昨日、とても嬉しいことがあった。
飛び上がらんばかりに喜んだが、別に声を上げるわけでもなし、頰を緩めるわけでもなし、だが、こころは天に向かって舞い上がっていた。
そもそも、わたしは、いつ頃だったか忘れるぐらい前に(日記を紐解いてみよう、、、)、あるモノを失くした。
それは数年前の寒くはない時期。
夫の実家からソレを持ち帰った。
夫の実家は、非常に防犯上、生ぬるい。
歳を取れば取るほど、ちゃんと戸締りをしたりするのが、だんだん面倒くさくなってくるのだろうか。
体力や知力に自信を失うと、逆に外敵が怖くなって、何度も何度も施錠を確認したりすると思うのだが。
まあなにしろ、セキュリティの甘い不用心な、そういう家に置いていた、自分の貴重品を持ち出して自宅で管理している。
無くなってからでは遅いので。
引き続き、誰も住まないその家から姑の貴重品も持ち帰り、わたしの管理下に置いた(つもり)。
その次の年、ふと、その貴重品をチェックしようと持ち帰った先であるわたしの自宅を探してみたが、見つからない。
一夏中、探した。
何度も同じ場所も繰り返し探した。
おかしい、、、明らかに、おかしい、、、。
なぜ、無い?
持ち帰って来た当日を思い起こし、バッグの中や、内ポケット、バッグ イン バッグの中も探した。
実家の部屋で立ち寄ったかも知れない、落としたかも知れない箇所も念入りに探した。
日を置いて、また、可能性のある場所を隈なく探した。
が、結局、見つからなかった。
神隠しに遭った?
自宅の寝室のライティングビューローの前で、その小さなモノをまじまじと見て、「極上とは言えないけど、まあまあそう悪くはないかなあ」と、にんまりした記憶はしっかりあるのだが、覚え違いだったのか?
あるいは、感想が、思い上がりに満ち溢れた感じ悪い上から目線だったので、神様か、はたまた購入者(舅・故人)の怒りに触れたのか。
なにしろ、失くしてしまっていた。
もし、将来、形見分けの時期でも来たら、義姉になんと言い訳しよう、、、
「気がついたら、いつの間にか無かった」と盗難路線を推し進めようか、、、はたまた、「そもそも、そんなものの存在は、有ったことなどハナから知らない」と、シラを切り通そうか、、、などなど。
まあ、誰も何も言わないと思うが。
義姉は何か思うだろうが、何もこちらから切り出さなくても、言われたら何かしら返答すれば良いと考えていた。
見つかった今でも、言っても言わなくても良いと思っている。
姑のモノは、わたしのモノ。
家のモノはわたしのモノ。
そう姑がわたしに言っていた。
良きにせよ悪きにしろ、管理者に全責任がある。
相手の出方を待ってから対応するのが、わたし流。
後出しジャンケン。ずっこい(「ズルイ」の方言)
それはそうと、
そう必死でしがみつくようなシロモノでもないのだが、(精神的には意味があるものなので)ずいぶん気にかかっていた。
一生、出てこないだろうと覚悟を決めていた。
喉に骨がささったまま、お蔵入り、迷宮入り未解決案件とともに生き続け、次第には忘れ去ることだろうと思っていた。
別に、有っても無くても、(僅かばかりの換金性はあるだろうが)実質的にはなんの役にも立たないモノである。
(そんなこと書くと、せっかく姿を表したソレが、また雲隠れしてしまいそうだが)
いずれにしても、すっかり諦め切っていたモノが見つかり、有頂天になっている。
昨日、見つかったその日が、関係者の命日とか、記念日か、何かの関わりがある日だったのか、調べてみた。が、まるで関係なし。
この喜びと、失くした残念感、喪失感と、どちらが大きいか。
失くしたのはわたしの全責任で、見つかった、出てきたのは、関係者一同(故人数名含む)の目に見えない力、協力、チーム総合力だったように、勝手に感じている。
嫁として、炭酸水の気が完全に抜けた、もはや置物の如く動かない手抜きサボりのわたしを、ヒヤリとさせ一喝した?
無事出て来て、まだまだ頑張れ!と応援した?
出て来たのが、わたしがあの世に行く直前ではなく、老人ホームに入る前日でもなく、今の時期であることに、(故人数名を含む)皆んなが、わたしに伝えたい意図があるように感じた。
たんに、老化の入り口の出来ごと。
地獄の入り口?
よくある物忘れなんだけど。
脳と心臓に良くない。
今後、益々、深刻ぶりを増して行きそう。