大阪市内、上級者が集まるといわれるダンスパーティ会場に行った。
武者修行。
8年間、辛酸を舐めてきたパーティ。
今回は3度目のリベンジ・チャレンジ。
1回目は、会場の雰囲気に飲まれ、いともカンタンに敗退、撤退。
2回目は、武器を携え、戦力アップ。
この武器は、超上級者の知人を保護者にして、バックアップ体制。
これは功を奏した。
知る人ぞ知るの、あんな上級者、しかも、お金なんぞでは踊らないストイックなお方、そんな人物と踊りながら、会場にしだいに慣れて行った。
目が慣れて薄暗かったものが、だんだん落ち着いて会場内を見渡せるようになってきた。
しかし、自転車でも補助輪を外さないと、乗れたことにはならない。
さあ、3度目。
お一人様で敢行。
2回目と同じドレスで縁担ぎをした。いわゆる勝負服。
1回目は、自信のなさから、真っ黒カラス服だった。
やはり、やる気を見せるためには、積極的に出なければならない。
かといってキバりすぎるのも、どこの田舎から出てきたの?になる。
なので、日常感をサラリと演出。
(実際はキバった服をやめて、あえて、普通っぽい、だが、自分にとっては、一番自分の長所が見える、と、勝手に思い込んでいる服)
それを着て、さあ、出陣。
結果は、オッケー。丸。戦果あり。
まあマイナスの自信が、少しはプラスになった。
だが、パーティは中盤も過ぎ、戦果も手ごたえを感じたというのに、トイレの鏡で見た自分の顔は、どこからどう見ても、魅力のない老けたシニア。
歳相応ではあるが、元々、顔には自信は全くない、非美人のわたし。
スタイルも、脂肪の乗りが良い部分と、タプタプ部分のある、ぽってり体型。
現実を鏡は如実に物語っていたに過ぎない。
2013年に2回目のパリひとり旅をした時、地下鉄の窓に映る、さえないおばさん顔の自分を見た。
駐在員でもない、駐在員の妻でもない、その地に、なんの関わりもない、ただ異邦人のように、存在が宙に浮いている自分。
あの時の不思議な感覚が蘇った。
が、外国語は話せなくても、最低限度の知恵はどうにか備わっているので、自分の出来る範囲で出来ることは実現できる。
それでいい。
これは、実がないんだよ、サワリだけ、予告編に過ぎないんだよ、と、魔法がとけたシンデレラのように、現実に戻るのだろう。
シンデレラは、あれから王子様と結婚してハッピーエンドだが、私は王子様と結婚した時点がピークだと思う。
やったぁと、成果をあげたのに、身贔屓に光り輝いた顔に見えてもいいはずなのに、不細工な顔の自分の現実が見える、、、ということは、ピークを無意識に予見したのかも知れない。
まだ美味しい部分は残っているのに、深追いしない自分。
自分への失望を恐れ、腹八分目にしているのだろう。
目一杯でないので、逆に少しまだ余裕を楽しめる。
やり切る、出し切る、200%の力を発揮するというスタンスもあるんだろうけれど、わたしはあんまり意識的にはそうしない。
無意識に結果的にそうなることは、あり得るかも知れないけれど。
追い求め過ぎては幸せを取りこぼすことがある。
自分にはポテンシャル、可能性があるとわかれば、それでよい。
新しい次の自分が進む道は、さらにさらに上を求めるのではなく、今あるところにあると考える。
自分はまだ行ける、とわかれば、上を目指すのではなく、現状維持に努力したいエネルギーが湧いてきた。
器や枠が出来れば、あとは、中味を充実させる。
枠ばかりを大きくしても、足元をすくわれる。
選んだ道、来た道を振り返り復習して、密度を濃くし、精度を上げたい。
て、いつも大袈裟なわたし。
絶対、有頂天にはならない。
だが、実際のその瞬間は、我を忘れて夢中になっていると思われる。