかず離れずの関係である。

気にはなるが、気にしない。
それでいい。

実態のつかめないものに対する距離感。
ただし、お互いに流動的である。

わたしのイメージでは、宮崎アニメの「ぽにょ」の小さな魚の子どもたち、みたいなかんじ。
小さい魚が群れになって動いている。
小さいぽにょたちは、チマチマ動くか動かないぐらいだが、全体では、ぐわーんと、動いているところが、ミソ。

・・・

得たいの知れない大きな数のものより、しっかりしたもの、
それは、たった一つでもいい。
幻想、想像と現実が一致するピンポイント。
無数のピンポイントが存在する。
そのピンポイント自体が、お互いに動いて進んでいる。
ぼやっとしているが、鮮明でもあり、確実でも不確実でもある。
大きな海のなかで、ぽにょみたいに泳いで、
とてつもなく広い広いなかから、「偶然」と「必然」がドッキングしたようなものを見つける。

大きな時間の流れを共有できるところが、とても味わい深い。

・・・

ハナシが、ころっと変って・・・

「死の旬」というものがある。
ボケずに、突然あっけなく亡くなると、美しい思い出がキープされる。
が、寿命が長くなると、身体も脳も老化しながらも生きていく。
身体と脳、こころのバランスを保つのは、非常に難しい。
自分でコントロールできないから、ややこしい。


この世に未練があるとすると、なんだろう?
幸せは、完結編などない。
老衰で安らかに、誰にも迷惑をかけず、ある日、ぽっくり亡くなること?
そんなうまい具合に、身体と脳、こころの終焉の時期が、ぴったり一致するなんてことは、めったにない。
で、未練が残る。

人生のハッピーエンドはいつか?
シンデレラ・ストーリーでは、「結婚した時」。
王子様と結婚したら、めでたし、めでたし。
それって、人生の始まりだと思うのだが。
逆説的なお話なのだろう。
後は各自、想像して楽しんでください、ってところか。


子どもが生まれた時が、人生、最高に幸せ。
寝返りした、這った、立った、よちよち歩き、人生最高の可愛い時。
やがて大きくなって、いろんな問題が発生してくる。
では、ハッピーエンドではなく、不幸の始まりということになるのか?
何事も、ハッピーの絶頂は、下り坂への助走か?
ハッピーエンドというのは、ハッピーがエンドすることか?
「終わり」の始まり?


今が一番、若い。
なるほど、今のこの一瞬、・・・そう入力してから、もう30秒近く経ってしまっている。
時間は待ってくれない。
時が止まらず、動き続ける限り、刻一刻、年を取る。

ハッピーエンドの期限の延長に延長を重ね、ずるずるとエンドを延ばしていく。
伸びきったゴムのようになって、ついにエンドになる?
息も絶え絶え、これって、ハッピーなのか?
延長期間は、タクシーのメーターが上がっていくように、気になって落ち着いてハッピーを堪能できないのでは?

まだまだいける。これは、エンドではない。
そうやって幸せであり続けることは、すなわち、生に対する執着か。
では、幸せでない人は、生に執着はないのか。
幸せの概念が、ひとそれぞれ違う。価値観の相違。
なので、どんな人も、とりあえずは、幸せであり続けたいと願う。
毎日、ご飯を食べられる幸せ、空が青い幸せ、なんでも当てはめてみると、幸せである。
空が暗い日は、日を待てば、いずれ明るい空になる。
が、夜になれば、暗くなる。しかし、朝になれは、明るくなる。

そうやって、毎日を塗りつぶしていく?
本当のエンドが来る瞬間まで。

・・・

自覚があるか、ないか。
自覚しているからといって、幸せとは言えない。
自覚してないほうが、幸せの場合もある。
なにが、幸せなのか、わからない。
ひとそれぞれ、違うから。
だが、多くの人が幸せと感じること、不幸と感じること、共通の価値観はある。

自分の置かれている立場、境遇の中で、幸せを見つける。
どこの誰が見ても、世界中の人が見ても不幸と感じる境遇であった場合、どうやって幸せを見つける?
それは、宗教かも知れない。

が、宗教も、絶大な力を持つと、権威主義やらなんやらが蔓延(はびこ)って、
権威を維持するために、教義や経典の内容まで書き換える。
なので、すべてを信用することは、できない。
新興宗教は、もっと信用できない。

とすると、自分を信用するしかない?
自分を信用しても、自然の猛威やら、地球の異変やら、自分を含め、人間の力でどうしもようないことがある。
じゃあ、どうする?
宗教の力を借りる?

宗教は、信用できない(堂々巡り)

時間ばかりを無駄に使っている。
入力し始めて、何分も何十分も時間が経ち、その分、年を取った。

なにやってんだ、わたし?




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