驚きました。
わたしが、最近、面白くてどんどん読んでいるブログの著者、ブロガーさんが、
なんと、わたしの娘とそう年齢が変わらないことをさきほど、いろんな記事を読んで知った。
40代だと思っていたが、30代のようである。
え、え~?!
わたしは、娘ほどの年齢の女性の説法をこころから納得して、頷いて読んでいたのか、
その驚き。
そりゃあ、すべての記事に対して納得したわけでもないが、
真理を突いていると感じるものも結構あった。
そういえば、記事中、会話では、おかあさんと彼女の設定が多かった。
なるほど、・・・わたしと、娘か・・・。
どうりで、男女のことや、美容やカラダのことなど、わたしも若い頃は興味があったが、
今は、あまり関心がなかったり、むしろ、どぎつくて拒絶反応を示したりするはずだ。
子供の話はまったくテーマに出てこないので、おそらく、彼女にはお子さんはおられないのだろう。
20代が女性としてのピークで、それを過ぎると「年増」ということになるらしい。
自分を中心にモノゴトを見るのはあたりまえなので、
そうすると50代というのは、もはや、膝など当然、見せない、女であることを隠しまくるべき年齢ということなのだろう。
膝は、わたしも見せないが、自分が、女であることを押し殺すべき年齢であったとは、知らなかった。
わあ、明日から、いや、今日から、男物のズボンをはいて、おっさんとして生きるか、
あるいは、おばあさんとして、縁側でお茶をすするか、だ。
30代の女性にとって、50代の女性は、女性としての任務は完全に過ぎ去り、お払い箱なんだろう。
(彼女のまわりには、素敵なシニアはいないようだ)
そういう考えが見え隠れする記事を読むと、なんだか笑えてくる。
美魔女とか、美しい女であることに囚われ、振り回されているのは、若いなあ、と感じる。
若作りの女性を、実際に現在、若い女性の目から見ると、痛いと感じるらしいが、
実際に若くない女性(わたし)の目から見た場合、
見た目、ルックスに自分が振り回されている女性は、主客逆転しているように見える。
自分が、自分の外見に惑わされている。
「自分が、どう見えるか」ではなく、「自分は、どうか」、だと自分では思っておられるようだが、
傍目から見ると、「他人から見た自分の美」「他人と比べた自分の美」、そればかり。
なにごとも、モチベーション・アップには基準が必要なんだろうけれど。
重ねてきた年齢を誇りに思い、肯定している年長者は、身近なところでは、母親であるはず。
母親は、身近な女性の見本として、素敵な歳の重ね方をされていないのだろうか。
身近すぎて、親としての権限や影響もあったりして、冷静に距離を置いて見ることができないのかも。
恋愛に関する感想(映画や著書を通じて)も多く記事に取り扱われている。
彼女の年代ならでこその意見、感想であると、しみじみ思った。
答え合わせをしたような感覚だ。
あなたも、わたしの年齢になると、いずれ、わかりますよ。
若者を非難することなかれ、自分も通ってきた道だもの。
それにしても、娘ぐらいの年代の人の書いた記事に、ハマるというのも、
彼女の見識や文章力もさることながら、わたしも気が若いって、ことだろうか。ね。
大金持ちと結婚する話を題材に、羨ましがるだけではなく、
自分にも得るものがあるのでは、と、賢者の知恵として活用法を見出すという切り口。
これは、おおいに結構だ。
しかしながら、わたしは、皇室や王室に嫁ぐ気にはならない。(いったい、どの口が言う?)
ゴーンさんのお奥さんにもなりたいとは思わない。
(例え、なりたくても、第一次審査で、即、はねられる。ニッサンの社員にすらなれない)
まあ、これから子供を育て、老齢者の年金や医療費を下支えし、社会で、ばりばりやっていく世代と、
子育ても終了し、リタイア世代とでは、考えも見える風景もまったく違って当然。