蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

睡魔に襲われながら、わけわからんことを書いた。

2020-03-13 | ブログ
別SNSに、日記をよく書いている。
閲覧数が順次リアルタイムで公表されるため、書くだけ書いて、未公開にしている日記も少なくない。
しょうもなさ過ぎて、閲覧数がかなり少ないと、ショックを受けそうな、チキンなわたし。
スベる恐ろしさ。凍てつく温度。
なので、いっそ、人に見せない。
お蔵入り。鍵かけて、置いておく。

溜まってくる。
日記だけでなく、自分の気持ちが、、、。
書くだけで発散できる場合もあるが、もやもやが燻り続けることもある。
もっと変ちくりんなのは、、、
この日記、表に出さないのは、もったいない、、、
あちこち、表現が面白い箇所がある力作なのに、ボツにするには惜しい、、、
なんていう、自分だけの買いかぶり、自己擁護目線。
または、ちょっと過激かも知れない意見、感じ方、斬り方、捉え方で、反感を買う可能性もあるけど、皆さん、どう感じるかな?という、アップした後のリアクション、反応に対する興味、期待。
興味の方が上回り、なぜか不安などはあまりない。
賛同はなくても、その代わりに、バッシング、非難、マイナス、ダメージが予想されるのに、ハイリスクに挑む勇気に、少し小さな小さな応援が、各人のこころの中で、あるやも知れぬ、、、。
善人の皆さんは、自ら悪役を買って出たり、非難を浴びるようなことはしたがらない、良い人を演じたい人ばかりの中で、一石を投じたい、大それた思い。

別に注目を浴びたいわけではない。
ただ、読んだ日記がつまらない時は、自分を面白がらせるために書いている。
自分のためのオリジナル。
買いたい服がないと、別注するようなもの。

閲覧数は、アップすると安定した一定数はあるのだが、気に入らないことがある。
いつも、イチャモンを付けてくる人がいる。
わたしの日記で気分を害するのなら、そっと静かに人知れず気分を害してほしい。
わざわざ、「それ、あんた、違うやろー」と、コメントをいちいち付けなくてもいいのではないかと、付けられる身としては思う。
わたしと違う意見なら、どこがどう違うか、などと話し合い、ディスカッションすると双方、理解が深まる。
イエスマンばかりだと手応えがなくて、さらっと、うわっ滑りで面白くない。

かと言って、意見を戦わせているかというと、全然だ。
「あんたは、間違っている」「あんたは、おかしい」
一方的に否定される。
う、る、さぁ〜い!
そんなに気に入らないなら来るな!あっち行け!
なぜ、意見、考えや感じ方が違うのに、来るのか?
分かり合う気がないなら、来んでいい。
でも、何が楽しいのかさっぱりわからないけれど、なぜかわたしの日記を読み、一言放って帰る。
最後に一言、放たないまま帰っていただければ、わたしのモヤモヤも生まれないだろうに。

お互い、自分の価値観が標準基準だと思い込んでいる。 
お〜マイガー!

わたしも、きっと似たようなもん、なんだろうな。