蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

他人さまのブログ

2015-03-27 | ブログ

わたしは、好き嫌いが激しい。
といっても、人並み、あるいは、標準以下で、世の中にはもっと激しい人も多くいて、さほど激しくないのかも。
2歳の幼児でも好き嫌いは激しいわけで、人それぞれ、各人、好き嫌いは強いだろう。
好き嫌いがないということは、自分の好みや考えや感性が、無いに等しいと感じる。


と、前置きは、長い。いつものごとく。


好きだと思えば、まっしぐら。
老若男女によらす。
ここ最近は、人付き合いをあまりしていないので、ネットで、皆さんのブログを散歩している。
(ひきこもりは、していません)
とうぜん、コメントはつけない。
わたしは、コミュニケーションを求めていないからだ。


「楽しそうですね」
「頑張りましたね」
「わあ、可愛い!!」
「ステキ!!」


なんていうコメントをつけたところで、べつに、どうでもいいのだ。
それより、徹底的に読む側にまわる。
「素人ブログ」を論評する「素人評論家」というものが、仮にあれば、それ、それです、わたし。

ブログには、ブロガーさんの個性、人間性が垣間見える。
もちろん、ブロガーさんのフィルターを通しているし、ブログは、ブロガーさんの全てではない。
逆のことを書いている人もいるかも知れない。
嘘八百だったとしても、小説だと思って読めばよい。


小説ではないので、ブロガーさんも筋、ストーリーを綿密にしっかり考えたあとに、長作に挑んでいない。
だから、日常のちょっとした文章で、意外な本人の側面が見える。


長く読み続けても、ブランクがあったりする。
またブログ訪問を再開すると、相変わらずだったり、ちょっと変化していたりする。
自分自身も変化しているので、微妙な味わいになる。


どの人も、癖がある。
良い面も、嫌いな面もある。
それは、リアルな人間関係と同じ。
嫌いな面が好きな面を上回ると、疎遠になる。
ほんの少しでも、許せないほど嫌いな面を発見すると、耐えられないが、
逆に、少々おかしなことを言っておられても、好きな面のほうが上回ると、嫌にならない。


ブログの場合、嫌になるのは、やはり個性の強い人。
知り始めはエキサィテングだが、キツ過ぎたりして、突然、グサッと斬りつけられて倒れることがある。
刃物が入っていないかどうか、恐る恐る、そおっと読まなければいけないので、めんどうになり、
遠ざかる傾向にある。
攻撃的で、性格や考え方が合わない人は、ブログが面白くてもNG。
ちょい読み、つまみ読みが、いいとこ取りで、楽でいいかも。
なかなか良いことをおっしゃっているブログは、ふむふむと感心して読んでいる。



「私は億万長者の妻です。そのノウハウをお教えします」みたいなブログもある。
ついつい、庶民は、そういうのにつられて読んでみる。
さきほども、短い文章なので読みやすいからか、15分ほどで、4ヶ月分ぐらい読んでしまった。
当たり前のことが、書かれていて、びっくりした。
例えば、ある一日は、「夢を実現するためには、強く夢をイメージすること、思い描くこと」
と、それだけが書かれていた。
これって、もし、お金を払って読んでいたら、「お金、返せ~」となるような内容だ。


わたしも、似たようなことは書いたような記憶はあるが、無料のブログですので、お金は返しません。
(億万長者の妻でもなんでもないので、なんの得るものもないところがツライところ)


蛇足ではありますが、億万長者妻さん、ご本人が活けたと思われる活花がアップされていたが、
あまりにも、わたしとの好みの違い、感性の違いに、ぶっ飛んで倒れそうになった。



などなど、最近、ブログ散歩をまた再開した。
あなたのブログにもお邪魔しているかも知れません。
自分の足跡は残さないけれど、
gooは、足跡機能に近い、「あなたのブログを読んだ人は、こんなブログも読まれています」というのが、くっついていることを発見した。
amazonで、「この商品を買った人は、こんな商品も買っています」というのと同じノリ。
gooさんも、いろいろ工夫されているようだ。


ということで、本日は、時間切れ。
くだらないつぶやきなら、山のように、どどどっと出てくるが、
時間の壁にでも遮ってもらわないと、永遠に文字数を増やしそうだ。



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