蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

怨みが晴れるのは離別の日

2020-06-11 | 趣味
昨日アップした写真は小2孫Aが写したものらしい。
後ろにぼんやり写るのは娘のよう。
娘婿かも知れないとも思っていたが。
娘に著作権と肖像権の侵害乱用と、訴えられた。
わたしが写す写真とは目線が違い、なかなか斬新な切り口だったので、無断転載させていただいた。
著作権と肖像権は、ストロベリーケーキ贈与で交渉してみよう。

ちなみに、、、
全く話は変わるが、、、

いきなり、深刻なテーマに。
自分ではどうしようもないことに対して抱く劣等感をどうやって克服すればよいか。
たとえば、わたしは若くない、老年に差し掛かっている。
でも、若い女性は素敵だ、男としてワクワクする、とわたしに言う男性。
特に肉体的に。
精神的には、こころの持ちようでどうにかなるような気がするが、弾むような若い肉体はどうしようもない。
対抗できるわけがない。(対抗しようという考え自体が間違っている)
もちろん、若い肉体が持つ機能、運動能力には敵わない。
機能美も然り。
次々と現れる有望若手選手に、アスリートが早々に引退するのもわかる。
指導側に回る。
だが、人数的にも指導者は限られていて、教えることに秀でていることが絶対条件だろう。

まあそれはよい。
問題は見た目。
若い肉体、張りのある肌、弾力ある筋肉、、、逆さになっても絶対的なものには打ち勝てない。

そんな不可能なことに執着するのは不幸かも知れない。
アンチエイジングは、しないより、したほうが若々しいだろうけれど。
手を離した途端に、みるみる老人に、、、
が、ホンモノの若さは手に入れられない。

不老不死の薬を手に入れた「時の権力者」は、一生死ねないで(へんな表現)、かえって苦しむ。
失い蘇らないものをいつまでも喪失感に苛まれ嘆くのは、人間らしいといえば人間らしい。
そういう煩悩を克服できないからこそ、いろんなサプリや健康グッズなどが売れる。
いっそ放棄すれば?とは思わないが、克服出来ない自分が情けない。

忘れてしまえばよいか。
♬いーなくなれ、いーなくなれ、そーんなわたし。
と、あいみょんと平井堅が歌っている。

しかし、ここで逆怨みのわたし。
若い子はいいなあ、と嬉々とわざわざわたしに喜びレポートをする人を前にわたしは、ズブズブ暗い深淵に落ち込む。
男性として若い女性に無条件にパワーをもらいエネルギッシュになるのは種の保存セオリーとして当たり前だ。
が、それをしゃあしゃあと言われるほうの絶望的な気持ちを思い遣ったことがあるのか?
なんでもかんでも思ったことを口にするのは、正直者ではあるが、口に出す前に考えてほしい。
年がいっていると、若いぴちぴちには戻れないのは当たり前のことなのに、わざわざ知らしめなくてもいい。
思い遣りも思慮のカケラもない。
(わたしは思っても口にしない)
聞かなかったことにすれば良いのだろうけれど、、、

一種のハラスメントだ。
シニア女性に向かって、若い女性はええなあ、と鼻の下を目の前でダランと伸ばされると、鬱積解決の出口がなくなる。
その分野には無視してい続けたらそのうち、気にならなくなるか?
そういうものでもない。
わたしはきっと死ぬまで無理だろう。

仮に配偶者や恋人が、若い子に走ったとしたら、、、もう戻って来なくてよい。
二度と顔は見たくない。
退路を絶って片道切符で行ってほしい。

女性に対して、相手はいくつであろうと女性として扱えない男性は終わっている。
落第。
気がつかないからといって、わたしを女性として気を使ってよ、とは口に出して言えない。
口に出さないとわからないような男性は、そもそも論外。
こころの中で、わたしはばさっと斬り捨てている。
が、必要な分野もあるので、我慢している。
が、無神経な部分に接する度にキリキリ痛く、決して慣れることはない。
そのうち、怨みに変化して溶解できなくなる、そんな日まで、一緒にはいたくない。
別の人に乗り換えるその日までの辛抱である。