重荷
2021-02-11 | 家
今回は、多くの皆さんとは共通点がないだろうと思われる話である。
老後住宅。
わたしも考えている。
まず、今の住まいのリフォームとまではいかない、メンテナンス。
水道蛇口の緩みからポツリポツリ滴り落ちる水漏れ3箇所、二階トイレタンク故障につき修理交換、玄関やインナーテラスの木製扉枠の修理、、、
あと、ひと段落すると、外壁塗装、屋根メンテナンス、ベランダ防水メンテナンス、、、
地味ではあるが、生活には欠かせない必須項目である。
それが終われば、あるいは同時進行で夫の実家の整理、リフォーム。
修理、メンテナンスも。
考えただけで、ウッとなる。
やだやだ。
これが明るい老後への架け橋なの?
元々、わたしは建築にはかなり趣味がある。
インテリア、アウテリア、庭にも。
だが、、、、。
住むのと趣味は違う。
そもそも、夫の実家はというと、、、。
江戸後期と、昭和初期と、昭和後半に建てられた家屋。
屋根瓦ひとつとっても別注になる。
そして、わたしの実家。大正時代の建物。
どうしろと?
これは、文化的には結構なことであるが、経済的に考えると負の遺産か?
次代の子供たちの肩にずしりと重くのしかかるのは気の毒である。
姑は家系の物証である家や家族をこころの拠り所にしていたが、家が負の遺産であるなどとは思いもよらないことだっただろう。
まだわたしの実母のほうが冷静な目で物事を見ることが出来て物分かりがよい。
姑にしてみると、イエ、それしかない。
実母は、それしかないわけではない。
二人とも同じ時代に生まれ育ったのに、そのあたりが性格や背景で違ってくる。
やはり経済的にも精神的にも自立しているか、していないかは、大きなポイントになる。
自分以外のものに依存すると、それを失った時、立ち直れない。
自分をしっかり持って自分の足でちゃんと立つと、自分は自分であり、足元から崩れていくことはない。
生きている間に自分軸で生きてきたか、他人軸で生きてきたかで大きく変わる。
他人にどう思われようが自分軸で生きてきた人は、評判が悪い傾向がある。
逆に他人の評価を気にして生きてきた人は、評判が良い傾向がある。
これは死後の評価であり、死んでから高評価であってもつまらない。
生きているうちは人の思惑などに振り回されず好きなようにしたほうが良いと、わたしは思う。
と、同時代に生きた二人の女性を見て色々思う。
さて、老後住宅。
老後になるまでに、あれこれすべきことがいっぱいありすぎて、おちおち老後にもたどり着けない。
わたしは好きな老人ホームに入りたいと思っているのに、資金が枯渇しかねない。
住まない家にお金をかける、、、それで自分が住む家にかけるお金がなくなるなんて、本末転倒ではなかろうか。
自分の家どころか、老人ホーム資金までなくなる、、、過去への満足感は保てても日々の生活ができない。
誇りを維持するお金がない。
では、いっそ、満足感の中身を変えたら良いのではないだろうか。
柔軟に変わらないと、時代は変わるのに生きていけない。
とは言うものの、まだ、時間はある、なんて呑気に構えている。
そのうち選択肢はなくなり、ニッチモサッチモ行かなくなる可能性もある。
さっさとやっておかないと、子供たちに強制措置を取られる恐れもある。
しかしながら、半ば脳内が楽園になっているその頃なら、それも楽かも知れない。