昨日、21時から、テレビ番組、NHKスペシャル、「ボクの自学ノート〜7年間の小さな大冒険」を見た。
とても感動した。
隅から隅まで、端から端まで、わたしは大絶賛、大共鳴。
とても共感を覚えた。
今は高校生になった梅田明日佳君が、まるでわたし自身、自分のことのような、そんな錯覚を覚えた。
どっかりと感情移入した。
きっと、沢山の人が同じような感想を抱いたと思う。(彼と似たような性質、傾向の人は)
明日佳君は、小学校3年から始めた自習ノートを先生に読んでもらっていた。
小学校を卒業すると、自習ノートの課題は終了したが、引き続き自習ノートを書き続け、読んでくれる人々を探して、直接、手渡した。
読んだ人達は、絶賛していた。
だが、明日佳君に手紙を渡されたうちの一人の女性が放送内で言っていた。
もし自分の子供なら、、、手放しでは喜べない、と。
作文、絵画、自主研究、、、いろいろ自分の興味あることを自習ノートを通して世の中と繋がっている明日佳君。
あんな逸材なのに、学校では、変わり者扱いだそうだ。
アインシュタインと同じだ。
好きなものにのめり込むのはよいが、時間は無尽蔵ではない。
時間をかけすぎず、効率を考えよう、でないと社会では適応できないよ、と学校から指導を受けている。
やるべきことをほったらかして、好きなことに打ち込んではならない、と。
まあそれも一理ある。
学校は社会の常識も、とりあえず教える。
明日佳君は、公立高校の受験に失敗した。
好きなことに打ち込むあまり、学校の勉強が疎かになったのだろう。
よくあることだ。
個性を大事にすると、全体的にどれもまんべんなく出来る、ではなくなる。
凸凹が出来る。
スペシャリストか、ゼネラリストか。
明日佳君も、理系か文系か、自分の進む道に迷いがあるようだ。
アインシュタインの素晴らしい点は、ものすごく難しいことを、誰にもわかるように伝えられることだそうだ。
明日佳君は、口べたではあるが、文字や行動で、伝える力が強力、押しが強い。
だから、文系、理系と決め込まなくてもよい、と明日佳君を知る人がアドバイスしていた。
目がキラキラして、好奇心の塊の明日佳君。
わたしは、彼の、自分が考えていることを人にわかるように説明する能力、文章力に、脱帽した。
頭の中でこんがらがって、ぐちゃぐちゃになるのではなく、整理されている。
彼はアナログ少年で、タイポグラファーのように、きっちりした美しい、わかりやすい、鉛筆習字のお手本のような文字を書く。
筆圧も、しっかり。
さらさらと、くるくると軽く適当に鉛筆を回して、流しているのではない。
一文字、一文字、力を込めて、こころを込めて書いている。
だが、友達と遊んだり、周りには目を向けず、ひたすら自分が興味のあることだけを掘り下げる。
なので、同級生たちや学校では、コミュニケーション能力がないとみなされる。
このあたり、わたしと似ている。
だが、わたしは、若くなく、将来性もなく、才能もないので、自分が面白いと思うことだけに関心があり、コミュニケーション能力がない部分だけが、明日佳君との共通点だ。
肝心カナメの、キラキラ能力はない。
でも、なんだか、(能力の有無や、ポテンシャルの違いはあるが)自分を見ているようで、とても面白かった。
いったい、なにをこんなにワクワクしているのだろう、、、
長女に一連の番組で紹介された明日佳君のことを話すと、クールな反応が返ってきた。
もし、明日佳君みたいな子が自分の子供なら、やはり困るかも知れない、と。
どの分野でも、ものにならない時は、どんな職業で身を立てるのか、と。
夢、理想、好きなことと現実。
彼女はわたしの子供の割には、とてもシビアだ。
母親であるわたしがこんなのだから、だろうか。反面教師。
しかし、精神的にも経済的にも社会的にも、自立してくれて嬉しい限りだ。
わたしは、良い時代に生まれた。
今、平成や令和にもし生まれていたら、完全に落ちこぼれである。
わたしが生まれた時代は、今と価値観や、社会のシステムが違っていたので、わたしのような人間でも生きていけた。
ああ、よかった。わたし。
(ちっとも反省にはなっていない、、、)