蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ブログにも、いろいろ、あります

2015-03-15 | ブログ

毎日の平凡な積み重ね、これは大事だと思っている。


平凡なブログがあるとする。
毎日、毎日のことを綴っている。
それはそれで、その毎日への取り組みに対する気持ちが現れ、
その人のお人柄や、現在の落ち着いた心境を物語っている。
あるいは、ブログによっては、読む人にとっては何も感じないものもあるし、
プラスと捉える(好感を持つ)ものも、そうでないものもある。


奇抜なブログがあるとする。
それはそれで、平凡なブログの中では目を引く。
毎日、読む気にはならないが。

愚痴&愚痴ブログがあるとする。
読む人は、「あら、この人、私より、つまらない人生を送っているのね」と優越感に浸るかも知れない。
わざわざ、優越感に浸りたいがために、毎日、読みに行く人もあるだろう。
傷の舐め合い。
生活が少しでも上向きになるのなら、気持ちが和らぐなら、それもよし。



情報たっぷりブログがあるとする。
ニュースのピックアップ基準や捉え方、視点に共通項があるとすると、
ニュースの評論ごと読みに行く人も多いと予想される。
ニュースに限らず、モノでも、取っ掛かりの窓口、入り口を探す。
世界中に氾濫する商品があるとして、どこに行けば手に入るか、わからない人は、ネットで検索したり、
デパートに足を運んだりする。
お気に入りのバイヤーが仕入れた服を売っているショップに行けば、やみくもに探すより、手っ取り早い。
ただし、どんな分野においても、無料のものは、無料の限界があり、
ボランティアでもない限り、手数料的な対価が発生したり、もしくは商品や信仰がらみへの勧誘への導入となる。



ブロガーさんの人柄は、すこぶる良い。
だが、訴えるものがないブログがあるとする。
実力派俳優が出ているのに、脚本に恵まれなくて、興行収入が振るわない映画のようなものだ。
映画の場合、運があれば、ヒット作品が生まれることを祈る。

人柄が良いのに仕事が出来ない人と、最低の人間性なのに、仕事が出来る人がいると、
どっちが実利があるか? どっちを応援するか?
世の中は厳しいので、人柄だけでは、社会の大波は、乗り越えていけないことは多々ある。
理想論、キレイごとだけでは、良い暮らしが出来ないこともある。


痛快なブログがあるとする。
気分爽快、スカッとするために、見に行くことだろう。
その場限りの清涼剤、精強剤。


慈悲深い言葉を並べてあるブログがあるとする。
精神安定剤代わりに、通って滋養につなげる人もいると想像する。
傷ついている時は、癒され、カウンセリング効果ありだろう。



憧れブロガーがいて、仲間になりたいと願うブログもあるだろう。
一種のファン。
コメントを必死で書いて、熱意を示そうとアプローチしたがる人も、いるかも知れない。
べつに仲間になりたくはないが、隠れファンとなることもあるだろう。
影響力の大きなものは、多くの人が足しげく通うことになり、
ネットワークを構築し、ムーブメントを起こす場合もあるだろう。


薀蓄(うんちく)ブログがあるとする。
知りたい分野の細かい、深いことまで研究し尽くされていて、重宝することだろう。
その場合は、ブログ以外にも、あっちこっち調べることになると思うけれど。


ある職業の人のブログがあるとする。
日ごろ、接点のない、自分の知る世界とは別の世界が垣間見えて、興味深い。
職業を通して、生活や人生や見ると、それぞれ、違う見方ができる。


少なくとも、いくら退屈で刺激が無くて、日常に、飽き飽き、へきへきしているからといって、
怖いもの見たさで訪れるブログは、そうないと思われる。
ごくたまにあるが、「う、やっぱり」と、一目散で逃げ帰る。
番町皿屋敷だ。


とある別SNSで、現役時代には大組織で何百人も部下がいたという、大物が日記をアップされている。
そのSNSは、趣味のことに特化されているのだが、この大物のブログは、すごい。
ほんの一握りの太鼓持ちのような人が、彼の日記に賛同コメントを入れているが、
あとの大多数の人々は、自分の管理ページや、人のページに非難支持コメントを入れ、彼の主張を非難しまくっている。
たまに、彼のところに、直にコメントを入れているツワモノもいるが、一網打尽か、あるいは、方向違いの返事で煙にまかれている。

彼は、自分の主張を曲げない。
陰で(といっても、自分たちの管理ページで)、彼の悪口を書いて、皆で、やんややんやと炎上している。
じつに、おもしろい。(傍観者の立場では)
なにがかと言うと、どんなに否定されても、彼は、折れない、曲げない、屈しないところと、
叩いても叩いても、ちっとも自分の意見を見直してみようか、という気が微塵もないところ。
でも、アップしては、指摘のあった部分を削除したり訂正したりして再アップ・・・ということを繰り返されているそうだ。
そこのところも、おもしろい。

大勢で弱いものいじめをしている図のはずが、この弱者は、ちっとも弱くなく、その他大勢の人々と闘っている。
さすが、部下を大勢率いていた大物は、違う、と感心する。

だが、弱者だか強者だかわからない、この人物が主張している内容は、
非常に、勘違い、自己陶酔、自己肯定のものが多いと感じる。
それを指摘されても、お構いなしで続行されるあたりが、この人の部下たちや、仕事は、いったいどんなものだったのか、
どんな風に仕事を推し進めていたのか、そして、その内容、成果は・・・???と想像する。
もし、お国のお偉い役人だったりしたら、間違った方向であっても、がんがん引っ張って行かれる、ということだ。
彼の部下たちは、気の毒な気もするが、
その職場を辞めないのであれば、「考える力」を放棄して「考えない人」になって割り切る、
そのほうが気が楽になっている人もいるのだろう。

リタイアして何年も経っても、前職の影響は大きいと感じずにはいられない。
しかし、ある意味、あの、絶対に折れない不屈の根性は、
(内容が良いか悪いかは別としても)評価するものがあるような気もする。

頑固ってことか?
自分の主張を曲げると、自分自身を否定し、自分の今までの人生までも否定することになるのだろうか。
そういう重いものを背負い込むと、けっこう、辛くてハードだと思うが。

しかしながら、「一」対「一」はもちろんのこと、「一」対「大勢」で勝負できず、
周りで、「そーだ、そーだ、あの人が悪い!!」と、はやし立てるだけの人は、しょせん、そのような器なのかも知れない。

いろんなパワーがあると感じる今日この頃である。

 

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