若いお姉ちゃんが、荒くれ男の世界へ、、、
筋肉・肉体労働の中に入るには現場での抵抗は想像を絶する。
まして、現場監督のポジションだったりすると、荒くれたちは、指示を聞いてくれるのか。
親戚のおにいさん(当時)が、○○組ゼネコンで働いていた。
管理職。
現場では労働者側と飯場で酒を交わし合う。
本州と北海道を海底で結ぶ○×トンネルだとか、大きな現場をいくつか担当していた。
ガハガハと笑う、どっしりした親分肌の豪快な酒豪だった。
昭和ズブズブ世代のわたしが荒くれたちと現場で働くのは、こういうイメージ。
学生時代、親友の一人だった真面目で優秀なGさん。
就職は大手ゼネコンを希望したがダメだった。
女子は損だと悔しがっていた。
女子枠はかなり難関だったのだろう。
大阪市内ビジネス街にある、とある飲食店で、業界一位、大手ゼネコン勤務の女性と顔見知りになったことがある。
時代は確実に進んで行っていると感じた。
ドキュメント番組でヘルメットを装着して現場で働く女性を見るが、現場の作業員ではない。
もちろん、道路整備などで、真っ黒な顔をした現場作業員女性も実際に見かける。
大型車やタクシーの運転手で女性も見かけるようになった。
女性が希な職場での「珍しさ」ではなく、「本気度」が試されると思う。
最初の女性たちは、トイレや着替えも困るだろう。
狩に出かける女性。
木の実を採取して子育てしながら家を守る男性。
子供は試験管ベビー。
時代の流れでそうなったとしても、それはそれ。
動物の生態と照らし合わせると、絶滅しないで生きながらえた種は、存続に繋がる行動による結果だ。
人間は生き物ではあるが、動物とは違うとされている。
ではあるが、根っこのところは同じ動物仲間のお猿さんから派生したものだ。進化したとも言う。
なので、仮に絶滅しそうになっても、なんらかの知恵や科学の力で生きながらえるだろう。
SFでは、逆に、科学の力で自滅するストーリーが多いが。
女性の社会進出は著しい。
目を見張るものがある。
男性社会の既存慣習を打ち破る女性第1号の風当たりは凄まじいものがあっただろうが、彼女たち先人の血と汗と涙の歴史を積み重ねてきた経緯の上に今日がある。
もちろん、女性だけではない。
不平等のもとに抑圧されていた人々が立ち上がり、権利を取得するまでには長い苦難の道のりがある。
今では当たり前となっていることも、そうではない時代を乗り越えている。
自分はどの時代にいるのか。
あえて逆行する人もいる。
道を選べる人は恵まれている。
自分なりの解釈を書きたいが割愛。
人それぞれだ、と片付けてしまうと楽だし。
ちなみに話はごろっと変わるが、
夫は時代劇が大好きである。
江戸モノ大衆時代劇。
これは、夫の父も、夫の祖父も大好きだった。
若い時からいつもいつも、水戸黄門サン。
じいさんたちも。
わたしは、水戸黄門アレルギーである。
平和な勧善懲悪の、安心して観れるストーリーはまあよいとして。
途中でトイレに立って筋書きを見逃しても、なんの問題もない。
結末は全く同じ。
わたしは好きではないが、過激な暴力的なものよりはマシか。
とは言うものの、長年に渡り、同じ空間を共有する中のテレビで流れ続けられていると胸くそが悪くなるのは何故か?
知らぬ間にヒ素が効いてくるように。
悪玉が絶対権力にひれ伏すパターンに、ファンは狂喜するのだろうけれど。
胸がスカッとしてストレス解消される人がいる一方で、わたしは吐き気を覚えることもある。
やめてくれ〜〜、と。
特に女性をモノのように扱う女性蔑視、軽視の部分に差し掛かると、わたしは居ても立ってもいられないほど不快になる。
過去の歴史では、男女差関係なく奴隷の時代や封建制度の時代があったのだから、目を覆いたくても史実は史実として対峙しなければならない。
各国が過去の過ちを忘れてはいけないように。
それはそれとして、、、
対峙とかではななく、楽しんで、酒の肴にして観ているのが堪らなく嫌。
今の女性は偉くなってしまったので
(特に妻!)、せめてテレビドラマの向こうで夢を満たしたい気持ちはよくわかる。
だが、女性としては面白いわけがない。
そこで、回避策。
テレビ番組を別々に観るため、部屋を別々にしている。
これは、家庭内分断である。
平和維持のためには、いたしかたない処置か。
あれは嫌、これも嫌、じゃあ結局はなんのために一緒に生活しているの?
どんなに愛するどこの誰と一緒に暮らしても、自分を一番愛している限り、忍耐は必要だ。
割り切り。
相手も同じように折半。
五分五分で、調整。
これを協力と言う???
うーん、協調かなと。
話は逸れに逸れている。
ホンネばかり書き連ねても、わたしばかりがモヤモヤが吹っ飛ぶだけで、なんの建設的なこともない。
が、たまには、溜まっている埃や膿を吐き出す、こころのお掃除が必要だ。
それが、人によっては水戸黄門鑑賞だったとしたら、うーん、、、話がまたまた、ぐるぐる。
循環システム。
社会は循環システムで成り立っているから、社会の一番小さなコミュニティである家庭も、基本は循環システムなのかなあと。
よくわからないが、ブログに貼り付けた写真のオジいさんに斬ってもらおう。