蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

Gone with the Wind ~アタシを置いて去ったひと

2015-03-09 | ブログ

今日は、なんだかとても気が抜けた。
(→ブログ村での出来事です)

僻地の田舎に興行に来ていた、(大都会を活動拠点とする)役者一座が、とつぜん、引き上げてしまったような感覚だ。

あと、何週間も興行はあるだろうから、楽しみに、何回観にいこうかと、スケジュールを立てて、わくわくしていたのに。
なんの前触れもなく、風と共に去りぬ。
払い込み済みのチケットの返金をしてもらわなくては・・・ということはないので、よいが。

もともと、なんの交流もないし、交流する気もないので、差し支えないのだが。

村で一人だけ、わあわあ騒いでいた村娘のわたしは、静まり返った宿舎や、もぬけの空となった楽屋で、、
一座のチラシが風に舞っている中、呆然と立ちすくむ。

勝手に一人で騒いで、一人で盛り上がって、一人で消火、鎮火して、一人でクールダウンすることは、
わたしの人生のルーチンワークのひとつとして、定着しているかも知れない。
本来、人知れず、それをひっそり、こっそり行うのがわたしの鉄則であるが、
ブログには、わかのわからんことを連日、アップしている。
わかる人だけが、わかる、わからない人には皆目わからない、という、じつに、読む人に対して不親切な、素人ブログである。

確実な信者(リピーター)を掴んだから、その目処がたったから、引き上げたのだろうか。
それとも、素人軍団に嫌気がさした?

なんの内情も動向も知らない、素人・村娘は、置き去りにされた、
コアになって動員に貢献したり、役に立つことのできない、末端のファンのようなもの。

ちょっと、がっかりである。
が、見に行こうと思えば、いつでも行ける(はず)。
しかし、おそらく確実に足は遠のくだろう。

去り際に、美学はあるのかも。


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意外に、ご本人ブロガーさんは、あまり深く考えてないかも。
(あ、じつのところ、わたしも、です)

「アタシ」とか、カタカナで表現するような人は、痛すぎて超NGな、高尚好みの方だったのだが、
わたしは俗人の極みなので、あえてタイトルに使いました。