自分の蝶ブログ。
ウケる時と、スベる時がある。
gooユーザー向け「アピールチャンス」が到来した時に、これこそおススメ!という記事を選んでアピールすると、結果は無残、、、。
スルッとツルッと、周りになんの変化ももたらさず静かに滑っている。
冷やしうどんなら喉越し最高なのだが。
しかも、アピールチャンスがなかなか巡って来なかったり、来ているのに気が付かず操作出来ず見過ごしていたりする。
アピールチャンスを何度も見逃している間に、毎日毎日、日々、記事はどんどん増えて進んでいくので、アピールチャンスが来た時には、随分前のお気に入り記事をアピールすることになる。
やっと来た!さあ!
勇み足で、ポチっと押して、おススメ記事を推す。
が、前述の通り、前のめりになったまま、あれ?と、ガラガラと音を立てて崩れ去る。
・・・・・
まあ、しかたない。
皆さんがアピールチャンス記事を目にする時は、自分のgooブログを制作中であるか、人のgoo記事を読んでいる時(だったかな?)だけ。
曜日や時間帯、タイミングもある。
ちなみに、gooの「いいね!」も、ごくごく最近に知った。
「いいね!」してくださる方々、ありがとうございます。
わたしは、リアル実生活と同じで、ほとんど人様との交流をしない完結型タイプ。
なので、不義理をいっぱいしている。すいません。
心苦しいのではあるが、ひとつひとつ丁寧に対応していると、本来の自分を見失うことがある。
なので、(ごく一部の例外を除いて)不義理パターンを貫くことにしている。
goo記事のアピールチャンスで紹介されている記事の中には400も500も「いいね!」がポチされ、しかも、その記事だけでなく、そのブロガーさんのどの記事も400も500もポチされている。
その記事を読んでも、いったいどこが400ポチなのか、さっぱりわからない。
なので、わたしは「いいねポチ」には信頼を置かず、価値を見出していない。
そのブロガーさんの記事に「いいねポチ」が多かろうが少なかろうが、わたしはあまり影響を受けない。
内容主義である。
世の中には多数派があり、「大勢の人がいいと言っているから、いいんだろう」という人が結構いるように思う。
本当に自分で考えているのか疑問を感じてしまう人もいる。
流されているだけのような人もいる。
言っている意見や考えは、テレビのコメンテーターのパクリだったり、ニュース解説そのままだったり。
賛同して自分の意見にするのは悪くないとは思うが、賛同するにも、全く調べもしていないで鵜呑みにするパターンもあり、驚きである。
が、1万時間調べても、わからなかったり、結果が見えなかったり、下手すると、解釈を間違えて最終的に間違った結論に達していたりすることがある。
それなら、1秒間でパクっているほうが省エネで、しかも正しい結果、見識にたどり着ける。
勘が鋭い、考えない、調べない、検証しない人と、かたや、やたら調べまくりの人、どちらが正しいことを言っているか?
上澄みの結論だけを取れば、正しい答えの人が勝ちだろう。
学者よりずっと的を得ているホームレスのおっちゃんもいる。
わたしが一番苦手とするのは、自分が考えたわけでもないことを、さも、知ったかぶりして見せびらかす人。
これは、合っていようが間違っていようが、論外である。
個人を深く知るとその人の考えが浅いか深いか、だいたいわかる。
浅い知識で適当な受け売りを言っている人もいるが、別に害はない。
「あらそうなんですか」
「それ、どこからパクったの?」
で、潔い。
へんにこねくり回すより、爽やかである。
浅いから悪いわけではない。
深いから良いわけでもない。
自分の波長と合う人が楽しい。
が、まったく、波長が合わないのに、わたしは頑張って合わせることが希にある。
それは策略があり、交換条件として何らかのことを望む場合。
ビジネスや商売にもよくあること。
何も値段の調整、価格交渉だけではない。
何ごとにも代えられない提案力は、価値があるが、実現不可能な提案はただの戯言、お遊び。
調整、すり寄って、実現に向けて歩み寄る。
感性だけの問題ではない。
人によっては、ノウハウではなく「熱さ」を求めることがある。
(これ、村上ファンドの村上氏がテレビで言ってた。パクりました)
ノウハウは後から付いてくる。
て、話は逸れに逸れているが、もはや修正のしようがない。
夢ばかり熱く語る人もウザかったりする。
頭から信じている人の言うことなら、どんなことでも、何がなんでも無条件に「いいね!」を押すのは、ファン心理だとしたら納得できる。
ファンではない人から見ると、温度が違う、思考回路が違う。
信者を多く集めることに対しても、わたしは疑いの目を持つ。
(ジャニーズ系はまた別として。理屈抜きにカッコイイ)
「わたしを信じなさい、わたしの言う通りにしなさい」と半ば洗脳に近く、自分で考える力をもぎ取ってしまうから。
考えなくても従ってさえいれば上手く行くなら、付いていこう!に、なるのだろう。
各自の幸せは、各自の価値観によってそれぞれ違う。
バラバラに分解されて、はい、一から、あなたはどう考える?と問われても、かえってよけいにわからなくなっている人もいるだろう。
お任せコースが楽な人も。
まあなんだっていい。
て、なんだかまたまた眠くなってきた。