蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

他人の家の中

2015-03-23 | 暮らし

親戚でもない、自分の肉親(故人)、あるいは自分の兄弟の配偶者(故人)の、生前、友達だった人が、
亡くなった後も、実家に深く出入りするのは、あまり愉快ではない。


お線香をあげに来てくださるのは、けっこうなことであるが、
家の内部にまで、ずかずかと入り込むのは、デリケートさに欠けると感じる。


「お手伝いします」と、おっしゃってくださっても、
家には、他人には知られたくないプライベートな部分もあるし、セキュリティ的に重要な、防犯すべき部分もある。
人を見たら泥棒と思え、とまでは言わないが、
故人にとっては知り合いかも知れないが、残された血縁のない関係者にとっては、まったく知らない他人、
家の中をごそごそ動き回られると、良い気がしない。


もし、善意でやっておられるとしたら、
何度かのこちらからの態度で、わかっていただきたいものだ。
しかし、ご本人は、我々が遠慮して辞退していると受け取っているようで、
入って来てほしくないサインをまったく読み取っていない。



とくに、わたしは、中学の時から23才ぐらいまで、学生時代の親友が頻繁に家に遊びにきて、
わたしの洋服や、お小遣い、親の大金を盗まれたことがある。
机や棚に入れていた、わたしのお小遣いは、頻繁になくなっていた。
お小遣いがなくなっていた時は、たいして気にせず、度々重なっても、不思議なこともあるんだ、と笑い話のようにしていた。
しかし、親の大金の時は、まさか、親友がありえない、と、当時、疑いをかけられたときに、むきなって、反論したが、
今になって思うと、彼女しかありえない。
(彼女がその大金のあった場所にいた1時間の間に、そこにあった大金が、なくなっていた)
当時、わたしと同じ服を着ていたりいても、なんの疑問も抱かなかった。
(しかし、自分の服は、なくなっているのに、どうしたのだろう?)
買ったばかりのブーツも、なんと2足も盗られた。(これは、彼女かどうかはわからないが)


親の大金については、封筒に入れていたものだったが、彼女しかありえない状況であるにもかかわらず、
決定的な証拠をつかんでいないまま、今日に至っている。
というわけで、わたしには、親友に裏切られたトラウマ、癖の悪い人、盗み癖のある人は必ずいる、という実体験がある。
被害者も、ぼんやりしていたり、防犯しないで、目に付くところに置いていたことも悪い。
が、生活していると、隠しようがない。
盗人が、あちこち物色するのだ。


ということで、
どこに、なにがあるか、ということをアカの他人に知られたくない、という思いがある。
拝むのは、仏間で十分。
お手伝いしてくれるのは、台所だけで、十分だ。
こちらが頼んだわけでもないのに、勝手に家の重要な場所にも出入りするのは、お互いのためによくないと思う。
ご本人も疑われたりするのは嫌だろう。


こちらの思惑が伝えにくい。
困ったものだ。



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