自分が好きなものは、人も好きだとは限らない。
当たり前のことだ。
夫の実家は、昔々から同じ地所にあった。
なので、古くからあるモノがそこそこある。
ただし、舅が買い求めた第二次世界大戦後のモノに関しては、わたしとは好みが合わない。
舅の好みはドカンと大造りで、やたら線が太い感じで繊細さがない。
わたしは、どちらかというと優美なものが好き。
娘婿のご両親が、ある時、観光目的地に行く途中に、夫の実家に立ち寄ってくれたことがある。
こんなことはお互い、一生のうち、最初で最後だろうと、わたしは張り切った。
娘の(父方)ルーツをぜひ、肌で感じて欲しいと思ったからだ。
日頃は厳重なセキュリティも施さず、家は放置に近い。
大事なセレモニーがある時は、舅姑は蔵から何やら出して来ていた。
古くからある調度品の数々だ。
日頃はそれらを一つ一つ丁寧に蔵に仕舞っている。
わたしが、初めて夫の実家をわたしの両親と共に訪れた時も、出してあった。
わたしの実家にもある、同じ作家の作品が掛けてあり、時代が共通していることを感じた。
当時の流行作家だったのだろう。
最初に目に入ったその家は、道路沿いに建っていた。
隣の家はどしりと趣きがある家だったが、夫の実家は、あれ?と思った。
舅が古い家屋を取り壊し、後に建て直した家だった。
だが、わたしは舅とは好みが明らかに合わず、家のどこを見ても嗜好の違いを隅々に感じた。
設計そのものに対しても、わたしの好みではなかった。
舅にしてみれば、うるさい、ほっといてくれ、と言いたくなるような、ほぼ言い掛かりに近い、わたしの勝手な感想である。
舅は、敷地内の一部の限られた面積、予算の中で合理的に建てている。
わたしは、新しく建て替えるのなら、古いものを超えなければ意味がないと思っている。
しかも、初めて行く地、家。
一番最初に目に入る部分に、その家は建っていた。
建て替えてそう経っていない、しかもトタン屋根のバラック掘っ建て小屋ではないのだから、わたしに文句を言われる筋合いはないと思われる。
だが、わたしは日頃から目にしたり、生活しているものに目が慣れていたため、違和感を感じた。
家は見るだけではなく、息をして生活するものなので、自分の全ての感覚がそこで創られている。
わたしの感性と舅の感性は違って当然だ。
年齢、性別、生い立ち、環境、立場、時代、、、全く違うのだから。
しかし、好みがあるとぶつかる。
姑も夫も、家やインテリア、アウテリア、調度品には全く好みがなかった。
無感性、無感覚、無関心、無感動だったので、ある意味、わたしとは対立しなかった。
衣食住、どれに一番興味があるか、人によって違う。
興味云々のレベルではなく、毎日が無事過ぎればそれでよし、という時代もある。
興味や好みというものは、生活に余裕が出来てこそである。
病気にでもなると、何も見えない。
余裕は衣食住を飛び越えて、趣味に走る場合もある。
と、延々、遠回り、道草しているが、そういうことで、舅とわたしは、好みが合わない。
ケバケバ派手派手ではなかったので、それはまあ良かったが。
それにしても、長い長い前置きだ。
舅が昭和40年代後半?に建てた棟に続き、昭和4年?頃築の舅の両親が晩年住んでいた棟があり、また更に庭を挟んで建設時代が遡った離れがある。
その離れに、娘婿のご両親が来られた時に、わたしは頑張って、蔵から色々出してきた。
大きいものは、最初から出しっ放しなので、中ぐらいの大きさのものを主にチョイスした。
で、家の雰囲気やルーツは、語らなくても見てわかるかな、とぼんやり思っていた。
別に自慢したいわけではないので、何の説明もしなかったら、ものの見事に、何の質問も受けず、何の関心も興味も示されなかった。
だからといって失望するわけでもなく、リトマス試験紙のように、酸性、アルカリ性、陽性、陰性、みたいなかんじで、ああそういう反応なのだと理解した。
それはそれで良かった。
へんに反応していただくと、これまた微妙に好みが違ったりしてめんどくさい。
または、社交辞令的に頑張って無理やり話を合わされてもしんどい。
まったくカスリもしないというのは、案外すっきりしてやりやすい。
素直なストレートなお人柄には安らぎすら感じる。
お互い、なんのトラブルもストレスも嫌な印象も感情もなく、今日まで来ている。
水と油とよく言うが、それとは少し違う、淡水と海水かな?と。
あるいは、軟水と硬水かな?と。
お互い、テリトリーや生活様式、スタンスが確立されていると、まったく摩擦がないと感じる。
ただ、欲を言うと、世の中には良い意味の摩擦を通してカルチャーショックを得て、新しい自分が生まれたりする。
何にも感じないと、摩擦もないが変化もない。
一般的には摩擦はマイナス効果が多いので、ローリスクを選ぶなら摩擦を避けたほうが賢明ではあるが、ハイリスクでも冒険してみるなら、活性化され知らない世界が広がることもある。
だが、対象が娘婿のご両親ともなると、ことなかれ主義のほうが、お互いに良さげ。
娘も娘婿もそのほうが良いのではないかと勝手に思っている。
しかしながら、とても素晴らしいご両親である。
あんなに良い息子さんを産み育ててくれたご両親にはこころから感謝している。
と、どんどん話が逸れて終わらない。
いったい、どこまで行くの?
「長い話はウザい」というキーワードを見つけると、どきりとする今日この頃である。