スマホを見過ぎて、目がチカチカ。
こりゃいかん、と、スマホから目を離した。
そうだ!雑巾を縫おう!
と、いきなり思いついた。
キティちゃん柄の小さな3段、裁縫箱に入った針と糸。
雑巾にする、そのために取っておいた使い古しのタオル。
孫の保育園用に10枚要るらしい。
そう前から聞いていた。
さあ、タオルを広げる。
静かだ。静まりかえっている。
ん?
裁縫といえば、ラジオだろう。
と、納戸に入ってゴソゴソ。
小さいカセットテープレコーダ兼用ラジオを取り出した。
これ、新品。
ずいぶん前の新品。こういうのを新古品というのだ。
前に納戸を整理した時(ダンボール箱を二階に上げただけ)、小さい、吹けば飛ぶような、ちゃっちいラジオを発見した。
あれを出して来よう!
で、いつのかわからない、超新古品のラジオを箱から出し、コンセントにつなぐ。
お裁縫と、ラジオ!
この図。レトロで気に入った。
洋裁、和裁と独身の時に習っていたのが、まるで悪い冗談のような、わたしの手先の不器用さ。
粗い荒い、すごいアライ目の、ひと針、ふた針。
ひと針、ひと針、熱心に入魂。
まるで、戦地に向かう兵隊さんへの千人針のよう。
ラジオは、電波事情が悪く、最初はAMしか入らなかった。
ほとんど、ベタなおしゃべりと、CM。聞きたいのは、これじゃない。
まるで、暗い部屋での内職イメージ。
おばちゃん、おっちゃん的ノリはあまり好きではない。
FMにするが、ガーガー電波は、まるで短波放送。戦時中の暗号か。
あるいは、短波にかじりつく株デイトレーダー?
ちょっと演出としては、狙っていた路線ではないが、しかたなく、ガーガーしたFMを流す。
パリの工房跡を利用した小さなスタジオみたいなイメージに近づいてきた。(言い過ぎ)
そのうち、電波が段々、合ってきた。
て、電波って、段々、合うものなの?
まあ、いい。
すごく昔を思い出して、楽しいノスタルジックな心境。
しかし、近所のスーパーに行けば、とても安く雑巾は手に入る。
100円ショップでも然り。
たった100円のために、半日、格闘したわけだが(時給20円?)、100円以上の満ち足りた気分を味わった。(て、単位は100円ではない)
雑巾を縫うために、和裁や洋裁を習ったわけではないが、わたしには雑巾が、ぴったりだと、しみじみ感じた。
施設のボランティアの雑巾縫いでもよいが、わたしは、ボランティア精神は育っていない。
(キリスト教は、博愛精神だろうけれど、仏教は、先祖や子孫のため、自分の縦の血縁関係のために尽くす、と、姑を通して学んだ仏教)
で、孫のため、という大義名分。
ただ単に、雨の日に、ラジオを聴きながら、縫い物をしたくなっただけだが。
もうこれで、95歳になって病院に入院する寸前まで、ひとり遊びが出来るような気になった。
自宅でラジオを聴きながら、雑巾縫い!
それが楽しいと思う自分がいるなど、全く予想も想像もしなかった。
だが、「いついつまでに、○枚、お願いね」なんて言われると、途端にやる気は失せ、憂鬱になり、きっとアタマに漬物石が載るのだろう。
仕事なら、電動ミシンだ。が、納期に程遠く、クビになるのは、見えている。
白昼のわたしの遊び。
所詮100円レベルではあるが、金銭では計れない喜びもあるのだと感じた。
でも、たまに、やるからいいのだろう。幼稚園並みのお遊び。
人と話すより、ラジオのDJの話に頷き、笑い、ちょっと怖いものがある。
どんだけ、内向的なの?
でも、人に合わせるより、楽しい。
引きこもり予備軍か?
そんなことはなく、わたしなりの、静と動、内と外、メリハリを楽しんでいる。
ジャンプする前は、身体を屈めなければ、飛べない。
エネルギーをチャージしている。
とか言って、結局、飛ばないんだけど、、、。
飛ばない自分も、心地よい。