蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

もし○○なら・・・

2015-03-17 | 人生

ある人と、社交ダンスを踊った後、わたしは、その人に面と向って、こう言われたことがある。

「あなたは、プロになれますねぇ。あなたが、もし20代だったら」

これは、本気と受け取る人がいるのか?
褒められていると感じるか?
プロになれるんだ~と思うか?

否。

彼が言いたかったのは、わたしが20代など遠い遠い、はるか昔であって、今は、程遠い年齢。
ありえない仮定をしている。
そもそも、ド素人の趣味のどおってことない踊り。
彼は褒めたつもりかも知れないが、受けて側としては、机上の空論が頭を素通りしただけになってしまった。
歯の浮くような、おべんちゃらと捉えられるだけならまだしも、
「どういう意味~~?!」と決してお世辞効果はプラスには働いていない。

たとえは、「あなたが、もし、あと5歳若かったら」ぐらいなら、おべんちゃらとわかっていても、そこまで現実離れしてないと思う。
というか、わたし自身、たいして社交ダンスが上手ではない段階のときに言われたので(今もたいしたことはないが)
「お上手ですね」と、どこの誰に言われたとしても、自信のないわたしは、すべてをこそばゆいお世辞と捉えたと思う。

そこまで卑屈にならなくてもいいんじゃないか?
あるいは、「冗談を真に受けて、痛い人ですね」、となるのかも知れない。
彼は、たんに、わたしを喜ばせようと思ったのか、はたまた、社交辞令的に、するっと流れた出まかせなのか。
けなされたわけでないので、ちょっと複雑な思いはあったものの、言われる側は、気分的にはハッピーである。


ほかの事例を考証してみる。

「あなたは、さぞかし美人だったでしょうね。若い頃は」
(これは、言われたことはないが)
(綾小路きみまろトーンではないと想定する)
褒められているのか、それとも、現在は、昔ほど美人でもなく容色が衰えていると感じられているのか。
言った人は、今は劣化していると思っているのだが、
はっとして、それを自分で気付いて、失礼になると思って、必死で「今もお綺麗ですが」と付け加える。

褒められているのに、否定されているようにも受け止められる。
褒めようと思って言っている場合、とんだ深層心理が表面化してきて、あたふたとなる。
人に感想を述べるのは難しい。


多くのことを知って、広い世界で泳ぎ、そして自分の立ち位置を確認し、ああ、今の自分は幸せだ。
と思えたらそれでいい。
だが、選択肢があることも知らず、何も知らない無知な状態、
あるいは、無知ではないが、知ったところで手が届かないことであれば、
かえって知らないことは、自分は幸せである。
知ってしまったが、できない場合は、
イソップ物語の「酸っぱいブドウ」のように、あんなことは、価値のないこと、と、全面否定する人もいる。
いいえ、いつかは出来る、と夢を見る人もいる。
夢だけで、ちっとも努力しない人もいる。
あるいは、憧れを体現した人と近づいて、自分も疑似体験した気分になる。

「もし私が鳥なら、空を飛ぶのに」(英語の仮定法の文例で、一番初めに習いました)
鳥ではないので、飛べないということだ。

「あなたは素晴らしい。ただし、天性の才能が、もっとあればね」
「あなたの夢は素晴らしい。ただし、自分の能力を正確に把握していればね」
「あなたと結婚したい。ただし、あなたがあと30歳若ければね」

「不便な暮らしも悪くない。ただし、便利な暮らしを知らなければね」
「刺激の無い楽しみのない暮らしも悪くない。ただし、刺激や楽しみの良さを経験していなければね」
「僧侶のような人生も悪くはない。ただし、快楽を知らなければね」

これは、前文を肯定しているのか、否定しているのか。

実際に、快楽に溺れない人もいるだろう。
逆に「快楽に価値を見出さないこと」、厳格な自分に価値を見出すのかも?
快楽の捉え方にしても、「ランナーズ・ハイ」みたいな苦しさの先にある、みたいこともあるし・・・
(話、脱線してます)


快楽を知り、快楽を全否定するのか、それとも我慢するのか、
ある価値観を知り、その価値観を全面否定するには、あきらめて否定するのか、まったく別の価値観を見つけるのか、
乗り越えるのか、ドロップアウトするのか。
いつまでも、自分の中でクリアーできないと、解決できず、尾を引く。すっきりしない。
それによって、気になったり、劣等感を抱えていたり、うじうじしたり、あきらめきれなかったり、妬んだり羨ましがったり、へんに虚勢を張ったり・・・
人によって、まちまちだろう。

今まで信じていた価値観を肯定するにしても、否定するにしても、更新するにしても、改善するにしても、
そう一朝一夕には変わることはできないと思う。
グラデーション状になったり、マーブル状になったり。
行ったり戻ったり。
そういう時に、自分の弱さや悩みに突然、触れることがあると、人は冷静さを失う。
大なり小なり、みんな、そうなのではないだろうか。

 

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