自宅から徒歩5分ぐらいの所に出来たお店。
さっそく行ってみた。
前は、昭和時代の広い、うどん屋さん。
店舗の骨格だけ残して(想像です)中をすっかりやり変えたようだ。
全面リノベか?
まったく、ぜんぜん、昭和のうどん屋さんのテイストを微塵も残さず、ガラリと別空間になっていた。
メチャメチャ感激した。
生まれ変わった、というよりは、別もん。
天然無垢材を使った家具や雑貨が販売され、ショールームがわりに店舗で使用されている。
しかも、カフェやオリジナルメニューを大空間で楽しめる。
子供たちの遊び場も空間に組み込まれている。
キッチンも客席も物販もショールームも、仕切無しの一つの空間。
三角頂点屋根まで見上げる高い天井。
そして今、2019年12月というこの瞬間には地域差やエリア特色はないのではないかと思った。
ここが、フィンランドでも香港でも、同じなんじゃないかと。
店員さんひとつ取ってもそう。
アジア系アメリカ人?シンガポール人?なんじゃないか?なんて思ったり。
わたしは、完全に空間を飛び越して、ワールドバリアフリー状態になった。
一言で言えば、今風のお店に感動した。
メニュー展開も申し分ない。
一緒に行ったのは、長女一家、次女。
夫は徒歩5分なのに、参加しなかった。
なので、夫の分だけ夕飯準備をして(買ってきて並べただけ)、皆と現地集合した。
海外に出向いて求めなくても、徒歩5分のところの「今」「時代の先っぽ」があるのに、味合わない、経験しないなんて、じつにもったいない。
ベトナムに今年行った時も感じた。
前に一度、行ったことがある場所だったが、施設がころっと新設されていた。
まさに、今風。
ベトナム風ではない。
切り口は、場所ではなく、時間。
横割り平面ではなく、縦割り時空だと思った。
時間軸で、最新のものは感動する。
やがて、最新ではなくなり、次の最新が現れ、その最新も最新をキープせず、不動ではなくなる。
最新は、次から次へと更新、上書きされる。
しかし、新しいものに飛びつき、時を享受、消耗したらそれで終わりではない。
その時の感動、思い出がある。
同じものを見ても、自分自身が変化している。
見る目や感想も変わる。
ひとつとして同じ状況はない。
だが、目に焼き付いた光景は、一枚の絵のように色褪せないで記憶に残ることがある。
無意識に美化したり、演出したりしていることもある。
食べたものや、映画も、見た時の自分が変化しているため、同じ感想、感覚だとは限らない。
どんどん自分は衰えマイナスに変化するとしても、かつては、刺激や斬新なものばかり求めていたかも知れないが、自分がマイルドになるにつれ感受性も変わってくる。
変化を楽しめると思えば、年を重ねることも悪くない。
ちなみに、ご近所店、感激を興奮して長女に伝えたが、うんともすんとも反応がない。
わたしのボキャブラリー貧困のせいか?
自分の中ではキラキラなんだけど、人にはわかってもらえないようだ。
まあいい、自分が楽しければそれで最高、満足だ。