蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ぽつんと、ひとり残されて。

2013-11-01 | 人生
ある家庭。
昔は、大家族だった。
今も大きな美しい家がある。

昔昔から代々、平穏に続く暮らしがあった。
わたしが知っているのは、婿養子だったおじいさんが生きていた頃から。
このおじいさんは、大人しく穏やかな人で、毎晩、少しの晩酌を楽しみにしていた。

なぜ婿養子かというと、
子供は姉妹しかいなかったので、長女に婿養子をとり、両親たちと同居していたのだろう。
当時は、おじいさん、おばあさんがいて、婿養子と娘と暮らしていた。
そこに子供たちが次々生まれた。(大正末期から昭和にかけて)


やがて子供たちは、跡取り以外は、嫁に行って家を離れたり、戦死したりして、いなくなった。
だが、跡取りの長男には、嫁がきた。
その夫婦に、また子供たちが生まれた。(戦後)
子供たちは、全員、男。

年を重ねて、孫をかわいがっていた、おじいさんが亡くなり、孫の親である跡取り長男が亡くなり、
女子供だけが残った。
(男性のほうが平均寿命が短い)
嫁は、姑の介護を長く続けていたが、姑も亡くなり、嫁も亡くなった。

その間に、かわいくて、ちょっと抜け目にない、でも憎めないタイプの三男は、
その人柄を見初められ、大きな家に、いちばん最初に、婿に行った。

長男、次男は、何度か結婚話があったが、頭の固い母親(嫁)が、難色を示し却下されていた。
今、考えると、そこは、大きなターニングポイントだった。

大きな家に、男兄弟二人暮らしが続いた。
兄は、外、弟は家事、みたいな構図が出来上がっていた。
つい最近、長男が、亡くなった。

で、残るのは、白髪の、おじいさん。つまり、次男ひとり。
(団塊の世代なので、そんなに超高齢ではないが、見かけが老けている)
大きな家に、おじいさんが、ぽっつーーんと、ひとり。

昔は、大勢いた。
・・・うんと前の人々、それに続く、ひいおじいさん、ひいおばあさん、
婿養子のおじいさん、家付き娘のおばあさん、子供が5人、長男の嫁、孫たち・・・

この白髪のひとりぼっちのおじいさんは、↑上の一行、最後に書いた孫の一人である。

大家族は、夢の宴。
時代の流れか。
宴のあとは、さびしい。


どこで、どう間違ったのか。

本来は、末っ子の三男が婿養子に行ったあたりで、長男が嫁をもらい、次男は、分家し、・・・
となる予定だったはず。
だが、タイミングを失い、未婚のまま。
婿に行った三男は、すでに孫もいる。

ひとりぼっちのおじいさんは、嫁や息子夫婦や孫に囲まれているはずだったのだが・・・。
嫁や息子夫婦や孫の代わりに、気難しい兄と二人暮し。
先細り。
あんなににぎやかだった家が、今では、ぽつんとひとり・・・。
やがて、誰もいなくなるのは、時間の問題。

あのターニングポイントで、難癖つけずに、結婚を推し進めていたら・・・。
強くプッシュしていたら・・・。
いまとなれば、「たられば」、であるが。
結婚しても、子供に恵まれなかったり、離婚したり、騒動があったりすることもあるだろうけれど。
とりあえず、命をつなぐ、子供を生み育てることの大事さ、これを痛感する。

・・・

別の、ある年配姉妹。
姉は、きちんとした見合い結婚。
子供は二人だが、一人は未婚、一人は既婚で子供なし。
妹は、シングルマザーで二人の子供を育て、今では孫もいる。
今と違って、50年前は、シングルマザーの風当たりが、かなりきつかった。
偶然だが、シングルマザーの妹のほうは、将来につながる子供、孫に恵まれた。
当時、非難を浴びても、結果的には逆転した。

世間体やら格式を重んじて、古臭いことをガチガチにこだわっていては、
こだわるあまり、かんじんの目標に到達することができない。
本末転倒。
かといって、犬猫のような安物の男女になってほしい、と、極端なことを望んでいるわけではない。


なにごとも、調整、調和、柔軟な切り替えが必要だ。
舵きり、方向転換、策略変更の試行錯誤。
その道一筋、一直線、頑固一徹、てこでも動かない、というのも美学かも知れないが。
ピアノ線より細くても、しっかりした強い芯を持っていれば、
柳のように、右へ左へ、しなっていても、折れはしない。


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