蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

不良と遊んだ、非・不良

2020-03-18 | 思い出
学生時代。
わたしにとっては、幼小中までが学生時代のようなもの。
つまり、義務教育期間。
高校はオマケ。
それより以降は、もっとオマケ。
せっかく、のびのびと勉強できる黄金学習期なのに、勉学に勤しむことはなかったから。
もし、気づきがあるとすると、わたしの学力は、中学で終わっていることかなと。
それ以後は、何を注いでも、あふれかえって零れ落ちるだけ。
キャパを超える。
つまり、わたしのキャパは、盆栽のような小さな庭。
だが、盆栽は小さいから、手をかけやすい。
枯れたらゴミ箱行き。
大切に育て、いくつもの鉢を少しずつ増やしていく、、、わたしは、そういう丁寧なタイプではないようなかんじ。

なぜなら、、、頭に入らない。
理解できない。
正確に記憶できない。
脳が拒否しているのだろう。
ただ、咀嚼して身体に溶けてしまう場合もある。
プロセスは(どうでも)いいから、結局、情報の海の中で、その情報、説は、自分にとって有益か否か。
結果オーライ。
人やAIに演算させたり、調査、集計させたりして、その間は、ウサギと亀のウサギのように、お昼寝。
出来た〜?  まだぁ〜?
と、頑張っている人をせっつく。
そろそろ終盤かなと思える頃に、重役出勤のごとく顔を出す。

わたしは幸せだなあ〜。
こんな優秀な部下に囲まれて。
なんて自分のこころの中で思いながら、彼らには、知能指数ゼロと見なされている。
いいのだ。
知能指数ゼロは、ゼロな分だけ、「有効なものは何か」と鼻が効く。
自分が汗水流すには無駄とも思える演算は、寝ている間に済ませていただく。
ただし、自分を認めて欲しいとか、承認欲求がある人には不向き。
何もしないで認めてもらおうなんて、ムシが良すぎる。
なんらかの努力をした人は、努力を認めて欲しがる。これは、当たり前。
馬の目の前の人参。
モチベーションやご褒美がないと、人間は動かない。

わたし、ご褒美は要らない。
要るとすると、今まで生かしてくれてありがとう、その余波で今も生きてます。
これからも、そっと静かに生きることが出来たら、それがご褒美かな、と。

ちなみに、
学生時代の同窓会。
小学校は、幹事不在のため、一度も開催されず。
中学は、嫌というほど開催され、直近2回を除き、卒業間もない時期を始め、出席皆勤賞。
どんだけ、中学が好きなの?
たんに、幹事さんが、開催好きで、周りも参加好きな人が多いだけ?

一度も顔を出さない生徒も結構いる。
全く一度も見たことがない。
嫌だったんだろう、中学生活が。

生徒は学校を起点に、東西南北、かなり遠くから集まっていて、出身エリアは様々な市町村に多岐に渡り、かなり広がっていた。
延々と電車やバス、船に乗って通って来ていた。
その中で、わたしは、学校は、徒歩、目の前、という、至便の位置に家があった。
JRや私鉄、バスがストの時など、生徒には通学の足に影響があった。
が、わたしは全く関係なし。
皆んなが通学利用駅まで往き来する途中に、わたしの家があったので、ちょっとした休憩所のようになっていた。
同学年女子のほとんどの子は、うちに来たことがあると思う。
わたしの親もほぼ不在だし、いつもお菓子やジュースなど飲食し放題の息抜きにはもってこいだったのでは。
だから、その中学時代が好きだったわけでは全くない。
そんな時もあったなあ、、、と目を細めるのみ。
今のわたしとは、全然違う。

で。
同窓会に顔を出さないメンバーを思い浮かべてみる。
成績がパッとしない子、いじめられていたり、からかわれていた子、、、かなあ、、、と。
家が裕福でなくても、親ごさんが頑張っておられる生徒もいた。
お誕生日会は、親ごさんが、広々とした会館を借り切って催された子もいた。
たまたま、その子は、わたしと同学年、その子のお兄ちゃんは、姉の同級生。
その関係もあり、わたしも、姉も、そのお誕生日会に同日、参加した。
先日、姉とそんな昔話をしたが、そのお誕生日会の姉の感じた印象と、わたしが感じた印象は、少し違っていた。
姉とわたしは2歳しか変わらないが、年齢や性格によって感じ方は変わるもののようだ。

ちなみに、我々3きょうだいは、けっこうユニークで、悪い意味で目立っていたと思われる。
上から順番に、変人度が増していて、わたしは、一番下で、わりと普通に近い変人だった。
上2人がユニークすぎて、そのせいで、わたしは目立たないため隠れ変人とも言える。
姉は、当時、いじめられていたらしく、小学時代の思い出は封印している。 
が、中学から人が変わったように大変身して、体育系クラブ活動で頭角を現した。
勉学では、高校生になり学年が進むにつれ、上2人は優秀だったため、わたしは何かと比較され、サボっていると見なされた。
きょうだいと比較して、こんな失礼な発言をしたりする教師が普通に存在することに、新鮮な驚きを感じた。
普通の子なら、絶対にひねくれたり、非行に走るだろうと思った。
が、わたしは、非行の道には全く魅力を感じなかったのと、ひねくれるには性格が真っ直ぐすぎて天然、楽天家だったため、先生の言動に驚いたに過ぎなかった。
強靭な神経を持っていたのだろう。
ナイーブ、ナーバスの真逆。
無神経。

成績悪い、それがどうした?
なんか、悪い?
と思っていた。

補習的なことをしたり、カツを入れるため、先生のところに来るように直接言われたが、行かなかった。
なんで、行かなきゃならん?
行かない。

でも、全然卑屈ではなかった。
高校生活全てが、自分の属する生活ではないような気がしていた。
皆んなと、合わないなあ、、、と思っていた。
嫌い、とかではない。たんに感覚が違うだけ。
それに、非行の道は快適ではないし、美しさを感じなかったので、わたしは不良にはならなかったが、不良の子たちが友達だった。
これは、ひょっとすると、自覚がないだけで、わたしも不良なのか?
でも、わたしは違うと、自分で思っていた。
不良と遊んでいるだけで、本来の立ち位置にいつも戻っていた。
わたしは不良を目指さなかった。
不良に転がり落ちることはなかった。
が、優等生たちとは、水と油だった。
優等生ではない、不良でもない、不良と遊ぶ、一般生徒。
先生は、非行の道に転落してしまわないか心配だったのだろうが、全然そんな心配は不必要。
わたしは、不良には憧れていなかったから。

本当に社会の闇の中にいる、純然たるバリバリの不良とは、当然、接点はない。
第一、接する機会がない。
自分は安全な場所に身を置く。
何が危険かぐらいは、子供でもわかる。

で。続き。
同窓会に出てこない同級生たち。
今頃、どうしてるかな?
そんなテレビ番組があるけど。

直近に参加した中学同窓会に、小学校の同級生が初めて来ていた。
すごい変人小学生だったが、変人大人になっていた。
社会的には、優秀、まともになっていた。
わたしは、変人が好きだと、たぶん思う。
だが、超ストレート優等生が、超エリートコースを歩んでいるのも、ミーハー的に大好きである。
自分とは一線を画するものに対するファン心理だろう。