蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

毎日、生きている実感

2020-03-10 | 暮らし
世の中、ころっと変わった、とわたしは感じている。
感じない人がいるとしたら、もともと長年に渡る真性引きこもり人では?
ただ単に自分の行動が制限されるだけではなく、子供たち、小中高生が休校延期。
これには、ほんとうに肌感覚、いや、そんな悠長なことを言ってられない、深刻な影響を受けている。

世の中に、お子さんがいない世帯はたくさんあるだろう。
単身世帯、子育て卒業世帯、老人世帯、、、などなど。
身近に子供を抱えるのは大変なことだが、世の中の動きに直撃される。
子供を育てるのはかなりキツいが、その分、子供がいない状態では感じることが出来ない事態に直面し、社会の機微に触れる思いだ。

自分だって子育て経験があるにもかかわらず、当時は細かいことや心配などに捕らわれる余裕がなかった。
ただただ昨日があり、今日があり、明日につなげる、目の前のタスクをこなすことで精一杯だった。
ある意味、幸せだったかも知れない。
細かいマイナス面に足止めされていては、次に進めなかった。
とりあえず、不安があっても、Go!前に進むしかなかった。

今は、(地理的にも)少し離れたところ(といっても目と鼻の先)から接しているので、余裕がある。
余裕の分、心配も大きくなっている。
真隣に住んでいても、あるいは、二世帯住宅に住んでいても、または、同居していても、こころは離れていることはある。

だが、世の中の動きが自分のこととして感じられるのは、身近な家族に小さい子供たちが存在しているから。
有難い体験をさせてもらっていると、こころから思っている。

とかなんとか言いながら、小学校、お休みで受け入れ家庭は、ばあちゃんちも、ローテーションの一つ。
またまた、お菓子を隠さなければ。
子供も知恵がついてくると、苦労して見えないところに隠しても、隠し場所をすぐ見つけられる。
椅子を持ってきて、高い棚でも、へっちゃら。
さらに高いところに置かねば、、、。
そうやって隠したことを忘れて、賞味期限切れになる、、、。
いつものことだ。

頭の黒いネズミが三匹もいると、ゴソゴソガタガタ動き回る。
かなわんわあ。
そこへもってきて、コロナを発端とする家庭不安の黒幕じーさんが、へんにストライキを意固地に敢行して、わたしはストレスからか、歯茎を腫らしている。

しかし、どういうものであれ、動きを感じることは、生きている実感であり、ある意味幸せなのか?
でもマイナスの動きは嫌だ、避けたい。
当たり前のことだけど。


ちなみに、最近のブログ村エッセイ、理知的女性たちが、新たに加わっている。
色々な思いや考えに、冷静沈着な読み解きが書かれていて、わたしの脳が気持ち良さを感じているようだ。
皆さん、賢そう。
読み応えがあって楽しみにしている。

相変わらず、声をあげて笑わせてくれる大学生ワニくん。
なんであの子は、あんなに面白い?
そうそうたる女性陣に埋もれることなく、彗星若者枠で頑張っていただきたい。

そして、タクシードライバー業をとりあえず卒業しそうな、MR.優秀主夫の、ブログ戦友。
応援してます!

などなど、つらつら書いていたら、雨も上がり、お日様が顔を出した。
一気に外も室内も明るくなった。
理屈抜きで、こころが、ぱあーっと明るく楽しくなる。
あるブロガーさんによると、人生は不快と快適の繰り返しらしいので、うん、納得。
上がったり下がったりの波に身を任せ、その時々に刻まれるリズムを楽しめたらいいなあと思うのであります。
(て、歯茎の腫れ、痛み、はやく治ってほしいが、、、)