蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

若い美人に席を占領された怨みは、しつこい

2019-10-15 | 日々のこと
昨日は、とあることで涙がポロリンとこぼれた。
台風被害が甚大な地域もある中、超自分個人の内情による涙である。
読書感想や映画感想、人の様子を見て、とかではなく、自分の昨日、体験したばかりのことに付随する涙、苦味、苦しみ。
しかも、内容に関しては伏せるつもりだ。
これだけで、99%の人は、ここで読む意義、興味を失ったことだろう。
残り1%の人は、最後の行、まとめのところだけ、律儀に義理堅く、目を通してくださる(わたしにとって)殊勝な方であるに違いない。

それにしても前置きが長い。
わたしの人生そのものだ。
内容はほんのわずか、少し。
包装やら放送やらが、やたら多く、ほとんどを占めている。
と、こういうのも前置きの一部。
無駄なものなのだが、無駄こそ大きな意味、価値を生み出すこともある。

と、話は逸れまくり。

で、超個人的な涙の話を書きたいのだが、電車の座席、目の前に座る、ピンク系メークを施したお若い美女が気になって、気になって。
すこぶる美しく、組まれたおみ足もスラリと超絶美しい。
こんな美しい人の前のシートに、わたしは冴えない女性3人と座っている。
じつは、視界から消え去って欲しいのだが、乗り換え駅、最大候補の駅で彼女は降りなかった。
つまり、多分、終点まで一緒か。げんなり。
こんな美女なのに、わたしに疎まれるなんて、とんでもなく、そんな筋合いもない。
たんに年老いた、さえない「おばさん」と「おばあさん」の間、やや「おばあさん」寄りの、ほぼ登り人生を終えたわたしが、あの美女を羨んで、逆さになっても届かないことに、不快感を覚えている?
わたしが、あの美女と同じ年齢でも同じ感想を抱いているだろう。
つまり、美人コンプレックス。
と、書いていると、彼女は下車した。
あ〜、スッキリした。
これで、本来の書きたいことが書ける。
わたしは、いくつになっても醜いこころを内包して生きているなあ、、、。
人間だもの、まあよい。
直接、彼女に意地悪したわけでもないし。

しかし、待てよ。
これはたんに、わたしが美人コンプレックスだったから、かわいそうなターゲットは彼女だったわけだが、もし違うコンプレックスだったら?
標的は違うジャンルだったかも知れないし、ひょっとすると自分が標的にならないとは限らない。

彼女のように何もしていないのに、わたしという、さえない女性に嫌悪されるのは、あまりにも一方的に、わたしの分が悪すぎる。
よおく考えてみると、最初に電車に乗った時、4人掛けシートのど真ん中に堂々と座っていた彼女に、イラっときたのかも知れない。
どっちかに、寄りなさいよ。
そんなことは到底言えず、さえないおばさんが3人座っていた、向かいのシートに、「すみません」と言って席をあけてもらい、滑り込んだ。
さえないおばさんは、4人になった。(どうでもいい話だが)

その、さえないおばさんシートグループから、彼女を見ていたわけである。
足を組んで、一歩たりとも譲る姿勢のない彼女。
(おばさんにも、そういう人はいるが)
そもそも、最初に伏線的なものがあったと推測する。

若いうちは、何も知らない。
苦労も痛みも経験、薄。
自分もそうだったように。
しかも、あんなに美人なら、向かうところ敵なしだろう。
鼻が人生のうちで一番高いだろう。
美人という優待枠を享受できる範囲で自分が収まればよいが、欲を出すと、今から試練が待ち受けていることだろう。

と、美人については、羨ましい、が。
妬ましいと感じると同時に試練も課される。
挫けず今を享受してちょうだい、きっと今が一番ピーク。
さらにピークがあるとすると、4人席の真ん中をぶん取らずに、少し詰めて4人目が座れるような配慮が出来る頃だろう。
一生、来ないかも知れない。


と、これは、最初に書きたかったことではないが、まあ途中で変更。
席をぶん取る、足を組んだ美女にブチ切れただけか。
また気が向けば、書きたかったことを書きます。