姑物語
2020-03-21 | 家
エッセイブログ、姑の詩を読んだ。
隔世の感。
ほんの数十年前のことなのに。
日本昔話のような気がした。
笑う、笑われる、とかいうような失礼な、不謹慎なことでは決してない。
今は姑になりたくてもなれないのだ。
なぜなら、子供が結婚しないから。
しかも、それが嘆きだった時代もとうに過ぎた。
非婚は珍しいことではなく、普通の当たり前のことになっている。
なので、姑の概念、家の概念、お家存続の概念自体が、ころっとオセロゲームのように激変していると、わたしは感じる。
特に、その、過去の時代にどっぷり身を置いていた者にとっては、石で作られた通貨を見るかのごとく。
石器時代のギャートルズ。
時代が変わっても変わらないものも絶対にある。
人の命の尊さや、尊厳、人権などなど。
女性は、家庭の中だけでなく、社会の一構成員としての役割を持ち自立した。
自立してない女性も、男性もいるが。それはそれとして。
避けて通れない、わたしの人生のほとんどを左右していた絶対的な存在だった姑。
わたしは、第二次大戦の前と後のように、ころっと価値観や意識が変わった。
姉の姑も、すごかったが(悪い意味で)、その姑に(偏った思想を植え付けられ)育てられた息子が夫、となると、嫁はその葛藤やいかに。
壮絶なバトルだった。
自分のバトルを書かないで姉のバトルを書くのは、いかがなるものかと思うが、そのほうが面白いから。
(ごめん、姉。ネタにして)
姉の姑がヒドイ分、その息子はすごく良く出来た人だったから、差し引きゼロ。
(ちょっとだけ自分のことを書くと、姑舅が素晴らしく良すぎてスポイル息子にしてしまったのが、わたしの夫)
それはそうと、姉の話に戻る。
上と下、落差が大きい。
姑がこの世からいなくなった時、あんなに喜ばれるなんて、それもまた一種の幸せをもたらす偉大なる黒い女神。
義姉の姑さんも然り。
どれだけ周り全部が喜んだか。
これは、生きていた価値があるとわたしは踏んでいる。
生きている時に尊敬され、感謝され、愛されなくても、亡くなって周りに喜びを与えるのも、ひとつの子孝行かと思う。
嫌われものは、スイカの塩、ぜんざいの塩昆布。
周りに幸せを引き立たせ、色濃く感じさせてくれる。
辛抱したあとに手に入れた幸せは、計り知れない。
悪役礼讃。
ちなみに、わたしは、姑である。
娘婿に、「おかあさん」と呼ばれ、やたら丁寧すぎるほど丁寧に接していただいている。
丁重に扱っている=距離感の表れ。
ざっくばらんではない。
まあ、わたしみたいなタイプの姑では娘婿もやりにくいだろう。
うちで料理を作ってくれたりする時は、わたしは邪魔にならない程度に補助係。
彼は、ちゃっちゃと手早く、主婦歴37年の人(わたし)など3年で軽く追い抜かしていた。
昔の嫁がしていたことを丸々そのまま娘婿がしている。
単に女性が男性に入れ替わっただけなのだが、娘婿は専業主夫ではない。
ダブルインカム、複数kids。
この不思議な構図に、自分の、姑である立ち位置、収まり具合に、しっくりいかないものを感じるが、そんなものなのかと思うと、最近は慣れてきた。
そもそも自分は、自立していなかったので、そこらあたりも全く違う。
昔昔、大昔、マンモスや恐竜が闊歩していた頃ぐらい過去の世界観。
今も自立していないので、雪山に凍結されたマンモスのごとく。
ではあるが、令和の時代にそれとなくひっそり生きている。
マンモスは、ぱお〜んと、叫ぶのか? ぱお〜んは、象なのか?
なんだか知らないが、マンモスの長い眠りのまま、今日にいるので、マンモス時代の話を見聞きすると、大変新鮮な気持ちになる。
時代は変わり、世の中も変わり、人の行動も価値観も変わる。
今も昔もそれは同じ。
変わって変わって、ずっと変わり続けてつながり、今がある。