蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

過渡期?

2021-02-15 | 無題
本日の写真はコレにした。
なんとなく楽しそうだから。
どこだったんだろう?
国内だとは思うけれど。
ちょっと暗くてピントがボケている。
え?わたしのこと?
いえ、違います。
わたしはボケていても暗くないので。

さて。
最近はUNIQLOのヘビーユーザーになっている。
その理由としては、日々の行き先が晴れ晴れしい華やかな場所や公式の場ではなく、スポーツ系に移行しているから。
着心地よく、快適である。
何よりも、コーディネートをあまり考えなくてもよい。

ユニラーになって思うこと。
自分の背景は完全にリセットされていると感じる。
そして、趣味、嗜好なども無色透明化されたようなかんじ。
人との違いはただただサイズだけ。
色も違うが、同じデザインのため、テイストにはそう影響はない。
あとは、定価で買うか、価格限定期間にお安く買うか、それだけの違い。

つまり、その人自身、「本体」だけの違い。
年齢、性別、背が高い、低い、太い、細い、身体の特徴と、あえて言えば身体能力の一端が出る。
颯爽と歩くか、猫背でノロノロ歩くか、など。
経済事情や肩書きなどは、一切関係なく、横並び均一、平等感を感じる。
UNIQLOなら全国津々浦々どこにでも店舗はあるし、行けない人はネット販売されているし、価格もお手頃。
たた、ユニラー同士は値段がよくわかる。
お互い憧れることも嫉妬することも珍しがることもない。
階級社会ではなく、平等社会のよう。
あくまでも見た目だけ、服装だけに言及しているが。
目に見えない、深層、水面下のことはまた別である。

ではあるものの、全国、全世界均一衣料品を日常的に着用するようになってから、なんだか、コミュニティのユニフォームのような、そんな気もしている。
趣味でご一緒しているAさんは、隅から隅まで、すべてUNIQLO。
練習着、普段着、その他すべて。
1シーズン、着て着て着て着たおして、摩耗すると、新しいものを買っている。
まさに消耗品。
着るものだけではなく、食も、amazonで売っているモノも全て。
amazonでは、アニメやゲームなど、物質ではないものも多い。
わたしとは少し価値観や生活様式が違うが、所詮他人なのでどうでもよい。
接点は趣味分野だけでよい。
理解できない他人を理解するためには良い教材になっている。

何でもかんでも、じっくり味わったりしないで、ひたすら、ばばばーっと猛スピードで消費するAさん。
わたしは、味わうタイプ。
まさに正反対。
趣味以外には、まるで共通点はない。
それが趣味を持つことの面白さかも知れない

なので、趣味以外でご一緒することは絶対にない。
全く合わないから。
時間を共にする意味がない。
Aさんのご家族の方々は皆さん同じ価値観で行っているとしたら、世の中には色んな価値観があるということ。
自分と同じ価値観の人とだけガッチリ固まって生きるのも摩擦がなくて良いかも知れないけれど、価値観が合わない人たちも存在していることを知るというのも、ある意味、より自分の人生が色濃く充実するような気もする。
あくまでも違う価値観の存在を知るだけであり、シェアは出来ないが。
自分と違うものを否定するのはおかしいということは分かる。
違うもの同士、シェア出来ないのはお互い様だろう。


ちなみに、
人と違うことがしたい、人と同じは嫌、という人がいる。
わたしは、人は人、たまたま同じなら別にいいんじゃないかと思う。
唯一無二のはずが、いくつも世の中に存在していて、全然、独創的、スペシャルではなかった、というのも、別に悪くはない。
悪いと言ったところでどうしようもない。
唯一無二のはずの特色を自分がやめて人に譲るのか、自分以外の人が譲るのか。

仕事で「世の中にまだ無いものを作れ」という指令を受けているならまた別だが。
平凡は嫌という人、何故なんだろ?
たまたま自分が好きなものが、汎用品、平凡なものだったなら、それでよい。
既製服に身体のサイズがぴったり合うなんていうのは、経済的でよい。

と言いながら、ダンスでドレスがカブる(誰かが同じドレスを着ていると)と最悪で最大に不快だが。

皆さん同じでもいいと言いつつ、自分は自分、唯一無二だ、なんていう変な自負がある。
UNIQLOは着るけれど、特別なものではなく皆んなと同じでも問題ないと思える、それぞれ、個の自分を確立している。
でも他人にとっては没個性の人間に映るかも知れない。
しかし、個性って?
では、没個性って?
個性が無いほうが、逆にすごくインパクトがあり目立つのでは?


人のことを気にしすぎだ、とある人に言われるが、その人は、気にしなさすぎて、自分がどんな位置にいるのかわかっていない。
自分を知るための他人との比較。
奢ったり、落ち込むためではなく、自分はどの辺りにいて、課題は何か?
知ったほうが目標や努力のポイントが絞れて効率が良いと思う。

しかしまあ、、、こういう風に、何度も同じことをブログでツラツラ綴って、面白がっているのかというと、そうでもなく、、、自分に言い聞かせているように思う。
言い聞かせる意味は?
別に言い聞かせる必要はないのでは?

最近、わたしは、おばあさんになって、人間の中身の変わり目、節目なのかなあと、、、思ったり。
年齢、人生ステージの過渡期か。
きっと、どなたからも共感は得られないと感じる、、、。