人付き合いの難しさ。
これが大の苦手で、わたしは家族&ほんの一握りの近親者以外とは付き合わない。
家族は固い結束があるので、それに安心しているため、あまり、それぞれの個人にズカズカ踏み込まない。
子育て期は、口出しするが、成人になり自立したら、皆さん、無罪放免。
両手でしっかり抱き抱えていた手を離す。
その代わり、各人、自分たちの巣を築き、(お一人様も含む)、緩やかな結束に変わる。
なので、わたしはこころ乱されることなく、安心、安泰の日々を過ごしている。
昨日の記事のKさんなどは、もはや人付き合いというよりは、降ってきたイベント。雨あられ嵐。
頻繁だったり、ハードだったりすると、負担だが、十分楽しませていただいている。
他にも、一生に一度か二度ぐらいしか、または一度も会わないかも知れないと思われる親友もいる。
(勝手に一方的にわたしが親友認定している。一種の心友)
まあそれは、それとして、、、
そういう、生のお付き合いが至って不得意なわたしなのであるが、、、
悲しいかな、趣味の関係で、必ず人と接することを余儀なくされる。
で、理解不能な状態に追い込まれる。
相手の言動に非常に傷つく。
相手は、わたしが何故傷ついているのか、全くわからない。
身に覚えもなければ、意識もない。
いちいち、あなたのここに、わたしは傷つきました、と毎度毎度、言っていたら、親睦が深まるどころか、ケンカになる。
いちいち、口に出して言わなければわからないような、意識自体に問題がある。
相手は、常に思ったことを口にして、その度にわたしは、グサグサ鋭利な刃物で切りつけられたように傷つけられる。
口に出さないでください、というのは正しいのか。
胸の中で思っていることをただ口に出さないだけ、というのは、常識としてマナーとしてはある。
親しき仲にも礼儀あり。
だが、「言うな」はわかるが、「胸の中で思うな」は、無理がある。
思ってしまうものは、思ってしまう。
外に出さないだけ。
相手は常に思ったことを口に出すから、わたしは、常に傷つく。
仮に口に出さなかったら?
傷つかないが、そんなこと思っているのかと、気もつかない。
口に出す前に、言うべきか、言わないべきか、一旦考えて、検疫通過、映倫通過になれば、口に出してもオッケー、というわけにはいかないのか?
言い方を熟考して、相手が衝撃を受けたり嫌な気にならないように、優しく説くとか、誘導するとか、そんな風には出来ないものか?
それは、相手に望みすぎだろうか?
コミュニケーションの難しさを痛感する。
思うな!って、ほんとに、難しいし、無理なこと。
思わせないようにしようにも、自分は自分で今まで生きてきた道があるから、そう簡単には変えられない。
お互い、自分を貫き通そうとすると意地の張り合いになり、やがて破綻する。
折り合いをつけ、折衷案で妥協しなければならない。
でもいつもわたしは、負ける。譲歩させられる。
誰とでも負ける。
逆の発想をすれば、わたしに勝つ人としか、わたしと付き合わないということだろうか。
わたしは、勝てる気持ち良さを相手に与え続けているということ。
わたしは負ける悔しさや悲しさと常に対峙しなければならない。
わたしはいつも負ける体勢が定位置か。
剛柔、強弱みたいに、正反対の組み合わせなのか。
わたしの持つ弱々しい性格ゆえか。
(そう吐露すると、大爆笑されることもある。Why?)
仮にわたしが勝つような相手だと、わたしは不甲斐ないと感じたり、それはそれで不足、不満が出るに違いない。
勝っても負けても、結局、満足しないという、収まりどころか。
わたしの相手は、強い人には平身低頭なくせに、わたしを相手にすると、偉そうにする。
相手を見て自分を出す。
人はみんなそんなものだが、極端な例や、いかにも感じ悪いのは、良くない。
わたしはどちらかというと、誰にも強く出ない。出られない。
だから負けるのだが、負けてばかりでは悲しすぎるから、作戦、策略を練る。
長期戦で巻き返しを図る。復讐の鬼となる。
長所と短所は表裏一体。
柔和に見えても、やられたら、やり返す。
ただし、基本的にはケンカはしない。
不戦勝。
(他人の場合は)全速力で立ち去るのみ。
立ち去らずに、傷ついて泣いているということは、まだ未練があるということ。
どうにか改善したいと願っているということ。
相手も謝ってきたし(ただし、どこが悪いのかさっぱりわからないようだが。それって、けっこう深刻なんだけど)
頑張ってみるか。そう思っている。