楽しいのは、どんな時?
わたしは、自分が楽しめる文章を書いて、何度も読み返してニヤニヤしている時が、愉快。
外から見ると、最高に不気味だろう。
究極の1人遊び。
自分で作って、自分で遊ぶ。
友達がいなくても平気。なんともない。
とか言いながら、寂しがりなんだけど。
姉は小学生の時、友達がいなくて、休み時間は図書館に籠っていた。
図書館中の本、全部を何周も何回も読んで、読む本がなくなっていたそうだ。
わたしは、、、と言えば、小学4年の頃に友達と家に集まり、GS(ザ・タイガースのファン)のレコードを聞いたりして、担任の先生に呼び出されて注意を受けた。
そういうのは、ダメなんだそうだ。
変なのー、先生、なに言ってんだあ?と思いつつ、まじめに素直に先生の指導に従った。
不良になるかも知れない芽は、早くから摘むのだろうか?
レコードで不良になったら、えらいことだけど。
ミュージシャンは不良の成れの果てなのか?
最近、髪の毛の色が茶色なのは、教育指導上、良くないから染めろ、と学校に言われ裁判を起こした女子生徒がいる。
髪の毛の色が天然か否か?が裁判の争点?
半世紀も前、わたしが高校の頃は公立校でも私服、私立でも私服の学校があった。制服でもオッケー。
経済的ゆとりのない家庭の生徒は、制服を着ていたそうだ。
それと、ダサい子。服を選ぶセンスが欠如しているため、制服。
あと、「ダサい」など価値観の範疇に存在しない、ダサいセンスの子も私服。
こっちは、貧富の差は関係なかった。
高校の時から私服だった子は、大学で一斉に皆んなが私服になると、すでにセンスが洗練されていて、ひとつアタマ、抜きん出ていた。
制服校出身の子は、初めての私服通学なので、最初は服選びに戸惑ったようだ。
だが、その後の歩みでまた変化する。
わたしは制服校で良かった。
私服は、なにかとめんどくさい。
学校に行くまでの時間を服装選びで煩わされるのが目に見えている。
こんな年齢になっても、行き先はスポーツ系でも、UNIQLOヘビーユーザーでも、悩むのだから。
(ただし、UNIQLOはアウターには着ない主義)
半世紀前の当時、私服の学校は問題があったか?
私服オッケーなのだから、髪が肩にかかると束ねろ、なんて校則も当然存在しない。
ガチガチに縛り付けるのが教育指導だとすると、自由な学園に転校させたい。
と言っても、今のわたしにはそんな年齢の子供はもういないが。
孫たちは公立校。その後はどうするのか知らない、関与しない。
わたしは教育ママゴンだったが、今の教育はまた違うようだ。
子供3人を全員、東大理3に入れた母親の本がベストセラーとして書店に平積みにされたものを目にした。
その類は昔からあり、現在、精神科医?として活躍されている人のお母さんも過去に書いていたような、、、。
今回、(表紙だけ)目にした本は子供3人とも同じ大学、同じ学部ではツマラナイかも?
偏ってないか?
と、捕らぬ狸の皮算用。
そんなこと言ってる暇があれば、週末に控える案件に向かって整理整頓、掃除でもすれば?と、自分に言われそう。
「自分のことだけしてね」と、身近な師(長女)に言われている。
これは、人の役に立とうとして失敗してかえって迷惑をかけるな、という意味。
器以上のことはするな、無理はするな、ということだろう。
「人のことはいいから、まず、自分のことは自分でしてね」
なかなか良い大人に成長してくれた。
乳幼児を含め4人も子供を抱える、猫の手も借りたい多重タスクの渦中の長女に諭されるなんて、、、ねえ、、、
期待されない身の軽さ。
でも、あちこち目移りして気が散って、自分のことぐらい、、、が、なかなか出来ないものである。