蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

他人のブログ

2020-03-25 | ブログ
ブログ。
書体、リズム、書き方、内容。
好き嫌いがある。
わたしは、どうでもよいものは読まない。

淡々と事実だけを主観を入れずに書く手法もある。
読み手に勝手に解釈、感じさせる。
邪魔にならない、ミネラルウォーターみたいなものか。
邪魔にもならないけれど、毒にもクスリにもならない。

誰かが絶賛する文章(ブログ)を読む。
なあんだ、たいしたことないやん、どこが良いの?
と思う。
たんなる好みである。
人に勧めても、人は人。

だが、勧められた、わたしにとっては全く何も感じないブログが、思いのほか人気があったりすると、自分の感性がマイノリティーであることを知り、ちょっとショックだったりする。

わたしが憧れ尊敬して止まないブログは、いつも、う〜〜んと唸る。
ナイーブなこころのヒダを丁寧に絶妙に表現されている部分に接すると、上手いなあ〜、これはプロなんじゃないかと感じる。
そもそもプロって?

読み手の好みが大きい。
表現方法もさることながら、書き手の視点、切り口が味の決め手となる。
考え方、感じ方。
料理と同じ。
材料、鮮度、調理方法、レシピ、組み合わせ方、食感、温度、見せ方、食器、部屋の雰囲気(内装、カラー、照明、室温、湿度、匂い、音楽、給仕タイミング、、、などなど)
統一感、斬新さ、発見、刺激、、、なども。
おぉっとぉ、一番大切なことを忘れていた、、、
誰と食べるか、、、、

料理は、材料と味付け。
では、文章は?
わたしは、やはり演出や方法より中身だと感じる。
原稿用紙を何百枚も使って、、、結局、何が言いたい?はやく言ってよ、、、となる。
結局、言いたいことは、「時間は無限ではない」だったりして。
くだらない文章をダラダラ読ませた罪を償いもせず、確信犯的手法である。
いつもすみません。
皆さんの貴重なお時間をくだらない蝶ブログに割いていただき、、、
各人、自己責任とは言え、ゴメンなさいの気持ちです。

蝶ブログは、発するばかりのブログなので、読んだ方がどう感じるかは二の次。
役に立った、良い気分になった、元気が出た、、、などプラスの効力、効果を得たい方は、たくさん世の中に出回っているメジャーなブログを推奨いたします。

ボツ記事、出直します

2020-03-25 | 読む人々には興味ない話
今日は書く気、満々だ。
スマホのバッテリー不足に備えて、バッグの中には携帯バッテリーまで持ち込んでいる。
なぜ、そんなに気力がみなぎっているのか。

別段、特別な意味はない。
たんなるノリである。
わたしは、この、「たんなるノリ」に大きく振り回され、疲れや悩みの種になっている。
別名、気分屋。
出来、不出来や気分にムラがある。

自分では調整できないのが最大の弱点である。
努力したり、練習を繰り返したりして、いつも同じ質を保ち、精度を高めるのが、デキる大人らしい。
わたしは、落第である。

頑張っても頑張らなくても、結果はバラバラ。
法則性がない。
頑張ったからといって良い出来とは限らないし、頑張らなくてもスイスイほいほい出来る時がある。
おそらく、結果にタイムラグが生じているのだろう。
それぐらいにしか、原因が思い当たらない。

なら、頑張れば、頑張り貯金みたいなものでチャージされ、頑張れない時に、貯めておいた頑張りが復元されて現れたりしたらいいなあ、、、。
だが、そんなことは出来ないようだ。
商品券や貯めたポイントに使用期限があるように、頑張りチャージは長く貯められないシステム。
タイムラグも、ほんの小さい短いもので、その場限りにほぼ近い。

なので、ほぼチャージ出来ないようなので、頑張らないことにした。

だが、、、
わたしみたいな人ばかりでは、国力が衰える。(いきなり、個人から国へ、ジャンプ!?)
頑張った人にはご褒美がないと、タダ働きは、やってられないだろう。ただし、頑張る人と頑張らない人の格差が生まれる。
格差はあっても、頑張らない人にも救いの手は差し伸べられるのが、成熟した社会。

・・・

これは昨日、途中まで書いていたのだが、このあと、生半可なヌルい知識や考えがダラダラ、、、
専門知識がないので、ひたすらユルユルの締まりがない考察が続き、自分でも嫌気がさしていた。
一向に、結論、〆にたどり着かない。
書きかけたまま↓この文章で止まっている。

・・・
と、話が逸れて、眠い方向に進んでいる。
読んでいる人は、すっかり退屈だろう。
・・・

説得力も正当性も普遍性もなくても、自分さえ面白ければよいのが、わたしのブログ・スタンス。
自分を面白がらせない感心しない内容では、自分がつまらないので、やり直すことにする。
でも失敗作なのに、なぜかアップする。