庭の紅葉もすっかり枯れ落ち、牛の形だった枯葉は、今度は、お魚さんに!
「この世界では、牛の後は、魚になるんやで」って、孫に説明してやらにゃあいかん。
いや、やはり、純真な子供に、悪ふざけは良くない。
それに、魚にしては少々、変形で無理がある?
意味不明ばあちゃんに位置付けされるのは、やめておこう。
ちなみに、、、
ある、怒り心頭の出来ごとがあった。
2年と少し前、ダンスで組んでいた人、A。
彼のせい(もあって)膝が悪化して、当時、Aとのダンス続行を打ち切った。
そのことを、相手は特定せず、趣味SNSで書いた。
SNS会員のほとんどの皆さんはわたしのリアル実物を知らない。
知っているのは、その人物Aと、もう一人のみ。
なので、Aが物凄い勢いで噛み付いてきた。
まるで彼、Aのせいで、わたしの膝が壊れたかのように言われては心外だ、と。
公のコメント欄ではなく、外部にはわからない、閉ざされたメールで、ガンガン言ってくる。
しかも、当時のメールのやり取りをベタベタ貼り付けて。
何通にもなると、鬱陶しいことこの上ない。
自分の書いたものなんか、見たくない。
それなら、堂々と、公の場でコメントすれば良いではないか。
我々二人だけで交わしたメールを公開するわけにはいかないからだろう。
あれこれあり、この人と離れられて、別れられて、本当によかったと、つくづく思った。
1秒も長く関わりを持ちたくないので、喧嘩をこれ以上、広げる気はない。終結したい。
なので、謝ったにもかかわらず、気が収まらないようで、まだ、あれこれ言ってくる。
殴った相手が倒れていて、白旗を上げている上からまだ、どすどすと靴のまま踏んづけてくる。
この人はやはり、前に当初、思っていた通りの人だった。
時間が経って少し収まってから、そっと、SNSのお気に入りさんから削除しようと思う。
今、削除すると、火に油を注いでも困る。
嫌な相手とは喧嘩せず、気づかれないように、そっと逃げること。
関わりを一切、断つこと。しかも、そっと。それが肝心である。
Aは、他にも、そっと知らない間に、別の会員Bさんに、お気に入りさんから外されていたと、えらく怒っていたそうだ。
早かれ遅かれ、皆さん、することは同じなのだろう。
他にも度々アタマに来る人物は実社会にもたくさんいるが、とりあえずは、冷静になって考えてみる。
自分はどうか?
相手ばかりを責めていないか?
いろんな事態が進行するにあたって、お互いの非を認め合い、お互いの良い面も悪い面も両方、認め合ったりする。
このAに限って言えば、それは一切ない。
自分でも気づかず、人からも学ばず、かわいそうな人である。
一人去り、二人去り、彼に親身になって助言する人も現れず、皆んな人知れず去っていくのだろう。
だって、あんな人、関わるの、嫌だから。
塩、塩、塩。
前に自分のブログで、Aのことに関して、そう書いたような気がする。
あれから2年。
忘れていたのに、また。
塩が、足りなかったようだ。