蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

価値観の違い

2019-10-18 | 日々のこと
またまた、こころが、はるか宇宙に飛んでいくほど離れて行った。
何の?
夫との考え方の違いに。

日常には程遠い、親戚でもなんでもない、お付き合いも過去、現在、全くない、顔を見たこともない、今後、お付き合いが展開されそうもない人の葬儀が重なったが、無理して出るそうだ。

夫は、冠婚葬祭の中でも、葬式系が大好き。
どんなに忙しく、体がキツかろうが、精神的にまいっていようが、スケジュールびっしりで身動きできなかろうが、絶対に可能な限り、葬儀に参列する。
告別式は大概、日中が多いので、勤務上、日中の告別式の代わりに、仕事の後の夜、お通夜に顔を出す。
親戚なら隅から隅の末端まで、仕事関係なら顔さえ知っていればその老いた天寿を全うされたご両親まで、知人の血縁者にも、細かく、漏らさず。

現在は、家族葬が段々主流になりかけそうな勢い。
まして、長寿の方々は、知り合いや友人、兄弟も皆んな先にあの世に行っているので、同世代の人は葬式には来ない。
仕事もしなくなって随分長いし、自治会にも出ていないので、職場、近隣、お付き合いもなし。
家族葬が、実情に適していると感じる。
わたしもぜひ家族葬にしてほしい。

自宅近隣の人も、近年では、亡くなって家族葬を済ませてから自治会に報告するように変わってきた。
町内会関係で式に出る必要がなくなって、ほっとしていると思う。

というご時世である。
田舎ではまだ、昔ながらの因習、風習を踏襲しているところもあるだろう。
が、少なくとも、わたしが生活している地域では、今風である。

で、、、
このような時代であるにもかかわらず、夫は、疲れた体にムチ打ち、這ってでもお葬式に出る、、、しかも、縁など薄い薄い人でも。

わたしに代わりに行ってほしいと頼まれることがある。
わたしは、二つ返事で引き受けるわけではなく、ものすごい葛藤が生じる。
顔も見たことのない、会ったこともない、当然、お付き合いもない、アカの他人の葬式には出たくない。
いくら時間が有り余っていたとしても。
お葬式というものは、亡くなった人を偲ぶなり悼むなり、哀しむなり、なんなりするもの。
全く知らない人なのに、代わりに出席するのは、意味がないと思う。
便利屋か?
わたしにとっては、義理もない。

じつは、わたしは延々と姑にこの役目をやらされていた。
わたしは、家の広報部として、仕事として請け負い行っていた。
見たこともない人の葬式。

仕事なんかでは、そういうことはあるかも知れないが。
仕事関係の人の、配偶者、親、子供。
顔を見たことがなくても。

考え方の相違。
付き合いを大事にする人と、付き合いの質を大事にする人の価値観の相違。
どちらも、人それぞれ。
それを他人に強要されると、深い溝に落ちる。
この人とは、やっていけないと強く感じる。

でも、生きて行く。