蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

素晴らしい人には近寄れない

2019-10-17 | 日々のこと
素晴らしい人格の人は、素晴らしい。
そういう人のブログを読むと、あたかも自分も素晴らしくなったかのような御利益を受けるような気になる。
ありがたや。

では逆は?
憂さ晴らしや、独り言をブツブツ言っているブログを読んだら?
マイナーな気持ちになるかというと、しかし、不思議なことに、人は気の毒な話も好きである。 (災害被災等は除く)
共感というよりは、同情。
一歩半、自分の方が上にいたりする。
崖っぷちから見下ろして安堵する。
並列だとしても、安堵する。
今日がよければ、どうにか切り抜けられる。

少し満たされない思いがある時、素晴らしい人の素晴らしい話に触れても、あ、そう、よかったねー、わたしは、それどころじゃないわ、と、卑屈系に陥ることもある。
素晴らしい話は、余裕がある時、さらに余裕を増幅させ、幸せ度を増すには良いだろう。

わたしは、ヒネクレものなので、「あっそ、よかったねー(で、それがどうした?)」の口かも知れない。
だから(まともな、ちゃんとした)友達がいないのだろう。

友人?の話を聞くと、みなさん、好き好き勝手に話している。
人の話になど耳を傾けるでもなく、自分の話に同調させようとする。
これは、友人か?
ちなみに、夫もそう。
これは、夫婦か?

何十年も大恋愛をし続け連れ添う夫婦もいるのに。
思うに、類は友を呼び、素晴らしい人は素晴らしい人を呼び寄せ、また、自然に寄ってくる。
逆に、わたしのような、素晴らしくない人には、素晴らしい人は寄って来ず、素晴らしくない人とばかり縁がある。
いびつな形で、リンクし合っている。
(中には当然、素晴らしい方もおられます)

なぜか、その理由は自分が一番よく知っている。
わたしは、自分に欠点や弱点があることを熟知し、認め、受け入れているため、人の欠点や弱点も許すことができる。
だから、欠点だらけの人々と接することになる。
(ただし、欠点が長所を下回る場合。
欠点だらけで長所がない人とは、接点を持ちたくない)
それが嫌なら自分磨きをせよ。
ぐうたらだから、しない。
他人を認めていると、気づくと周りはダメ人間だらけ。
(と、これはダンス相手の話になりそうだ)

不思議なことに、周りには、僧侶の得度経験のある人もいて、人間はそれでいい、みたいな、相田みつをみたいなことを仰る。
かっこよく、体裁よく言えば、ありのままを愛する、ということ。
欠点を含めて、認める。

素晴らしい人には欠点は、ないのだろうか?
わたしには、よくわからないが、自分の意見を押し通そうとするケースに、よく出くわす。
実践力だとすると、欠点ではなく、長所なのかも知れないが。

まあ、いろいろな人がいて、いろいろあります。