蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

10歳の鍋底

2019-10-20 | 思い出
なぜ、10歳が、わたしの人生の最低飛行時期だったか。
しかし、最低より最低はないわけで、結果的には、悪くない。

教育現場での落ちこぼれは、まあよいとして、、、
わたしは精神が丈夫なようで、ピリピリメソメソしている人の気持ちが理解できないと思われる。
脳がまともに動いてないからである。
隅から隅まで24時間マックス稼働していたら、故障のモト。

まあそれはよいとして(なんども使うワンパターン句)、ノーテンキな脳のおかげで、結果的には、ずいぶん救われている。
(幾度となく「結果的には」と書いているが、ワザとです)

10歳の頃は、学校だけでなく、家庭でも最悪bottomだった。
これを真っ暗な家庭というのか、と、10歳のわたしは思った。
(ブログにも過去に書いている)
父親が深刻な病に冒された。
(後に生還したが)

10歳のわたしは、後に生還することなど知らず、ただただ毎日、父親がイライラする真っ暗な家庭にいた。
学校も落ちこぼれ。
(普通は10歳では落ちこぼれないのだけど、特殊事情のため致し方ない)

ちなみに、
揚げ物をする時、油が適温かどうかを見極めるのは、衣を一度底に落ちて再び浮上したら、オッケー。頃合いである。
その、一旦、底が10歳。
もう少し待てば、揚げ時がやってくる、、、のだが、10歳のわたしは、天ぷら博士でもなんでもなかったので、ひたすら鍋底で沈んでいた。

この鍋底理論は、どのピンチにも応用できる。
苦節何年、もうだめだ、と思ってしばらくすると浮上する。
皆さん、よく体験されていると思う。

わたしの人生、2度目の苦しい時期は、婚活時期だった。
あの時もなかなかうまく行かず、耐えて底から浮上したから結婚できたが、結婚したらしたで、何度でも苦境はやってくる。
そんなものだ。
しかし、これは苦境とは言い難い。
たんなる節目、起伏である。
嘘ではないが、しかしまあ、ネタは、そこかしこ、どこにでも落ちているなあ、、、と感じる。
街でコンビニを探すかのごとく。

と、今日もそれなりに普通に生きている。

※補足
だけど、今日のブログは、つまらない。
オチ部分を書いている時に、待ち合わせ、待ち人来たるで詰められなかった。

※補足の補足
しかしながら、言い訳を補足するあたりが、じつに器が小さく、潔くない。
たんなる能力の限界を、時間制約のせいにしている。
ある意味、善良で嘘がない?
というか、相変わらず、大げさだ〜。