蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

あなただけが側にいてくれたら幸せ

2020-06-08 | 暮らし
毎日楽しみにブログ村エッセイをはじめ、皆さんのブログをあれこれ読んでいる。

中でも、仏ジャズ職人ブロガーさんの筋肉ムキムキ息子さん。
素晴らしいと感動した。
何が感動かって、週末実家へ帰宅し、引き上げる時には冷蔵庫がいっぱい!!
なんと親孝行なご子息であろうか。

うんと昔、わたしが手土産を持参してお邪魔した、ある独身男性のご実家。
彼は次男。ちゃんとしたまともな社会人。
こう、こぼしていた。
「兄貴はズルい。
実家に来ると冷蔵庫が空になる。
冷蔵庫のものを持って帰る」

この兄貴たる人物。
結婚していて、有名スポーツ選手が住む豪華マンションに住んでいる。
「セコい!」と、弟が嘆くのもわかる。
親御さんの家は、こじんまりとした、細々と着々と慎ましい家計を営んでいる。
息子2人を立派に教育もつけ、育てたにもかかわらず、偉そうにしていない。
むしろ、まだ息子たちにたかられて嬉しい悲鳴なのかも知れない。
大黒柱は定年前後の、質素に暮らす実家の冷蔵庫から食品を持ち帰る兄、ちょっとお嫁さんの顔が見たい。
贅沢とは何か?と、考えさせられる。
ひょっとすると、あの親子一家流の絶妙なバランスを生み出した、理想的な暮らし方なのではないだろうか、と今、思ったりする。
人の家の幸せ尺度は、それぞれにある。


プラスばかりを求め、マイナスが一つもない一点の曇りもない理想の生活は存在しないと思う。
何かプラスがあれば、何かマイナスがある。
足して引いて、ゼロより上なら上出来である。

取るに足らないことなのに、どうしても我慢できないマイナス点と、客観的に誰がどう見ても羨ましい絶賛するようなプラス点があるとしても、絶大なプラスを棒に振ってでもその人に取っては小さなマイナスでも、そういうマイナスに耐えられない場合もある。
プラスマイナス、トータル持ち点がドカンとマイナスになってでも自分のこだわりに従う。
こだわりポイントは何か、価値をどこに見出すかによって違ってくる。

お金、利権、肩書きには何の興味もない場合もある。
愛情はお金では買えないが、お金で愛情を表すことも出来る。
諸々は愛情表現のツールの一つ。

相手が何を望むか、何をすれば喜ぶか。

「あなただけが側にいてくれたら幸せ。他には何もいらない」
おとぎ話か、夢物語か。
わたしには、頭からそう信じることが出来ない欠陥がある。
いわゆる人間不信である。
(欲張りでもあるので、1人や1つに絞りきれない)
その人物がいなくなったら、どうしようもなくなる自分を想定して、どうしようもなくならないように、リスクヘッジを取る。
代案を用意。危機管理の一環。
あなたがいてくれないなら、別案を考える。
あなたがいないと生きて行けなくなるのもドラマチックでいいようにも思うが。

「生きて行けない」にも、いろんな意味がある。
軽いものなら、「楽しみがなくなる」。
もっと軽いと「楽しみが減る」。
現実的に「困る」。
重いものなら文字通り「生命の維持が困難」。
精神的に困難な場合と、生活が立ち行かなくなる場合。
絶命に繋がる可能性もある。
日本の場合は、セフティネットからこぼれない落ちない限り、生命は維持できる豊かな社会システムになっている。

1人の人物に依存していると、病に倒れたり、自己破産したり、不幸の連鎖が起きることはある。
万が一のことを考え、片足で立つ練習も必要。


ちなみに、
どうしても我慢できない譲れないマイナスポイントは何か?
また、どうしても不可欠なプラスポイントは何か?
人によって価値観やライフスタイルによって、中身や比重は違うだろう。
どんなことでも、全て良いなんてことはなく、全て悪いなんてことはないのだ。
我慢しないといけないことや、不快なことは付いて回る。
大きな幸せを手に入れるため、小さな苦痛に耐える。
小さな苦痛が徐々に増大して耐えられなくなったら、一からリセットして新しく幸せ探しするのもまた一案である。
そこまで大きく深刻に手遅れになる前に、小さな苦痛には手を打って改善に向けて努力するというのも、能動的で前向きだ。
ではあるが、言うは易し行うは難し、である。

夢をぱくぱく食べるバクがわたしに取り憑いているように思える。
わたしの夢をどんどん勝手に食べてしまう。
だが、防衛手段の一つである。
自分を守るのは自分。
守ってくれる人がいなくなると、誰も守ってくれない。